アトランタに本社を置くコカコーラ社のパビリオン。
いつも通りの~んびり起きて、の~んびり出発。
到着すると、パビリオン前には長蛇の列が!
入場制限ですって!?
今までのんびりしてしまった自分に後悔しながら、おとなしく待つこと30分。
入って順路通りエレベーターに乗ると、
コーラがビンに詰められる工程を再現している空間に到着します。
(本物の工場では無いので少々迫力に欠けます....。)
ソーダー水から世界規模の製品に成長するまでの歴史や
ガラス瓶の進化の過程や広告の変遷が辿れます。
また、試飲コーナーでは世界各地のオリジナル商品が飲み比べられます。
なぜか日本の代表は炭酸の無い”アプリコット”でした。
飲んだ経験ありますか?
周りの子供達はと~っても楽しそう。
けれど私達は「ふーん...。」という感じ。
飲む習慣も無いし、思い入れが違うのかしら....。
今日では当たり前になっている6缶パック、オープントップ、
自動販売機、ディスプレーやプロモーションは
コカコーラ社のロバート・W・ウッドラフ氏の考案によるものだそうです。
「こだわりが偶然を呼び、必然となる」という言葉を残した億万長者。
そこのところがもう少し知りたかった...。
と、いう訳で家に帰ってからロバートさんが気になったのでネットで調べてみると....。
コカ・コーラ社の社長であるロバート・W・ウッドラフは第二次世界大戦中
「われわれは軍服を着たすべての兵士が、どこで戦っていようと、
またわが社にどれだけの負担がかかろうと、
五セントのびん入りコカ・コーラを買えるようにする」と発言。
政府が発足した砂糖配給委員会に工作員を送り、
軍隊向けのコカ・コーラ販売用の砂糖に配給適用除外という特例を認めさせた。
これによってコカ・コーラは軍需物資と認められた。
以後、コカ・コーラの工場は南極大陸以外に建設され
日本でも進駐軍の兵士の為に終戦翌年の1946年から1952年にかけて建設された。
大戦が終わるとワールドワイドな多国籍企業となっていた。
.....うーむ。こんな背景があったとは。
いつの日か大人も楽しめるパビリオンになったら良いな....。