余華『ほんとうの中国の話をしよう』(河出文庫)より。
天安門は巨大な敗北ではなく(あるいは、敗北でもあったがそれ以上に)、カタルシスだった。その後の展開を見れば、なるほどと思わざるを得ないけれど、外からはわからないというか、わかっても口にしにくいことだ。カタルシスって言葉も、ずいぶん久しぶりに見た気がする。
なお著者名の「余華」に、解説では「ユイ・ホア」とルビが振られているのに、カバー裏や奥付には「よか」と書いてある。もう読み方は英語圏での音に合わせないと、外国の人と話すときに困るよね…。
歴史の転換点には、必ず象徴的な事件が起こる。一九八九年の天安門事件がそうだった。
(中略)
あの中国を席捲した激しい大衆運動は、六月四日早朝の銃声とともに終息した。その年の十月、私が北京大学を再訪したとき、そこにはまったく別の光景が見られた。日が暮れると、未名湖のほとりに何組ものカップルが姿を現し、学生宿舎からはマージャンの音と英単語を暗唱する声が聞こえてきた。たったひと夏で、すべてが変わり、春に何か事件が起こったとはまるで思えなかった。これだけ大きな落差は、一つの事実を物語っている。天安門事件は、中国人の政治的情熱が一気に爆発したこと、あるいは文革以来たまっていた政治的情熱が一時的にカタルシスを得たことを象徴するものだった。それからは金銭的情熱が政治的情熱に取って代わり、誰もがみな金儲けに走ったので、当然ながら一九九〇年代には経済的繁栄が訪れた。
(中略)
思うに、一九八九年の天安門事件は「人民」という言葉の内容を換骨奪胎する分水嶺だった。あるいは、「人民」という言葉の資産再編を行ったと言ってもいい。古い内容を破棄して、新しい内容に置き替えたのである。
文革開始から今日までの四十数年間、「人民」という言葉は中国の現実の中で、中身のない単語だった。いま流行している経済用語で言えば、「人民」はダミー会社にすぎない。その時代によって違った内容で、このダミーを使って株式上場を果たすのだ。
(中略)
あの中国を席捲した激しい大衆運動は、六月四日早朝の銃声とともに終息した。その年の十月、私が北京大学を再訪したとき、そこにはまったく別の光景が見られた。日が暮れると、未名湖のほとりに何組ものカップルが姿を現し、学生宿舎からはマージャンの音と英単語を暗唱する声が聞こえてきた。たったひと夏で、すべてが変わり、春に何か事件が起こったとはまるで思えなかった。これだけ大きな落差は、一つの事実を物語っている。天安門事件は、中国人の政治的情熱が一気に爆発したこと、あるいは文革以来たまっていた政治的情熱が一時的にカタルシスを得たことを象徴するものだった。それからは金銭的情熱が政治的情熱に取って代わり、誰もがみな金儲けに走ったので、当然ながら一九九〇年代には経済的繁栄が訪れた。
(中略)
思うに、一九八九年の天安門事件は「人民」という言葉の内容を換骨奪胎する分水嶺だった。あるいは、「人民」という言葉の資産再編を行ったと言ってもいい。古い内容を破棄して、新しい内容に置き替えたのである。
文革開始から今日までの四十数年間、「人民」という言葉は中国の現実の中で、中身のない単語だった。いま流行している経済用語で言えば、「人民」はダミー会社にすぎない。その時代によって違った内容で、このダミーを使って株式上場を果たすのだ。
天安門は巨大な敗北ではなく(あるいは、敗北でもあったがそれ以上に)、カタルシスだった。その後の展開を見れば、なるほどと思わざるを得ないけれど、外からはわからないというか、わかっても口にしにくいことだ。カタルシスって言葉も、ずいぶん久しぶりに見た気がする。
なお著者名の「余華」に、解説では「ユイ・ホア」とルビが振られているのに、カバー裏や奥付には「よか」と書いてある。もう読み方は英語圏での音に合わせないと、外国の人と話すときに困るよね…。