数年前から家でネットをいじっている度に麻央は第三者が操作してるような感覚になった事がある。自分の記憶と異なる形に巧みに導くものがいる。スマホに慣れた頃、気づかぬ内に自分の行動が分かっていた事にぞっとした経験もあった。
金銭的な実害は皆無だったので呑気にしていたのが悪かった。住所や固定電話の番号迄知られていると分かって何度も移転をしていた。
誰かストーキングしてる、何の為に?とただ気味の悪かった。
そのストーカーが浩樹だったと瞬間的に分かったのは、見違える程外見が変わった浩樹その人を移転する度見ているからだった。
声をかけてくれれば良いのに、ただそれだけで済むのに、何の為にこんな嫌らしい真似をこの人はしていたのだろうか?
麻央は唇を噛んだ。
「こんな相手を長い事生きがいにしていたなんて」
浩樹はそんな麻央を宥めるように肩を抱いて、歩き出した。
まるで馴れ合った夫婦のようだ。
初めての触れ合いだったが、二人共そう思えなかった。心の中で夢の中で、浩樹と麻央は何回も抱き合っていたから。
それでも仏頂面を崩さなかった麻央を
「腹減ったな。何か口に入れようか」と街角のレトロな喫茶店に導いたのである。
現金に顔を綻ばせた自分に麻央は腹が立った。
モカの香りがする店内で浩樹は口を開いた。驚くほど饒舌になっている。
「もう少し落ち着いたら君と結婚しようと決心したのが皮肉にも転勤が決まる直前だった。
世界が激変した時期、麻央の家族に異変が起きて次々と不審な死を遂げ、実家の全財産を没収されたのは冒頭に記した通りである。
「もう少し落ち着いたら君と結婚しようと決心したのが皮肉にも転勤が決まる直前だった。
自惚れでなく能力を買われていた筈の自分が何故左遷のような形になったか?
それは自分でも知らない内にある活動に参加していたからだ。
自分の出生について老いた両親は何も話してくれなかった。と言うより知らなかったらしい。誰かの仲介で預けられたのだった。少なくとも実の親にとって歓迎されていない子どもだった事は分かる。
そこで学生時代から世の中のアウトローと言われる男達と密かに付き合っていたのだ。アウトローと言ってもそれなりの大学も出た頭のいい奴ばかりだ。嫌われてる中国系の貿易商もその一人だった。
たまに彼らと飲んだり遊んだりバカ話をする事で溜まったガス抜きをしていたのだ」
「ああ、それで」
「そう、それで思想関係も疑われたし、犯罪に関係しているのかとも疑われた、暗に退職も勧められたのだ。
絶望感が襲ったがシンガポール勤務は引き受ける気になった。結構重要視されている支店にたとえ下っ端でも回されるのはチャンスだと思ったから」
「何の?」
浩樹は今までにない表情を見せた。
(昔リバイバル映画で観たヤクザ映画のボスみたい。悪いおじさんの魅力だ!あれって高倉健だったっけ)
そんな能天気な思いが麻央の脳裏を過った時。
「俺は産業スパイになってしまった。もう君に手の届かない世界に入ってしまったのだよ」
ホントの浩樹の声が麻央の頭上に響いた。抑えた低い声だったが麻央の耳にガーンと響いてきた。
「会社を辞めていかがわしい事にも手を染めた。密貿易みたいな。商売女と何人も付き合った。そのまま行ったら東南アジアの片隅で金を抱えて野垂れ死してたかも知れないね」
「、、、」
「俺が君の退職を知ったのは後の事だった。君がシンガポールに来て酷い体験をしたのも現地人から聞かされた」
麻央は一瞬目を見張って浩樹を見つめ、そして又項垂れた。
「罪滅ぼしってんじゃない。親を知らない、日本人に見放された俺、、」
「そんな事ないよ。誰も見放しなんかしてない」
「君だけはね」
「私だけじゃないわ。同期の子だってあんな優秀な奴が惜しいなって言ってた」
「何年前の事かい。もう忘れてるさ」
「だから。君だけなんだよ。それで即帰国して伊豆へ帰った。名義上は自分の家だからね」
「だったら何で」真剣に抗議する麻央を宥めるように「時効を待ってた」と浩樹は漏らした。
「はあ!」
「詐欺の時効だよ。海外で犯した事は殆ど闇に埋もれているが会社で犯した行為は罪に問われるものだ。日本に居る期間が時効期間となる」
麻央は殆どウトウトしてきた。
「もう良いの。あんまり荒唐無稽の話で嘘みたいで」
「ごめんな。君と暮らせるだけの余裕はあるし、言えないけどそれなりの真面目な生活はしている。だけど」
「だけど?」
「もう君は抱けない」
(何それ、それって大事な事なんですか!)
と言いかけてそれは大事だわね、と麻央は頷く。
その後、目の前の中年男、浩樹が又憎たらしくなった。
「あなた、私を人間として見てるんですか!もし本当に大切だと思ってるんだったらどうしてそっとしてくれなかったの?
ネットストーキングするみたいな気味悪い事なぜするのよ!
もうやめて下さい。何もかも過去の事でしょう」
「ごめん。と言っても勘弁してもらえないの分かってるけど。
だけど、君はどうして実家に帰らないの?」
「それは(どこかであなたに会えるかと)」ハッと現実に戻って、麻央はあたふた体制を立て直した。
「あなたと無関係です。きちんと両親の安否は確認してる。日帰りで帰ってもいる。季節ごとにプレゼントも交わしてるし。
私の家の事情に立ち入る権利があなたにあるのですか」
「すまない」
「すまないじゃ済まない」
訳のわからない事を言い出しそうで、麻央は真っ赤になった。
「ハハハ。君ってホントにそのままなんだ。嬉しくなるほどそのままだね。誰も君の心迄犯せないよ」
そして、二人の奇妙な再会は有耶無耶のまま終わり、それから偶然のような形で何度か会って、、、。
ゲンキンなもので燻んでいた麻央の顔に色気が出てきた。「キレイになったね」と人に言われて麻央は自分がひどく生臭い気がしてしまうのであった。
そうして、時は無情に巡った。
2020年の年明け、例のコロナ禍が世界を襲った。
世界が激変した時期、麻央の家族に異変が起きて次々と不審な死を遂げ、実家の全財産を没収されたのは冒頭に記した通りである。
このような不審な事件は日本各地で起こっているらしかった。先の見えない不景気に狂った人間が何人も出ているらしかった。
麻央は自分を支えるのがやっとの時間を過ごしていた。
心の痛みは癒えないが漸く傷口が塞がった頃、在宅勤務となった麻央は久しぶりに浩樹に連絡してみた。
彼は携帯を何台か所有していて麻央とは私用のモノを使っている。
それでも麻央は遠慮していた。誰か女の人が出たらどうしようと思ったからである。
夢のような関係でもいい、たとえ浩樹と一緒に住む人が居ても構わない、ずっと自分だけを見ていてくれる人がいる、それだけで良い。
「ホントに良いの?」
と聞かれたら、と彼女は答えに戸惑う事だろう。
ただ彼は麻央に結ばれたたった一本の糸のようなもので、この糸が取れたら彼女は地に足をつけてられないような気になってしまうのである。
そして、、電話を取ったのは全く別人の若い男だった。
「相田氏は私の上司です。正確にはだった方です。この電話はあなたから連絡がある迄私が預かる事になってました。
彼は理由があって今海外にいます。何処にいるか連絡先は何処か、何も通達はありません。
ただ、あなたにはくれぐれも宜しくとの事でした」
殆ど嘘のように抑揚の乏しい声が麻央の耳に突き刺さってきた。
形は違えど季節は巡り、世の中がどんなに変化しても、人の営みそのものは大した変化が無いように思われる今、麻央はただルーティンワークをこなす日々を送っている。
形は違えど季節は巡り、世の中がどんなに変化しても、人の営みそのものは大した変化が無いように思われる今、麻央はただルーティンワークをこなす日々を送っている。
「あの人と再び会えるのか会えないのか、それは知らないけど。多分生きてこの世にいるのだろう」
そして愛用のスマホを見つめていた。
取るに足りない自分は何らかの形でスマホが覗かれている、それが彼かどうかは分からないけれど、多分彼だろう、そんな頼りない思いに浸るのだった。
この年も若葉が萌えたつ季節がきた。
(未完)
すみません。尻すぼみの内容になってしまって。
この続きは又いつか書きます。