緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
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「英国王のスピーチ」のスピーチ・セラピスト

2011年03月20日 | 映画
アカデミー賞で主要な部門で受賞した映画「英国王のスピーチ」を見てきました。
まだ余震がときどき起こり、福島原発での危機的状況が改善されたわけではありませんが、この歳になると何が起きてもただいま今日の日常を生きていることには違いはない、それなら見たい映画くらいは見に行こうという変な開き直りもあるようです。
映画館は、その手のお年を召した方々で一杯でした。

映画は前評判通りで、なかなか面白かったです。「王位をかけた恋」で有名なシンプソン夫人との結婚を兄エドワード8世が選び、1936年急遽英国王に即位したジョージ6世とその妻エリザベス王妃、そして吃音で悩んでいたジョージ6世を支えたスピーチ・セラピスト、その3人の話です。

吃音のため、人前で話すことはもちろん、マイクの前での演説などとても自分にはできない、自分は王になる器ではない、と悩み苦しむ夫を前向きでチャーミングな妻は、さまざまな知恵と深い愛情で勇気付け、あるスピーチ・セラピストを探し出し、お忍びで出かけ、夫の治療を頼むのです。

医学的な資格は持っていないし、さらに当時英国の属国であったオーストラリアから移ってきたセラピスト、ライオネル・ローグでしたが、長い間の治療実績と見識から、ジョージ6世が幼児期から少年期に受けた精神的な抑圧が、吃音の原因だとつきとめ、さまざまな助言や指導を行い、心理面でも支え勇気づけ、まさにセラピーをしていきます。

生まれつきの難聴で、幼児期から言語訓練を受けてきた息子がいる私には、このスピーチ・セラピストがとても興味深く、面白く感じました。スピーチ・セラピー(ST)というのは、数からいうと主に脳梗塞などの病気などで構音障害になった人への訓練指導を行うケースが多いのでしょうが、その外に吃音や失語症、言語遅滞の人たちや子ども達への指導・訓練を行います。

日本の皇室でも美智子皇后が以前失語症になられ、数年の治療を受けられたことを覚えている方もいるでしょう。言葉というものは、とてもデリケートなもので、精神的なことからの影響を受け、また心理的なベースを言葉の表出であらわすという両面鏡のようなものです。

私の息子は、生まれたときから音声や周りの音が耳に届かない先天性難聴でしたので、1歳児から補聴器をつけ、STの訓練を受けてきました。難聴の子どものST指導というのは、ST全体の指導数からいうと非常に少なく、かつより専門的な分野ですので、日本のSTのなかでも難聴児の指導STを専門にする人は数少なく、ある種の職人芸のようなところもあるようです。

子どもは一人ひとり違いますし、この映画でもローグが重要なセラピー項目にしたジョージ6世の幼少年時期、まさにその人の基盤となる生い立ちや幼児期にくわえられる言語訓練ですので、ただ口を動かし、言葉を教え込んでいては、本当に人を育て、言葉を育てることはできないのです。また、その言語訓練をうける親子の関係にも大きな影響を与える立場にもなるのです。本当に難しい、高度なセラピー技術と人間に対する洞察が必要とされます。

映画の中で、ローグの経歴がジョージ6世に知られたときに「ドクターでないのに」という台詞が出てきます。英国では医師であり、なおかつSTであるという制度なのでしょうか? ちょっとそのあたりのことは詳しくないのでわかりませんが、日本の場合はST制度が法制化されたこと自体がとても遅れていて、息子が訓練を受けていた幼児期はまだ定まった制度はなく、病院には耳鼻科医の指導を受けながら言語指導をするSTがいて、また学校教育の現場では「ことばの教室」などで吃音や緘黙症のケアをすることばの先生がいて、それぞれ正式な資格はないままで指導を行っていました。
その後、「言語聴覚士」資格という制度が法制化され、今はその資格を持っている人がそうした指導をするようになっています。
ただ、日本でのSTは、欧米に比べて、その権限が制限されていて、あくまでも医師の指導のもとに治療に当たるということになっています。学校現場には医師は在住しないのですが、それは今までの実績を考慮して、医師がいなくても指導できるようになっています。

アメリカやイギリスは、たぶんもっと独立性の高い職種となっているのだと思います。
日本でも、言語聴覚士法が制定される前は、本当に個人の自宅で、「あそこに行けば、とても上手な指導が受けられる・・・」などという親たちのネットワークで流れてくる情報から個人的なSTを受けている例が多くありました。

セラピーというのは、どうも1対1で行われる関係からか、なんだか少々胡散臭い面があります。私も息子の言語訓練の時間を、同席せずにミラー越しに観察したことがあるのですが、これを大人二人でやっていたら、相当心理的にはしんどいだろうなと思ったことがあります。

ジョージ6世は、宮殿の中で多くのお側の者たちにかしづかれ、一般の家庭の様子などもあまり知らないままで、ローグの古ぼけたエレベーターであがっていく天窓のある部屋に行き、1対1で言語の指導を受けたのです。
さぞかし、大きな決断と賭けのような思いを持ったことでしょう。でも、ローグはSTの一番大事な資質、クライアントの心理的な鬱屈をよく理解し、クライアントに寄り添いはしても必要なことは毅然と伝え、勇気づける、そして治すのはSTではなく、患者本人とその家族なのだということを、信じ支え続けることができたのです。

主人公であるジョージ6世は、家族の愛と尊敬を勝ち得、そして王室にいれば本当に難しいであろう、心から語り合える生涯にわたる得がたき親友を手に入れたのです。

そして、この不器用なところのある生真面目で誠実な国王を、その後ナチス・ドイツと戦うこととなり多くの苦難にあったイギリス国民が長く信頼し大いに愛したという逸話は、今未曾有の震災、東北北関東大震災に見舞われ、国民のために天皇のことばが放送されたばかりの日本にいると、よそ事とは思えずとても興味深く感じられるのです。



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