プロジェクト○川

学生に本を読んでもらおうという,ただそれだけのはずでした

内村鑑三『後世への最大遺物』

2006年08月31日 | 本の話
昨日のついでといってはなんだけれど,
『後世への最大遺物』で,内村鑑三はこんなことを言っています.
(なお,この文章は夏期セミナーでの演説)

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・・・われわれが何か遺しておって,
今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構,
今年は後世のためにこれだけの事情をなしたというのも結構,
また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構,
しかしそれよりもいっそう良いのは
後世のために私は弱いものを助けてやった,
後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた,
後世のために私はこれだけの品性を修練してみた,
後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた,
後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた,
という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます.
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われわれが後世に遺せる最高のものは「正しい生き方」である.
金でも事業(仕事)でも論文(学問)でもない.

まずは,こういう言葉を真摯に受け留められる精神を養いたいものだと思う.

『デンマルク国の話』は本学の「建学の精神」の根本だから,
うちの学生/OBなら,この本は読んで(読まされて)いるのかな?
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ナダル-フィリポーシス(全米オープン2006)

2006年08月31日 | テニスに目が眩んで
約束どおり(自分とのね),ナダル-フィリポーシスを観戦中.
(大嫌いな解説Yに耐えつつ・・・選手への尊敬がみじんも感じられない)

現在,フィリポーシスからみて,4-6,3-3.

フィリポーシスの調子は,決して悪くない.
第1セットも,ナダルのペースではあったが,
最初のサービスゲームをブレークされたのみ.

第2セットに入って,流れは変わってきている.
この試合,フィリポーシスにチャンスはあると思う.

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結果は4-6,4-6,4-6.
第2セット第9ゲームがすべてだった.

フィリポーシスにチャンスはあったと思う.サーブもよかった.
さすがのナダルも,あのファーストにそうそういいリターンは返せなかったし,
それなりのプレッシャーがかかっているように見えた.

敗因,という言い方が正しいかはわからないが,
フィリポーシス側から見れば,セカンドサーブで攻められなかったことか.

さ,寝なきゃ.
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「アガシの」全米オープン(クリントンは立ち入り禁止だ!)

2006年08月30日 | テニスに目が眩んで
アガシの最後の大会として記憶されるはずの,2006年全米オープンが開幕.

全米は,たびたびベテランの花道になってきた.

サンプラスは最後の全米を優勝で飾り,そのまま引退した.

コナーズは39歳で(引退の前の年だが)ベスト4に進み,フラッシングメドウで誕生日を祝った.

エドバーグ(全米で2度優勝している)は最後の大会で,
サーブアンドボレーの後継者であり,当時伸び盛りのヘンマンを一蹴.
あの時も,観客はヘンマンが気の毒に思えるくらい,エドバーグについた.

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さて,肝心のアガシはベテラン対決となった初戦に辛勝したものの,2Rはなんとバグダティス!

バグダティスは僕が若手でいちばん好きな選手.2強時代に食い込むのは彼だと思う.
この大会のダークホースはバグダティスだと思っていたんだよなあ.

ドローが公正なことは素晴らしいけれど,なんでまた・・・.

とはいえ,アガシの人気は圧倒的である上に地元.テニスの神はアガシに微笑むか.
この試合を見逃してはテニスファンという名前を返上せねばならない.
でも,なんと明日から出張だよ....

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お,今日の深夜はナダル-フィリポーシス!

明日は7:30には家を出ないといけないのだが,
これはそんなこと言っている場合じゃないな.
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機会と機械/明治の漢字

2006年08月30日 | つぶやき
「機会」で思い出したこと.

内村鑑三の『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)の冒頭,
「後世へ・・・」の「再版に附する序言」に,

「もしこの小冊子にしてなお新福音を宣伝するの機械となるを得ば
余の幸福なんぞこれに如かん」

という文章が出てくる.

この「機械」は,いまなら「機会」(opportunity)と書くんじゃないだろうか.
岩波文庫(しかも第39刷)に誤植が残っているとは思えないから,
当時はこれでよかったってことなんだろう.

それとも,これは「機会」ではなく「機械」の意味で,
この小冊子が「新福音を宣伝するマシーン」として機能すれば,という意味か?
この方がかっこいいような気がするが,なんとなくキリスト者っぽくはない.

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明治くらいまでは,漢字の使い方はかなりおおらかで,
当て字も好きなように使われていたらしい.
(興味があったら,この間書いた丸谷才一や,渡部直己の著作などを読んでみて下さい)

たとえば,古い本(昭和初期くらいまで)を読んでいると,
たまに「六づかしい(難しい)/六つかしい」という表現をみかける.

学生のレポートや答案に「六づかしい」なんて書いてあれば,
「ああ,学力崩壊もここまで・・・」なんて思っちゃうだろうな.

ところがこれは,漱石も使っている由緒正しい表現(?)だったりする.
嘘だと思ったら,青空文庫の「吾輩ハ猫デアル」で検索してみて下さい.
ただし,旧字旧仮名の方ね.新字新仮名版では「むずかしい」と直されてしまっているので.
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/790.html

「正しい日本語を考える」って,けっこう六づかしいわけです.
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民也毅の第2弾

2006年08月30日 | 音楽
友人の民也毅氏の新曲がmF247からリリースされました.
といっても僕には以前からなじみの2曲.

「鳥瞰図」はつぶやくようなヴォーカルが入ったボサノバで,
彼の曲の中でも僕が特に好んでいる一曲.
ときおり,僕のデスクトップからも流れていることがあったりします.
http://www.mf247.jp/view/index.php?module=msc&msc_id=0040325006

「鬼変化」は心象風景を歌った曲で(たぶん),これも僕が好きな曲.
本人は「あれ詞がベタなのに,お前がなんで」と言っていたけれど,
ベタをおそれては伝えらない感情もあるのです.
http://www.mf247.jp/view/index.php?module=msc&msc_id=0040325007

気が向いたらダウンロード(無料)してみて下さい.
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機会費用が高い

2006年08月29日 | つぶやき
「機会費用」とは経済学用語.

たとえば,丸一日遊んで過ごすとする.
もし,僕がその一日を遊ばずに,仕事に使ったらいくら稼げたろうか?
その金額(いろいろ稼ぐ方法がある場合には最大の金額)が,一日遊ぶことの「機会費用」.

経済学では,「僕はそれだけの金額を犠牲にして遊んだ」と解釈するわけ.
合理的でしょ?
(機会費用について詳しく知りたくなったら,ミクロ経済学の教科書を読んで下さい)

何かをするときには,「別の何か」を犠牲にしている.
そうであれば,とうぜんその「別の何か」の価値が,僕の行動に影響してくる.

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よい研究者の条件は無趣味なことかもしれないと思うことがある.
(例外をたくさん知っているから,必要条件ではない)

ここでいう無趣味というのは「研究が趣味」も含み,
別の言い方をすれば機会費用が安い,ということになる.

小説にも音楽にも映画にも興味がなければ,僕はもっと研究に時間を使っているだろうし(たぶん),
その分,もう少しましな研究者になっているだろう(もしかするとね).

音楽がいまほど好きでなければ,英語のリスニングに使う時間はもっと長いはず.
さて,どちらがいいことなのだろう?

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現代社会を機会費用という視点から見るのも面白いかもしれない.

子供が勉強しない原因のひとつは,機会費用が高くなっているからかも.
僕が子供の頃には,一人でできるゲームってそんなになかった.

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ブログを書く時間の機会費用・・・考えないようにしよう.
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命に"利用価値"を与えてはいけない

2006年08月29日 | つぶやき
自殺してしまった人の心情を過度に慮ることには,社会としてマイナスの面があると思う.
それは,自殺するかもしれない人の命に,(嫌な言い方だが)「利用価値」を与えてしまうから.

例えば,いじめで自殺してしまった子供の心を酌んで,「悪者」を探してやることは,
その子のことだけを考えれば,文句のつけようのない行為だし,
特に亡くなった子供の親がそうしてやりたいと思うのは当然.

だから,マスコミがそういう報道をおこなうことも,
一見すれば当然のように思える.

でも,そういう報道は,どこかでいじめられている別の子供に対して,
「自分が自殺すれば,『あいつら』が罰せられる(そしてそれ以外に方法はない)」
という,「誤った」メッセージを伝えてしまってはいないか?

いじめられてしまっている子にもっと現実的な選択肢を用意してやらずに,
「悪者探し」ばかりしてしまうと,
全体としては,自殺という痛ましい犠牲者をかえって増やす方向に機能しかねないと思う.

これも,システムとして考えるべき問題だ.
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石川淳の「敗荷落日」はすごい

2006年08月28日 | 本の話
「敗荷落日」は,荷風が死んだときに発表された石川淳の文章.文庫で十ページくらい.
この間ふと読み返した.

普通,誰かが亡くなったときに発表されるのは「追悼文」で,
故人を偲んだり,称えたりするもの.
でもこれはまったく違って,晩年の荷風をこきおろしている.
(もちろん,以前の荷風への深い尊敬があるからこその文章)

こういうことは美徳ではないかもしれないけれど,
「死んだ人はみんな仏様」みたいな扱いをしてしまうと,
「文化」とか「国」といった単位での進歩にはマイナスだ.

「敗荷落日」,すごい文章だと思う.

文庫では,講談社文芸文庫の『安吾のいる風景・敗荷落日』か,
ちくま日本文学全集(文庫)の『石川淳』
(僕が読んだのはこっちだけれど,たぶん品切)で読めます.
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怖い本をいくつか(3) 『シャイニング』

2006年08月28日 | つぶやき
キューブリックの『シャイニング』

おまけ.怖い映画の最高峰はこれだと思う.
「怖い」だけならいろいろあるけれど,これだけ美しいものは他にない.
(あの双子のイメージには絵画の「元ネタ」があるけどね)

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原作は"ホラーの帝王",スティーブン・キングの初期作品.
冬季休業中の巨大なホテル,という舞台だけでもたまらない(僕には).

文藝春秋から文庫が出ているのだけれど,今は手に入りにくいのかも.
ちなみに,『羊』を書いた頃の村上春樹はインタビューで,
キングの「シャイニング」が素晴らしいので,買って友人に配ったと話していた.

当のキング自身は,キューブリックの映画化を気に入らず,
「あの男は恐怖の何たるかを知らん」と怒って,自分で再映像化を手がけていたりする.
(見たことないけれど,イマイチらしい)

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ついでに書くと,SF映画のベストは『未来世紀ブラジル』.ギリアム最高.
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怖い本をいくつか(2) 平井呈一『真夜中の檻』

2006年08月28日 | つぶやき
平井呈一『真夜中の檻』(創元推理文庫)

日本の,ある程度長い怪奇小説では,これが僕の一押し.
怖いというだけなら最近はいくらでもあるのだろうけれど,雰囲気が最高.

いまから20年位前には,日本の風土では怪奇小説の「長編」は成り立たない,という議論があった.
宗教がない中で「怪奇」で長編が成り立つわけがない,と.
実際,「怪奇探偵小説」はあっても,純粋に「怪奇」だけの長編は存在しなかった.
(ウソみたいな話でしょう?)

90年頃に景山民夫が「ボルネオ・ホテル」という長編の怪奇小説を書いたときには,
ずいぶん気張ってインタビューを受けていた記憶がある.日本でもできるんだ,と.

そういう中では,「真夜中の檻」は中篇というくらいのボリュームだけれど,例外的な存在だった.

平井呈一は怪奇小説翻訳の元祖で『ドラキュラ』を訳した人.
荷風の弟子で,荒俣宏の師匠.この本は彼が遺した唯一の創作集.

この文庫本には荒俣による「序 平亭先生の思いで」という文章が収められていて,
これがまた泣けます(もしかすると,泣けるというのはおかしいのかもしれないが).

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余談.日本語ラップにも,黎明期には「日本語では成り立たない」という意見があったんだよね.
いまから考えると不思議だし,若いアーティスト(の一部)はうまいなあと素直に思う.

さらに遡ると,日本語ロックにも同じ話があって,
はっぴいえんどと内田裕也の論争というか勝負というか・・・という話はさすがに有名か.

ちなみに,日本語ラップの「元祖」は,僕が敬愛するいとうせいこう氏.
彼はスチャダラが出てきたときに,もう自分は止めてもいいと思ったのだとか.

(ものすごく余談でした)
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怖い本をいくつか(1)「日本怪奇小説傑作集3」

2006年08月27日 | 本の話
『日本怪奇小説傑作集3』(創元推理文庫)

夏だから(もう終わった?),怖い本をいくつか紹介.

このシリーズは怪奇物のアンソロジーとしては決定版.さすが紀田順一郎.
代表的な傑作が網羅されている(とか言いつつ,持ってないんだけれど).

たとえば半村良の『箪笥』.
短編だし,内容を説明するのは野暮なので,パスするけれど,
「得体の知れなさ」をそのものとして提示するという,ある意味アクロバティックな名作.

僕も先日,講談社文芸文庫の『戦後短編小説再発見10 表現の冒険』で
久々に読んだのだけれど,やはりこれはいいよ.

 (半村良は日本SFの大家のひとり(故人)で,人情物で直木賞もとっている.
  代表作は『産霊山秘録』,いちばん有名な作品は『戦国自衛隊』か)

他のSF系の作家では,小松左京『くだんのはは』(これも名作)や
筒井『遠い座敷』(筒井の最高傑作のひとつ)なども入っていて,充実した内容.

そしてなんといっても,稲垣足穂の『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』が入っている!
これは僕があらゆる短編でいちばん好きなもののひとつで,
何度も何度も読み返している「お化け屋敷もの」.

お話自体は古く,何人もの作家が"リメイク"してます(泉鏡花とか).
読み比べてみるのも一興.

怖い話というのは,文学の王道とは言わないまでも定番であって,
漱石,鷗外,谷崎,芥川,幸田露伴に百と,文豪たちがたくさんの名品を残している.
ここから文学に入るのも悪くない.
僕も明治時代の小説(一葉とか)を読めるようになったのは,鏡花をたくさん読んでから.

だから怖い話が好きな人には,同じシリーズの1,2も薦めたいのだけれど,
読みやすいのは現代に近い「3」だと思うので,3から2,1とたどっていくのもいいかと思う.


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イエローテイルのシャルドネ

2006年08月26日 | つぶやき
イエローテイルのシャルドネ.近所のスーパーで900円弱.

このあいだ,フロンテラのシャルドネはちゃんとシャルドネの味がする,
と書いたけれど,これはそれよりもう一ランク上の味がする.

おいしいシャルドネの雰囲気がちゃんとあって,
価格や入手しやすさを考えると,やはりこれは最強のお手頃ワイン.

これで瓶の形がブルゴーニュ型だったらもっと気分が出るんだけれど.
シャルドネなんだから.
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A.J.ジェイコブズ『驚異の百科事典男』(文春文庫)

2006年08月26日 | 本の話
整理をしていたら出てきた本.
1年くらい前に読んだ本だけれど,面白いので紹介します.

自分の頭を良くするために,百科事典を頭から読んでいく男の手記.
なんと実話(たぶん).しかも読むのは『ブリタニカ百科事典』,全3万3千頁.

著者は仕事以外のほとんどの時間をブリタニカを読むことに費やし,
夫婦間の危機を迎えたり,
アメリカ版「クイズ・ミリオネア」(ちなみにアメリカが元祖です)に出たりしつつ,
それなりに波乱万丈の1年間を過ごす.この本はその記録.
1年で読めるものなんだ,ということも驚き.

圧倒的な親近感を感じてしまう僕も,広辞苑を全部読もうとしたことは何度かあります.
もちろん3日ともたずに挫折している.
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ミュージックマガジンのフリッパーズ特集

2006年08月26日 | 音楽
今月号のミュージックマガジンはフリッパーズ・ギター特集.表紙もパーフリ.
メジャーな雑誌(でもないか?)の表紙を飾るのは15年ぶりか.

で,ざっと立ち読みしてきたけれど,皮相というか,
昔あちこちに書かれていたことの精度の悪いコピーみたいな内容.
読む価値があるのは,当時の関係者へのインタビューだけ.

当時は馬鹿にして相手にしてなかったわけだからね.
今頃になって再評価に乗ろうというのはあさましい.
それとも,雑誌としての継続性はないのかな.

田島貴男も創刊何周年かのアンケートを求められたときに,
ピチカートでのアルバムで「ハートのないボーカリスト」(だったかな)と
酷評されたことは忘れない,って言ってっけ.
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2006年08月25日 | 音楽
WOWOWのフジロックで久々に電グルのライブを見て,
あらためて瀧はすごいと思いつつ.

思い出すのは7-8年前のこと.
海外のフェスか何か(ラブパレード?)で,数万人の欧米人を前に,
馬の着ぐるみ(腰から胴と後ろ足が出ているやつ)で仁王立ちする瀧の姿.
日本人として誇りに思いました.

大学の頃,よく麻雀しながら,電グルの1stを聴いたなあ.
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