パスタも焦がしたりしているうちに、卒論報告会も無事終了。
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メディアとは…マッサージである。
技術と文化が大きく移り変わる時代には、数え切れない混乱と深い絶望がつねに生じるものである。現代が「不安の時代」である原因は大部分、今日の仕事を昨日の道具――昨日の概念――でこなそうとしているためである。
(マーシャル・マクルーハン、クエンティン・フィオーレ『メディアはマッサージである 影響の目録』、河出文庫、p.10)
マクルーハンはメディア論のえらい人。
この1967年に刊行された本を信じるのなら、僕らの時代が不安であり続けるのは仕方がないってことか。
もう一カ所、「お父さん」でもわかる解説部分を。
「いいかい、父さん。マクルーハン教授が言ってるのは、人間が作り出したメディアという環境が、逆に人間の役割を定義するってことだよ。活字の発明は、直線的、つまり連続的な思考を生み出し、その結果、思考が行動から分離した。ところがいまでは、テレビとフォークソングのせいで思考と行動が近づいて、社会参加が大きくなってる。ぼくらはふたたび村に住んでるんだ。わかる?」
(同書、p.159)
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メディアとは…マッサージである。
技術と文化が大きく移り変わる時代には、数え切れない混乱と深い絶望がつねに生じるものである。現代が「不安の時代」である原因は大部分、今日の仕事を昨日の道具――昨日の概念――でこなそうとしているためである。
(マーシャル・マクルーハン、クエンティン・フィオーレ『メディアはマッサージである 影響の目録』、河出文庫、p.10)
マクルーハンはメディア論のえらい人。
この1967年に刊行された本を信じるのなら、僕らの時代が不安であり続けるのは仕方がないってことか。
もう一カ所、「お父さん」でもわかる解説部分を。
「いいかい、父さん。マクルーハン教授が言ってるのは、人間が作り出したメディアという環境が、逆に人間の役割を定義するってことだよ。活字の発明は、直線的、つまり連続的な思考を生み出し、その結果、思考が行動から分離した。ところがいまでは、テレビとフォークソングのせいで思考と行動が近づいて、社会参加が大きくなってる。ぼくらはふたたび村に住んでるんだ。わかる?」
(同書、p.159)