石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の城26  伊達政宗の桧原城

2007年02月05日 | 会津の城

伊達政宗の城「冬の桧原城」 裏磐梯

会津古城研究会長 石田 明夫

 福島県耶麻郡北塩原村 芦ノ湖より100メートル高い823メートルにある桧原湖畔の山城

070128_011 裏磐梯は、箱根の芦ノ湖より、100メートル高い場所にある全国有数の豪雪地帯。例年2メートル以上の積雪ですが、今年は、暖冬で少なく、それでも1メートルの積雪があります。桧原湖は、今年は暖冬で全面凍結していません。そのような場所に戦国時代、伊達政宗が1585年に築城した大規模な山城の桧原城があります。戦国時代でも後藤孫兵衛を大将とし、冬期間も常駐していました。また、江戸時代には、米がまったく取れなくても2000軒の家が建つ町がありました。写真の桧原城は、954メートルの山頂にありあります。麓には、外堀も現存し、入口の枡形や土塁と掘と水堀が残り、外堀内には、城下町がありました。

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会津の城25  冬の鹿垣防塁跡

2007年01月12日 | 会津の城

伊達政宗に対抗し築いた萱峠「鹿垣防塁跡」 北塩原村

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県耶麻郡北塩原村大塩  会津若松市ICから40分

070112_046天正13年(1585)、裏磐梯の桧原湖から会津に入る米沢街道(現村道)沿いの萱峠には、伊達政宗の会津侵攻に対抗し、会津の葦名氏が築いた防塁跡が標高850メートルの萱峠にあります。長さ163メートル、伊達政宗方面に対し高さ20メートル、内側の会津方面で5メートルの高さを持つ防塁で、柵が築かれていました。戦国時代の大規模な防塁は全国的にも珍しいものです。

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会津の城24  柳津町の安久津城

2006年12月30日 | 会津の城

柳津小中学校東側の山城「安久津城」 柳津町鳴神山

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県河沼郡柳津町 柳津町役場東側 磐越道会津坂下ICから15分

1652_030 会津の霊場として知られる柳津町の虚空蔵堂、町の南東側、柳津小中学校校庭東に位置する鳴神山に山城の安久津城があります。山頂に祠があり、そこが中心の主郭になり、斜面には畝状の竪堀があります。背後の尾根とは、堀切で遮断されています。大手は西に面して造られています。発見は石田です。

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会津の城23  平塚館

2006年12月22日 | 会津の城

平塚氏の館「平塚館」 市街地近くで最も良く残された館

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市高野町平塚 会津若松ICから3分

Photo_23 会津若松市IC近くの平塚に会津若松の市街地近くでは、最も良く残された平塚館があります。40メートル×50メートルの館で土塁と水堀が巡らされています。この館には、戦国時代には、平塚氏が住んでいましたが、慶長3年(1598)に、春日部氏が新潟県から上杉景勝に従い越後から移りました。春日部市は、奈良の春日神社に仕えていた一族で、その後、千葉県へ移り、南北朝時代には、埼玉県の春日部市周辺を支配する豪族となり、南朝方であった祖先の墓が春日部市の最勝院にあります。水彩画の巨匠春日部たすくの生家でもあります。

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会津の城22  高田城

2006年12月20日 | 会津の城

渋川氏の居城「高田城」 会津美里町

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津美里町高田  会津若松市から車で20分

15_004会津盆地の南西部に位置する会津美里町高田、町の西側、中学校の入口に高田城の土塁が残されています、会津盆地南西部を納めた渋川氏の居城。葦名氏に宮川で魚獲りをしていたときに襲われ、葦名氏の家臣になりました。城跡は、現在スーパーなどになっていますが、本丸と二の丸堀、堀跡の一部が残されています。

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