ルプチジャルダン Le Petit Jardin 

布で暮らしをデザインしましょ♪
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”ルプチジャルダン”の日記です。

アトランタ観光 その2 ワールド・オブ・コカコーラ

2006年08月20日 | アトランタのみどころ



アトランタに本社を置くコカコーラ社のパビリオン。
いつも通りの~んびり起きて、の~んびり出発。
到着すると、パビリオン前には長蛇の列が!
入場制限ですって!?



今までのんびりしてしまった自分に後悔しながら、おとなしく待つこと30分。
入って順路通りエレベーターに乗ると、
コーラがビンに詰められる工程を再現している空間に到着します。
(本物の工場では無いので少々迫力に欠けます....。)
ソーダー水から世界規模の製品に成長するまでの歴史や
ガラス瓶の進化の過程や広告の変遷が辿れます。



また、試飲コーナーでは世界各地のオリジナル商品が飲み比べられます。
なぜか日本の代表は炭酸の無い”アプリコット”でした。
飲んだ経験ありますか?

周りの子供達はと~っても楽しそう。
けれど私達は「ふーん...。」という感じ。
飲む習慣も無いし、思い入れが違うのかしら....。
今日では当たり前になっている6缶パック、オープントップ、
自動販売機、ディスプレーやプロモーションは
コカコーラ社のロバート・W・ウッドラフ氏の考案によるものだそうです。
「こだわりが偶然を呼び、必然となる」という言葉を残した億万長者。
そこのところがもう少し知りたかった...。

と、いう訳で家に帰ってからロバートさんが気になったのでネットで調べてみると....。
コカ・コーラ社の社長であるロバート・W・ウッドラフは第二次世界大戦中
「われわれは軍服を着たすべての兵士が、どこで戦っていようと、
またわが社にどれだけの負担がかかろうと、
五セントのびん入りコカ・コーラを買えるようにする」と発言。
政府が発足した砂糖配給委員会に工作員を送り、
軍隊向けのコカ・コーラ販売用の砂糖に配給適用除外という特例を認めさせた。
これによってコカ・コーラは軍需物資と認められた。
以後、コカ・コーラの工場は南極大陸以外に建設され
日本でも進駐軍の兵士の為に終戦翌年の1946年から1952年にかけて建設された。
大戦が終わるとワールドワイドな多国籍企業となっていた。

.....うーむ。こんな背景があったとは。

いつの日か大人も楽しめるパビリオンになったら良いな....。


ここは大阪?

2006年08月20日 | くらし
私、何かを制作する時、かなり悩みます。
ちょうどその日も手持ちの布を持って、それに合う別布やパーツを選んでいました。
2候補までは割とすんなり決まるのですが、
「さて、どちらにしよう」という時からが長いのです。
その様子を見ていたご婦人が近くに寄ってきました。
「ペラペラペラペラ~。」
(えっ。何話しているのかわかんない。ええーい、こっちから聞いちゃえっ)と、いう訳で
「ねぇ、あなたはどっちが良いと思う?」と私。
「これではちょっとプリティよ。これでも、これでもないわ。
だって、この布はとてもスバラシイんだもの。
だからもっと○○にしなきゃ。」
「○○?」言われた言葉を繰り返した。
「ち、ちょっと待って。」
(その日は英語の授業があったので偶然辞書を持っていた。)
辞書を取り出し、スペルを教えてもらった。
「G,R,A,N,D」
「あ~、なるほどね。」と、私。
「そうね、例えばビーズとかフリンジとかが良いと思うの。
あ、でもお値段に相談ね。」
と、言いながら、フリンジ売り場まで一緒に来てもらって
こういうの、ああいうのって選んでくれた。
☆注意☆このご婦人は店員ではありません。
そのご婦人と別れ、また2候補まで絞れたけどまた悩んでしまった。
これで良かったのでしょうか?
で、話は逸れましたが、どこが大阪かというと、
以前、大阪の思い出に触れた時のように、
知り合いのように話しかけてきてくれるという点です。
でも、この日はこれだけじゃあありませんでした。
店員さんが私の持っていたバックを見て、「そのバック、素敵ね。」と言ってくれた。
「ありがとう。」と答えると、
「あなたが作ったの?」って聞かれ、
「いいえ、買ったの。」
「何処で買ったの?」
(おおおー、そこまで知りたいのか....。)と思いながら
「オーストラリアよ。」って答える。
「ふーん、素敵ね。」
「ありがとう~☆」って言って別れた。
すると、今度は親子連れのお母様の方から
「あらー。あなたのバック、素敵!」って言われ、
「ありがとう。」と、答えると
「あなたが作ったの?」って聞かれ、
「いいえ、買ったの。」
「あらそ~う。素敵!ゴージャス!良い!」って賞賛されてしまった。
「ありがとう☆」って言って別れた。
買う物が決まったのでカット台まで持って行くと、さっきの店員さんが
「ねえ、そのバック、いくらで買ったの?」って聞いてきた。
(あはは、そんなに気に入ったんだ。)とおかしくなりながらも
「$○○だったと思うわ。」と私。
すると、「オーストラリアドル?USドル?」
「オーストラリアドル。」
「オーストラリアドルとUSドルってどちらが安いの?」
なーんて、かなり突っ込まれた質問に合いました。
と、いう出来事を思い返してみると、どこか懐かしいような感覚になった。
通りすがりのご婦人から「ええバック持ってはるわ~。」って言われたのもこのバック。
そうだ。大阪だ!って気づいたのでした。

どんなバックか見たい?
では、メールくれた方にだけ、こっそり教えましょう。