Siamo tutti un po' pazzi.

~我々は皆少しおかしい(イタリアの慣用句)~

普段色々考えていることの日記です。

『ヘタリア』 日丸屋秀和

2008年04月11日 | 漫画
ヘタリアのちょっと不真面目な感想

『ヘタリア』を購入できたので、とりあえず感想を。
まず最初に一言。

(本の内容が)読みづれぇ~

 コホン。
 前回色々と真面目な議論をぶちかました「ヘタリア」ですが、純粋に漫画と考えるととても面白い作品です。
 ただし、ある程度歴史とか地理とか国際情勢とかに興味がないと、ちょっと読み辛いかな?
 この漫画はそういう話をネタにしているので、そこにまったく興味がない人は「腐女子的視点」を導入されることをお勧めします(きっと新たな世界が待っていますよ)。
 歴史や地理や国際情勢に興味がある人は、漫画のネタに「ニヤリ」とするもよし、「へー」と納得するもよし、「ダメだこりゃ」と笑い転げるもよし、です。

 で、前回、「帝国主義」とか「民族差別」とか言いましたが、作者日丸屋秀和さんはその辺、かなり絶妙なバランス感覚をお持ちのようです。
 日丸屋さんがニューヨークに滞在中の留学生という環境からか、国の擬人化という危うい行為でありながら、「帝国主義」的なところや「民族差別」的なところは見受けられなかったように思います(まぁ、私の勉強不足で、専門家の方から見れば、やはり「帝国主義」的で「民族差別」的かもしれませんが)。
 それぞれの国民性をベースにしながら(「イギリス人の料理はまずい」など)、擬人化された登場人物は、その国民性から独立したキャラクターを獲得しています。
 この作品の主人公である「イタリア」も、パスタと女の子が大好きですが、「彼=イタリア人」と考える人はいないでしょう。
 同じく、「日本」も「日本だけど日本人じゃない」キャラクターを持っています。
 このある種突き放した感覚、と同時にすべての国を心の底から愛する気持ちが、この作品のバランスを保っているのだと思います。

 ですが、「擬人化されたイタリア」=「イタリア人」となる可能性がものすごく高いので、「国を擬人化」する行為は本当に危険なんです。
 現に、この作品以外の「国を擬人化」した作品を読みましたが、どれも「帝国主義的」で「民族差別」的です。時には愛国精神的なものが混じり、非常に危険な読み物となっている作品もあります。
 この本のタイトルにもなっている「ヘタリア」=「へたれイタリア」も、ある戦争のある局面における一部イタリア人の行動を「へたれ」と称しているだけです。
 しかもそれは、日本人の民族的な視点から見た評価であって、実際そのイタリア人の行為が本当に「へたれ」かどうかは、誰も評価することができないのです(もちろん、当のイタリア人も)。

 とまぁ、この漫画に関してはどうしても真面目な話をしてしまうのですが、最後にちょっと不真面目な感想を。
 ・キャラクター同士の会話が本当に面白いです
  (例)
   「私はアメリカさんと同じがいいです」「またか日本! 自分の意見を言え!」
   「意見したい奴は明確なデータを最初に提示しろ! 話はそれからだ! 一人持ち時間は8分厳守! 時間切れも私語も一切認めん!」「ドイツ譲歩しすぎですよ」(あれでも一応譲歩してんねや……)
    この辺がそれぞれの国民性を表しているようで、爆笑しました。


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