読書の森

聖諦


いつか本物の花を咲かせたいと昨日のブログで述べた。
が、これはあくまでも希望である。

本物でなくても私の花を愛でてくださる方々がいる。
ブログを読んで下さる方々が嘘みたいに増えた事が、此れまでの人生のご褒美とも思える。

大切な人との触れ合いを喪ったら何もならない。
高い望みを諦めずに、もっと大切なものを喪う事はある。



学生時代「聖諦という言葉を知って、僕は気持ちが楽になった」と言う先輩があった。
私は「何と情け無い」と思い、言葉の深い意味も理解出来なかった。
家業を継ぐ事で彼の好きな道を諦めねばならない事を指してるとまで、全然気が付かなかったのだ。

どうしても諦めなきゃならない事は人生にゴロゴロ転がっているものだ。

聖諦とは本来仏教で遣われる「しょうてい」の事だ。
妄執、物欲、愛欲などを鎮め、悟りの境地に入ると言う。
ちょっとこれは私に出来ない。

しかし、諦めない為に、他の人に迷惑をかけるならそれは迷惑な妄執になる。


これだけは諦めたくないものがある。
それは「人の生命」だ。
その為に何かを諦めるなら、それが聖諦ではないか?



などと綺麗事ばかり並べたが、実はかなり夏バテしてる。
その上、今すべき事を以前の様に頑張ってると無理して膝を痛めた。

若い時の様にはもう出来ないのだと、しおしお諦める。
絶対諦めないと言い張れば、これはもう我儘になる。

なので、適当に諦めて、取り敢えず生きる事だけは諦めずにやっていこうと思う。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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