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読書の森

世は定めなき その5

「別にお見合いって形じゃないの。二人ともまだ若いんだし、昔の同級生なんだし、会ってみない」
いつの間にか父が部屋に入ってきて、穏やかな笑みをたたえて頷いていた。
何事もなさそうな穏やかな姿勢、これが麻央の父の生き方である。
「要するに無能を隠してるって事じゃない、一つの事や人間を愛する情熱も能力もない、自分の持ってるものを捨てるのが怖い。だから護りの姿勢で通すだけ」

麻央は両親がずっと仮面夫婦である事を知っている。人前では睦まじい姿を装っているが、父は結婚前からの愛人を持ち、母はそれなりに贅沢をして不満を隠している。
由緒ある家柄や町の名士だと言う事が何ほどの価値があろうか。

子ども時代から満たされるものが無かった麻央の切実な思いだった。同時に、親の後ろ盾がなければ、何も出来ない自分をよく知っていた。

「そうね。私も大人になった藤原君に会ってみたいし」麻央は何気なさそうに答えた。

その日、若い二人は爽やかな風の吹く城下の公園で散策をしていた。
藤原一登は背も高くいかにも利発そうなエリートという印象で、終始笑顔を絶やさなかった。
(絵に描いたようだ)口を開くと地が出て変な事を言いそうで、麻央はひたすら恥じらうフリをしていた。若緑のローンのワンピースを着た彼女は他所目には楚々と見えたのかも知れない。

「麻央さんは全然変わっていない(何?小学生の時から変わってないってそれだけ幼稚って事かしら)」
「ありがとうございます」
「僕はこの街をもっと大きく発展させたいのです。バブルが弾けて地方都市は夢を失っている(具体的にどうしたいの?)。
山も川も美しい日本的な優しさ溢れたこの地は観光に向いてます。外人観光客を呼び込みたい」
(アイデアは買うけど、具体性がない。どうするのよ?たしかこの人の家街一番の不動産屋だよね)
「まあ素敵!」
「その為にこれから勉強したいのです」
(親の脛齧ってか?)
「頑張って下さい」
「だから麻央さん❣️」

突然、一登は身を屈めて麻央の肩を抱こうとした。次の瞬間真央はさらに身を屈めて腹部を抑えた。
「イター、痛いわ」
「どうしたんです?僕何もしてないですけど」
「お腹が、お腹が突然痛くなって、、
ごめんなさい。今日はここまでにして」
「はあ、、」
にこやかだった一登は一転鼻白んだ表情を見せた。

「ホントにせっかく誘ってくださったのにお許しくださいね」
麻央はお腹を抑えたまま、近くのタクシー乗り場迄おぼつかない足取りで(急いで)行った。
おりよく止まった車に入ると、呆然としている一登に何度も頭を下げて下向いた姿勢のままで帰宅したのである。

そして、両親の前で
「ご立派な方です。又機会を見てね」曖昧にぼかして、早々に東京に戻った。

そして、、数日後彼女は予約していた便でシンガポールに向かう飛行機に乗った。
あの紅く光る小石を御守り袋に入れたバッグを胸に抱きしめて、彼女はイキイキとした顔で無限に広がる大空を眺めていた。

しかし。
シンガポールの会社の支店に浩樹は最早在籍していなかった。
麻央は胡散臭そうな顔をする社員に対して浩樹と同期の社員とはとても言えなかった。

「あのう、、知り合いの者なんです」
消え入りそうな顔をするとニヤニヤといやらしい笑いを浮かべる男もいた。
麻央は思わずカッとして「そんなんじゃないわよ!」と怒鳴りそうになった。

彼女は安上がりのツアーに参加したが、周りの殆どがカップルである。慣れない土地で酷い孤独に襲われた。
どっと疲れが出た麻央は、それでも翌日中国人街を探してみた。

彼女はチープな洋服を選んだつもりだったが、それでもかなり浮いた存在だったらしく、暮れ方の異国の街角で金も身体も目的らしい暴漢に襲われたのである。

一旦気を失った彼女の視野いっぱいに野卑な男の顔があった。
男は歯を剥き出して笑っている。
麻央が手で探ると幸いタスキがけしたバックはそのままだが、スカートがあげられ、彼女の下半身が剥き出しになってた。
麻央はゴソゴソ動く男に気づかれぬようにバックからあるモノを取り出した。
呼び出しベルつきの懐中電灯である。思い切りベルを男に向かって押した。
一瞬鋭い光とけたたましいベルの音にたじろいだ男の隙をついて麻央は逃げ出した。

右手の懐中電灯はつけたままである。途中かぎ裂きのスカートの裾を直して死にもの狂いでかける彼女に誰も声をかけなかった。

漸くその街角に辿り着き、流しのタクシーを止めても麻央は荒い息を吐いた。宿泊先のホテルの名を告げてハッと運転手がインド系の男だと気づいた。
夜に溶け込むような肌色に白い歯が光って、麻央は生きた心地がしなかった。

「親だけじゃない、藤原一登も騙したこれが報いだろうか?因果応報なのか」
この後に及んで麻央はタクシーの中で変な後悔に襲われてしまった。
恐ろしげな外見とは逆に親切な運転手は回り道する事もなく麻央をホテル迄届けてくれた。時計と現金は失っていたが後は無事で、タクシーチケットが効いた。

無表情に鍵を渡すフロントマンに「転んじゃってー」と言い訳して、麻央はやっと自室に戻った。
シャワーの水を一気に流した。疼痛と顔と身体に多少の擦り傷はあったが「命は助かった」と麻央は思う。

細々とした物を入れた手提げは失ったが、パスポートなど入ったショルダーバックは無事だった。
その奥に縫い入れた赤い石の無事を確認して麻央は初めて涙を流した。

「もう、浩樹に会えない。二度と誰も好きになれない」
麻央は一晩考えてツアー終了後、しおしおと自分のアパートに戻った。


数年後、麻央は会社を退職して小さな出版社に勤め先を見つけた。そこは海外の情報を集めた旅行関係の雑誌を売り物にしていた。
彼女は住処も東京都の住宅街から川崎市の商店の立ち並ぶ街に変えた。
過去の全てを捨てたかった。

麻央は浩樹の事を知る社員の多い職場を離れて、再出発するつもりだった。
が、単に語学が出来るのを買われて翻訳要員になっただけである。
実家には二度と帰省せず援助も頼まなかった。

単調な日々が過ぎて、、。
彼女は会社近くの大田区に居を変えていた。ネットに親しむようになってよりセキュリティの高いワンルームマンションを借りたのである。

麻央が40歳の誕生日を迎えた秋の休日、蒲田の商店街で浩樹に声をかけられたのである。
「朝生君、久しぶりだ」
「、、」
「俺だ」
「俺?俺と言われても私俺と言う人は知らないの」
麻央が馬鹿正直に言うと、その男が笑い出した。

ビックリした麻央は目を凝らした。
白髪混じりの短髪、目元に深く刻まれたシワ、見違える程に老けているが、その逞しい体躯もその笑顔の癖も相田浩樹のものだっ。

「何で、なんであなたなの。どうして私だって分かるの?」
「自分で気がついてないんだね。君の顎の黒子。場所も色も大きさも全然変わらないって事はないけど」
「、、、(嘘だこんな小さな黒子が目立つ訳はない)」

麻央は立ちすくんで考えていた。
「あなた、又私のストーキングしてたんでしょう?!
ずっとずっと。そうなの?」

「君は物凄いおバカさんだから。
こんなバカな真似やめようと姿を消してやり直すつもりだったのに。
君の方がシンガポール迄追ってきて。
後で知ってこんなバカにしてしまった責任を取ろうと思って」

「これが責任を取るって事なの!
あなたこそ大馬鹿じゃない」
又も目から涙が溢れそうになって、自分がもはや若くない事に気づき、麻央は涙を堪えた。
(化粧がはげたら見っともない)



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