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読書の森

売れ残りの部屋 最終章

その子は新しい家に相応しい家具を購入して、あれこれと配置を考え、役所などの手続きを済ませて母親と共に新居へ入った。
部屋は綺麗に掃除されて、納戸に二三書類が残っていた他は、なにも問題ないかに思えた。
特上の握り寿司を取って、その子と母はささやかな入居祝いをした。

その晩に、小さな事件が起きた。
NHKの集金人が未払い金の徴収に来たのである。
「それって以前住んでた方の分ですよね」
「私ずっと引き落としにしてキチンキチンと納めてますけど」
引っ越しで疲れ切っていたその子は甲高い声をあげた。

胡散臭そうな中年男の目が興味有り気に(とその子に見えた)彼女の全身を見つめた。
彼女にとって、ひどくいやらしい目つきに見えたのである。

「それで前の方とはどういう関係で?連絡してもらえませんかね」
「知りません。私買ったんです。自分でこの家買ったんですよ!」

香花は契約書に住所も電話番号も記載していなかったのである。
いちおう記してあった住所は勤め先らしいが名称も書いてなかった。

この男、香花の居た頃も集金に来たのだろうか?
私とあの人は全く関係ないのだ、一生懸命努力して得た金で正当に得た家、きちんと払い続けてる公共料金、何故こんなイチャモンつけてくるんだ。

尚もしつこく答えを迫ってくる男にその子は激しい敵意を覚えた。
「やめて下さい!帰って下さい!」
バタンとドアを閉めた。

近所で騒めきが聞こえた気がした。
静かな晩、けたたましい声を上げたのはその子の部屋から、という事が丸分かりだった。

眠れぬ一夜、改めて香花が生活習慣の異なる異国の女で、これがさまざまな問題を起こしていた事に気づいた。
ゴミ出しにしても、公共料金の支払いについても、挨拶一つにしても、日本では常識になっている知識が彼女には皆無だったのである。



そもそも、香花という人は何をして生計を立て少なからぬ子どもの学費を捻出してるのだろう。
別に特殊な技術を持っている訳ではあるまい。
その子の考えが行き着くのは一つ水商売の他はなかった。

あの男の子の父親は誰なのだろうか?故国でシングルマザーとして生き難いから日本に来たのではないらしい。
非嫡出子ではないか?それが一番妥当な推論だった。

そもそも、この部屋は日本人でもなく金持ちそうでもない彼女自身の持ちものだったのだろうか?
ひょっとして、この部屋が手切れ金の代わりだったのではないか?

闇の中、眠れぬその子はどんどん妄想が膨らんで来た。

以上の推論が当たっていれば、当然、この近隣で住みにくいだろう。

いたたまれずに、別の安い部屋に移転して、この部屋を売りに出す。
だから全く生活臭のしない美しい部屋のままだったのだろう。

世間に揉まれあらゆるケースに当たっている不動産屋は、最初から事情が分かっていたのだろう。
売り手には値下げを提案して、同時に買い手には別の物件を勧める。

家の見学者は訳ありそうな異国人の親子が住むという事だけで、二の足を踏んだのではないか?

そこまで考えが行き着いて、その子は無理矢理自分を寝かせようとした。
最早購入してしまったマイホームだ。
後悔しても今更遅い。

諦めて休むのが先決だと思えば思うほど、容易に安らかな眠りは訪れなかった。



香花はマンションの自治会にも持ち主が変わった事を届けていなかった。
これは前の居住者が出すものだと管理人に聞いていたので、忙しさに紛れたその子は自治会室に行ってなかった。
注意を受けて届けを出すと、自治体の役員たちは胡散臭そうな目でその子を見た。

その子はやたらと腹立たしかった。
「私は日本人だし、いかがわしい職業に就いた事など無い、なんで軽蔑親しいように見るんですか?
私自分で働いた金でこのマンション買ったんです」

馬鹿正直にそのままの質問を、役員の主婦にぶつけた。
「何もそんな事思ってませんよ。軽蔑もしてません」
主婦は薄く笑いを浮かべた。

自治会室でその子が言った言葉は、その日の内にそのまま自治会全体に伝わった。
おまけに親中国分子という噂も広がった。

「私、別に相手が中国人だからって差別したくなかったのよ。どんな素性の人だろうと一生懸命生きてるんだし、犯罪犯した人じゃない」
流石に、そのままのセリフを彼女が人に言う事はなかったが、それはその時のその子の正直な気持ちだった。

時を経ずして、その子は香花がこの部屋を売りたかった気持ちが痛い程理解出来た。
これほど整った環境の、これほど美しい部屋が、まるで針の筵に思えてきたのである。

日本と中国と、国と国との関係がどうあろうと、市井の人間の思いは変わらないなんて理想論に過ぎない、そんな単純な世間の常識をその子は知らなかった。
今迄母と暮らした庶民的な暮らしを離れて、憧れの地で住む気負いは裏目に出た。

本音をそのままに出してはいけない、話す相手を考えろ、そんな世間の常識をその子が痛感したのは、大切なものを失ってからである。

^_^どんな品物だろうと、いえ人だろうと、売れ残りには何か訳があるのですね。
それから、あくまでもこれはフィクションでございます。
たしかに売れ残りの格安の部屋はありましたが、
その子も香花もNHK の集金人もMも自治会役員も、モデルはあっても、架空の人物でございます。

久しぶりに書いたおはなし、読んでいただき嬉しいです。有難うございます。









読んでいただきありがとうございました。

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