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『カラクリオデット』 鈴木ジュリエッタ

2008年04月21日 | 漫画
カラクリオデット 1 (花とゆめCOMICS)
鈴木 ジュリエッタ
白泉社

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少女漫画はかくあるべし

『カラクリオデット』 鈴木ジュリエッタ 白泉社

 心を持たないアンドロイドが「人間に近づきたい」という理由で学校へ通い、そこで様々な出会いを経て成長していく。

 という物語は、使い古された手だけに引き際がかなり難しくなってしまう。
 特にロボットと人間との恋は良くある話だが、友情はともかく恋愛はあまりにも非生産的すぎるため、突き詰めていくと物との恋愛は可能かというとんでもない命題にぶち当たってしまうのだ。
 結局それは架空の世界だからでごまかすしかないわけだが、物語がハッピー・エンドで終わった先の行き着く先は、やはりアン・ハッピー・エンドしかないという現実が待っている。
 ロボットでは、人間が当然と思う生活を提供することができないのだから。

 では、ロボットが感情を持つことは不可能かという命題になるとさらに難しい。
 感情は電気信号の結果だから、技術が発達すれば不可能ではない気がしてくるのだが、そんなことを考えているとそもそもロボットの物語を楽しむことすらできなくなってしまう気もする。
 そんな問題をあくまでぬる~く曖昧にかわし続けた作品が、この『カラクリオデット』だと思う。
 オデットが一体どういった動力で動いているのか。
 生みの親吉沢博士はどういった理論でもってオデットを開発したのか。
 そういった説明は一切無し。
 この物語は、感情という電気信号のパターンがどうやって積み重なっていくのか(人はそれを「成長」という)を語る物語だからである。

 実際、彼女をロボットだと知っている人間、知らない人間。彼女と同じロボットだが感情が希薄なロボット、逆に多彩なロボットなどが入り乱れる物語は、単純なロボットと人間の友情物語になっていない。
 どうしてもロボットでは(あるいは人間では)越えられない壁があり、そこを作者は明言を避けながら提示し続ける。
 だからこそ、
「それでもオデットは人間と生きたい」
 という最後の言葉が生きてくるのだ。

 一応少女漫画なので恋愛めいたエピソードも入ってくるが、これも非常に曖昧なまま終わる。
 ロボットだと知らない人間→オデット→ロボットだと知っている人間
 の一方通行の恋愛は終わりが果てしなく見えない。
 たとえ矢印が逆方向を向いたとしても、やはり終わりの見えないエンドレスで、結局作者はどうするのだろう?というのがこの作品を読む私の動機付けともなっていた。

 そして、最後の作者なりの結末。
 私はこれで良いと思う。
 そりゃ、主人公たちが結ばれてからも続く最近の少女漫画に慣れ親しんでしまった読者にとっては不満だろうが、ロボットと人間の関係に答えが見出せない今、余韻を残す終わり方は本当に良かった。

 何よりも登場人物たちの未来を好き勝手想像する余地を残してくれたのだから。


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