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普段色々考えていることの日記です。

平 清盛 第45回「以仁王の令旨」

2012年11月24日 | その他(感想)
第45回 2012.11.18放送
「以仁王の令旨」

良かったよ。
本当に良かったよ。

シナリオはともかく、とうとう以仁王の令旨が出るところが本当に良かった。
脚本というより、演出家の演出がとても良かったということなんでしょう。
俳優もかなりいい配役ばかりでしたし、惜しむらくは脚本。
いや、力がある脚本家だとは思いますが、この時代の歴史にあまりにも無知すぎた。
せめて、原作があれば良かったんでしょうが、NHKがオリジナルにこだわったばかりに・・・
大河ドラマ未経験脚本家なら尚更、原作をつけてあげて欲しかったなぁ。

前回、聖子ちゃんから
「いかがにございますか、そこからの眺めは」
という問題を出された主人公。
今回のアバンでも、それを思い出させるように繰り返されます。

「いかがにございますか、そこからの眺めは」

古今東西、上り詰めた権力者の落ちる先っていつもの如く、
金、女、酒
清盛もその例から外れることはないのですが・・・


兎丸の元家来たちが、清盛の無茶ぶりにちょっと不満抱いていて、それを盛国が
「殿の目指す国づくりは未だ終わってはいない」
と諭すんだけど、主人公的に何か前回、
「俺のやりたいことは終わったー!」
っていう感じだったから、なんかものすごく違和感感じるんだよね。

え? まだやりたいことってあったっけ?

違和感といえば、兎丸の子、小兎丸が、子役の時はオヤジ殺されても清盛LOVEだったのに、なんか殺意を抱いている感じで清盛を睨んでいたのも違和感。

え? なんかあったの?

ん~モニョモニョする。

まぁ、それはともかく、私的には、かなりダメっ子な感じだった以仁王になぜ頼政が加担したのかそこが気になる。
ということで、頼政と八条院のシーンだけど。

八条院の誘いに
「だが断る」
の頼政。

おいおい、話が終わってしまったじゃん。
八条院は源氏の魂がうんたらかんたらと言うけど、それで奮い立つ頼政なら、もっと早く立っているよ。
以仁王にそれなりのカリスマがあればいいんだけど、相変わらずのダメっ子ぶりだしね。
「自分が生まれてきた意味が分からない」
とか言っちゃっているし。
まさか、自分探しをするために兵を起こすっていう展開じゃないよね。

さて、重盛亡き後の平家は・・・

宗盛は、寺社が攻めてくると言われてあわあわして、弟たちに叱咤される始末。
その後はやけ酒ならぬやけ宴して時子に怒られます。
このあとの展開は良かったです。
息子清宗に見せられた竹馬で忠正おじさんを思い出します。
平家に必要とされながら死んでいった忠正おじさん、重盛。
それに反して自分は・・・
そんな時、源仲綱が名馬に乗ってやって来ます。

「貸して」
と言われて仲綱も素直に貸せば良かったのに
「いや、これだけは」
と抵抗するから、宗盛の弑逆心に火が付いちゃいます。
無理やり借りて、馬に「仲綱」と名前を付けて乗り回します。
これが頼政の決起を決心させた動機。

まぁ、物語どうりです。
とはいえ、ここでは馬を取った&恥ずかしめを与えた、だけの理由ではないところがミソ。
おそらく動機の最大の理由は「我々は平家の狗となっている」という仲綱の言葉。
これって、清盛がいつも言っていた「武士は王家の狗か!」という言葉と同じですよね。
つまり、武士を公卿たちの犬の地位から解放しようとして、平家自身が結局公卿達と同じように他の武士を犬としている、ということ。
頼政が決起した理由はまさにこれだと思うんですよね。

そして、再び頼政と八条院のシーン。
今度こそ本気の頼政は、源行家を連れてきます。
知ってる人からすれば、
キタ━(゜∀゜)━! て感じです。

こっからが良かった。

以仁王の令旨を読み上げる頼朝。
その頼朝の声と共に書き上げられていく令旨。

清盛といえば、祇王・祇女という若い愛人をはべらかせて女色にふけっている。

一方宮中では、安徳天皇の即位が行われる。
並ぶ公卿はほとんど平家の公達。

まさに栄華の極みにいる一方で、破滅の鏑矢が放たれていた。

という演出。

保元の乱の時や平治の乱の時もそうだったけど、今回のドラマ、乱前夜の演出は神業的に素晴らしいです。
いや、他にも単発で見れば、素晴らしいと感動しそうになる演出が多いです。
最近で言えば、私が感動した第42回「鹿ヶ谷の陰謀」とか、第39回「兎丸無念」のアバン前とか、古い話をすれば第23回「叔父を斬る」とか。
じゃぁ、なぜこうなったのかというとね、たぶん、というか、もしかしたら、プロデューサーのせいではないかな、と最近は思いだしてきた。
私は散々今まで、脚本家の歴史認識の甘さを批判してきたけど、まぁ、それもあったとは思う。
ただね、最初の方でさんざん描かれていた「貴族に虐げられている武士の図」これがそもそも間違っていたんじゃないかな?と思うようになってきたのだ。

忠盛はそういう中で強かに生きてきた男だった。
だったら、清盛もそういう男にすべきだったのに、なんか理想の国づくりに燃える男にしてしまった。
でも平家が、自分の私腹のために日宋貿易をしたことは、歴史的事実なんですよね。
そこを無理やり清盛を竜馬みたいな存在にしてしまったことが、今回のドラマのすべての軋轢なんじゃないかなと思います。

ともかく、脚本も悪くない、演出も悪くない、配役も申し分ない。
なのに、なぜかボタンを掛け違えたような座りの悪さは、それが原因ではないかと思います。
まぁ、最終回がすめば、いろいろなところで総批評みたいな記事が書かれると思うから、それ読みながらもう1回私も考えてみます。

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