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特集ワイド:ザ・るぽ 原子力施設密集・下北半島を歩く 覚悟と恐れの間で(毎日新聞)

2011-06-22 00:00:00 | その他のニュース
特集ワイド:ザ・るぽ 原子力施設密集・下北半島を歩く 覚悟と恐れの間で


 ◇注がれる電源交付金 町並み変貌
 本州最北の地は揺れていた。原子力関連施設が集積する青森県下北半島を歩いた。「福島は人ごとではない」「後戻りはもうできない」--安全神話が崩れた中、「夢のエネルギー」との共存を選んだ人々の胸中は複雑だった。【中澤雄大】

 三沢空港に降り立つと、冷気が肌を刺した。この季節特有の偏東風(ヤマセ)が吹いた13日、再処理工場など核燃料サイクル施設がひしめく六ケ所村へ急いだ。

 「震度4でも使用済み燃料貯蔵プールの冷却水が漏れた。6強にもなれば当然、水が不足する。過剰なくらいの手当てをすべきだ」

 この日、村役場では村議会むつ小川原開発エネルギー対策特別委が初めて開かれていた。東京電力福島第1原発事故を踏まえ、貯蔵施設を管理する日本原燃の川井吉彦社長らが説明に追われた。しかし、昼の定刻が近づくと、議事次第通りに委員長が「(再処理工場の)一日も早い試験運転の再開」を要望してあっさり閉会してしまった。


ゴルフ場越しに見える六ケ所村の核燃料再処理工場(奥)
 六ケ所村に核燃サイクル施設立地構想が降ってわいたのは84年。69年、石油コンビナートなどを中心とした新全国総合開発計画「むつ小川原開発」によって村内の膨大な用地買収が進められたが、その後の石油ショックで頓挫。村内、県内を二分するほど激しい議論を経て、「安全性の確保」と「地域振興」などを条件に再処理施設を受け入れた。これまでに投じられた電源三法交付金は323億円余り。町並みもすっかり変貌した。

 「原燃は『不測の事態にも大丈夫』と言うけど、信じられないですね」。こう静かに語るのは、村中心部から車で20分ほどの丘陵地で「花とハーブの里」を営む菊川慶子さん(62)。再処理計画に反対する人々らを描いた映画「六ケ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)にも出演。チューリップ祭りを毎年開くなど、核燃に頼らないスローな生活ぶりは多くの共感を得た。

 「でもね、村では全く話題にならなかったの。村内は利益誘導できる有力者と、そうでない人の差がはっきりしている。19回続けたチューリップ祭りも今年で終わりにしたの」。2年前に脳梗塞(こうそく)で倒れて、思うように農作業ができなくなったのが理由という。

 菊川さんに教えてもらい、再処理工場を一望できるスポットへ。ゴルフ場のグリーンの向こうに再処理工場と風力発電の風車がモヤでかすんで見えた。

 ヤマセ特有の冷たい雨が降る中、かつて最も反対運動が激しかった村北部の漁村・泊地区へ。朝、漁港を歩いた。刺し網の手入れをしていた目時(めとき)尚子さん(57)は「反対派はほとんど減ったよね。核燃施設はもうできたんだし、一緒にやっていぐしかない。この辺は活断層が走っているそうだから、何も起ごらねえごとを祈るしかないわ」。隣で作業をしていた女性が取れたてのウニを勧めてくれた。口に含むと、ほろ苦かった。

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東通村の白糠海岸で昆布拾いをする男性。奥に東通原発が見える
 国道338号を北上し、六ケ所村の北隣、東通村を目指す。村境にあるつづら折りの難所、物見崎に立った。遠くに建屋が見えた。東北電力の原発1基が05年に営業運転を始めており(停止中)、東電も原子炉建設を予定する。

 海岸を歩いてみた。太平洋の荒波で流れ着く良質な昆布は1キロ700~800円になるといい、住民が競って拾っていた。初めて見る光景だが、どこか懐かしい。路上で昆布を天日で干していた漁業男性(60)は「オレは推進派だけど、もし何か事故が起きたら、この辺はひとたまりもねえな。原発の海域調査に年1、2度携わるが、1回約10万円になるんで助かる。原発がなければ、冬場は出稼ぎに行がねばなんねえし」。

 70年代に1万を超えた人口も3000人以上減った。過疎の村は生き延びる手だてとして原発を誘致した。立派な造りの役場や小中学校などを見るにつけ、交付金の“威力”をまざまざと感じる。一方で、失ったものはないのか。「青森なんて最たるへき地だから危ない施設が集まるんだろうけど、オレらにとって大事な古里なんですよ」。サーフィンをしていた青森市の会社員、木浪一也さん(50)の言葉に考えさせられた。

  ■

 翌日は、マグロの一本釣りで有名な本州最北端の大間町へ。津軽海峡を隔て、対岸の北海道が間近に見える。アイヌ語に由来するという奥戸(おこっぺ)漁港で、Jパワー(電源開発)が建設を進める大間原発(工事停止中)を撮影していると、幼い兄妹が仲良く遊んでいた。近くの主婦(70)は「町では漁業補償ももらったし、表立って誰も原発を話題にできない空気よね。自分の世代はもういいけど、子ども世代が心配だわ」と肩をすくめた。

 「大間は狭い町だから、逝く時は皆逝く。ウチは工事で恩恵を受けた口だけど、そうじゃない人々はとても心配なはず」。大間崎の民宿業、奈良さつさん(48)の言葉を聞き、原発と共存することは常に恐怖心と隣り合わせであり、恩恵を受ける代わりに「その時」の覚悟を求められるのだと知った。

 大間原発の建設差し止めを求めて函館地裁に提訴した原告団の一人で元町議の佐藤亮一さん(76)は「今なら間に合う。こんな時こそ勇気を出して声に出すべきだ。建設地付近の海底には活断層の存在や温排水が及ぼす漁業への影響も懸念されている」と指摘するが、町内では少数派だ。

 一方、若い世代から新たな動きが芽生えている。地元でまちおこしに取り組む「あおぞら組」組長の島康子さん(45)は「原発受け入れは、親世代の苦渋の決断。経済も原発で成り立っている」と現実を受け入れつつも、住民が今何を考えているのか、情報発信が足りないと思うようになった。「下北全体が原子力半島。ここから逃げられないのだからイデオロギーなどにとらわれずに、古里をどうするのか発言できる場をつくりたい」。年内にもシンポジウム開催など一歩を踏み出す考えだ。

 再び六ケ所村。古川健治村長に3・11以降、核燃に不安がないかを尋ねた。「かつての六ケ所は貧しいものの代名詞のように言われた。今では核燃のお陰で文化水準も向上したし、村民の収入も上がった。当然、手厚い安全対策を講じていく」。村長は自らに言い聞かせるように語った。

 取材後、日本原燃が村に寄贈した温泉施設「スパハウスろっかぽっか」に立ち寄った。「70歳以上の村民はタダ。ここらの年寄りは週に3回は送迎バスで来るんだべさ。本当に極楽だよ」とお年寄りの笑顔が返ってきた。豊かさとは何か--湯船につかって考えたが、のぼせるばかりだった。

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毎日新聞 2011年6月22日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110622dde012040017000c.html


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