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読書の森

股関節症のお話 再び

本日は、対象者にとって面白くない参考にもならない私の脚の疾患について話させて下さい。
自分の脚は右股関節人口関節、左股関節変形症、又右膝関節骨折による変形を抱えてます。
又見出しの汚い(恐縮です)靴底の写真を見てお分かりのように左右の脚の長さがかなり異なります。現在約9センチ差があります(左の靴は中底も高さをつけてます)。
1994年より病院に来る装具師さんに作ってもらってます。

これは、変形性股関節症という整形外科の扱う病気であります。この症状の重さによって障害者に入りますが、全ての患者が入る訳ではありません。
何故なら、普通脚の長さは(普通人でも多少違いがありますし)治療によって差がなくなる事も可能ですし、手術しなくても生活療法で変わりなく過ごせる場合もありだからです。

そして、今まで知ってる患者の中で私の脚の長さの差は一番大きいです。
何故こうなったかというと、昭和30年代に受けた左股関節固定手術に寄るところが大だからです。

今の補高靴(高さを補う為の靴という意味)を作ってくれる業者さんは非常に腕の良い方です。
対象の患者は一律ではありません。
事故により足を半分切断した女性が外見的にそれとわからぬ靴を作って欲しいと依頼して出来た靴を見た事があります。作り手は異なりましたが、実に上手くできて細やかに配慮され、より歩きやすい靴になってました。

単に技術だけでない、利用する人の状態に配慮した思いやりのある装具を作ってくれる業者さんのお世話になった事は、本当に幸せでした。

さて、私を含め、先天性股関節脱臼で生まれた子が後年変形性股関節症になりやすいです。
「骨盤から大腿骨骨頭が外れ易く軟骨が破壊されて擦れその部分にある多数の神経が痛みを感じる」病いであります。分かりにくい話ですが、つまり神経痛や腫瘍やリウマチとは全く異なる病なのです。

この病いの原因は実は「不明」です。遺伝とも言われますし、異常分娩に頻度が高いとも言います。実は私を出産した場所で医者も産婆もいなかったので近所の方が取り上げたそうです。赤ん坊の泣き声が小さいのでそのおばさんが赤ん坊(私)のお尻を叩いたそうですが、もしかしたらそこで外れたのかも知れません(つまり最初はその程度の事です)。

私の生まれた1946年当時と異なり、その後新生児検診が実施され異常が発見しやすくなりました。オムツの当て方で脱臼した殆どの赤児が自然に治る事が出来ます。

しかし、もともと股関節が外れ易い骨格の為、無理な運動、「性生活、出産」によって骨の不具合が起こり軟骨が壊れて激しい痛みが起る事があります。
つまり、大腿骨と骨盤との噛み合わせが普通の形よりずれやすい、と言えば良いでしょうか。
該当者は脚の開きが悪い為、脚にかかる負荷が大きい状況になると、クッションの役割がある軟骨が劣化して骨と骨の擦れ合う痛みを生じます。


(右股関節人工関節手術前)
(右股関節人工関節手術後)

私の場合、長年(と言っても合計23年足らず)の満員電車の通学や通勤、重たい荷物の運搬、などなどで右脚の痛みが強くて歩くのも困難になりました。

右脚、最初はレントゲン上でも何の異常もなかったのが45歳を超えて、変形性股関節症に罹患した事が分かりました。
かなり長さの違いがあるのに、普通に通学、通勤して運動も同じようにしてたので長い方の右脚に負担がかかったのです。

そこで人工股関節手術を受けた訳です。人工の為神経が通っていません。なので無痛となる訳です。
ただし現在のところ人工股関節には限界があり、万能ではありません。使用期間は限られて再手術になるケースは少なくありません。

参考の為、これが通常の股関節の仕組みです。

先のレントゲンは明瞭なものではないですが、明らかに短い左脚の骨が細いです。使わないので発達してないです。動きも悪いです。開き方も限界があります。

入院中これを見た他の患者さんから、こんなレントゲン写真今迄見たことなかった、全然自分の脚の写真と違うと言われました。

これは今では全く行われていない、旧式の手術の結果出来た左脚の骨格なのです。
中学生の時さる大病院で受けた「患足の大腿骨の固定術」によって以降私の左脚の成長が止まってます。そして右脚に比べて極端に動きが悪いです。脚の長さの差は術前ははるかに小さなものでした。
14歳の時から今迄の間に差が開いてきた訳です。

私は退院してから友達に「どこ治したの?全然歩き方は治ってないよ」と言われてガッカリしました。
入院中様々な人と友達になれて優しい看護婦さんのお世話を受けたのは良かったけど、私の夢だったビッコ引かずに歩くなんてまさに絵空事になってしまったのです。
50歳になってから最早左脚の再手術は無理と言われました。多分この手術を受けずにいれば可能だったと思うのですが。ただし人工関節にした右脚は長い苦痛にずっと耐えていてくれてます。

しかし、どうしてこの手術を、しかも大病院で行っていたのでしょうか?
ご存知のように医学の常識は日々変化してます。例えば癩病が遺伝でも伝染病でもないのは今は常識でも昔は忌み嫌われ隔離されていたごとくです。

第一に早く治したい為、順番待ちの教授の手術でなく経験の浅い医師が執刀した事です。とっても若いお医者さんばかり手術にあたっていました。傷跡の縫合も相当下手でした。若い私は嫌でたまりませんでした。
多分教授だと当時の最新式の手術になっただろうし、その腕も確かだったと思います。

第二に固定術が採用されたのは、将来起きるだろう軟骨の擦れ合いによる患者の苦痛を避ける為です。固定するから当然擦れ合う事が無い訳。
お陰で左脚の痛みは全く無かったです。見た目より実質をとったらしいですが。

このように、医療は最初から完成された形ではありません。
試行錯誤があります。
医者は万能では無い、という事を私はずっと思ってます。
ただし、お医者に通いながら、その方の治療方針を疑ってるとあまり治療効果が上がらない事は確かです。



面白くない話を長く続け、ごめんなさい🙏
美味しい和菓子を頂いてホッとしたいところです。



ともかく障害を意識しながら生きるより、時に忘れてしまう程熱中出来る事を見つけて生きていく方が幸せです。
無理しても頑張れる時「生きてるな」と感じられるからです。

追伸:今日は又リニューアル版をupしてしまいました。ごめんなさい🙏





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