弁当日記

ADACHIの行動記録です。 
青年海外協力隊で2006年4月からバングラデシュに2年間住んでました。

バングラデシュのニュース(2024/3/24) その4

2024年03月25日 | バングラデシュのニュース

■見出し(2024年3月24日) No2024-7
〇バングラデシュ人民共和国に対する無償資金協力「コックスバザール県における
 ミャンマーからの避難民及びホストコミュニティのためのキャンプ整備計画
 (IOM連携)」に関する書簡の署名・交換|
〇日本政府、バングラデシュのロヒンギャ難民とホストコミュニティの
 生活改善支援のため、UNICEFに4億円の無償資金協力を供与
〇親子向けのロヒンギャ料理教室で、無国籍や難民について知る
〇ロヒンギャ危機から5年半、長期化する援助の現場を訪ねて
 難民への「支援疲れ」で揺れる地元コミュニティに寄り添う日本のNGO
〇ミャンマーの少数民族ロヒンギャ130人がインドネシア・スマトラ島に漂着
〇「人道上看過できない」「実情を無視」なぜ高裁は痛烈に国の姿勢を批判したのか?難民訴訟でミャンマー少数民族の男性が逆転勝訴
〇難民はパレスチナだけにいるのではない、知られざるアジアの難民「ロヒンギャ」に迫る
〇投資家の信頼が高まるAgroshiftがADBベンチャーズから新たな投資を獲得
〇ビリヤニレストランから出火、45人死亡 バングラデシュ

■バングラデシュ人民共和国に対する無償資金協力「コックスバザール県における
 ミャンマーからの避難民及びホストコミュニティのためのキャンプ整備計画
 (IOM連携)」に関する書簡の署名・交換|
 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/pressit_000001_00394.html
 (外務省 2024年2月26日)

 2月26日(現地時間同日)、バングラデシュ人民共和国の首都ダッカにおいて、岩間公典
駐バングラデシュ人民共和国日本国特命全権大使と、アブドゥサトー・エソエヴ国際移住機
関(IOM)在バングラデシュ事務所長(Mr. Abdusattor ESOEV, Chief of Mission, IOM 
(International Organization for Migration) Country Office in Bangladesh)との間で
、供与額4億円の対バングラデシュ無償資金協力「コックスバザール県におけるミャンマー
からの避難民及びホストコミュニティのためのキャンプ整備計画(IOM連携)」に関する書
簡の署名・交換が行われました。

バングラデシュのコックスバザール県(ウキヤ郡及びテクナフ郡)にあるミャンマーからの
避難民のためのキャンプでは、約93万人が暮らしており、過密化による人道状況の悪化のた
め、人間の安全保障に係る複数のセクターにおいて、迅速かつ継続的な支援が必要な状況で
す。また、キャンプ内には、ホストコミュニティの住民が避難民と共同で利用する土地や施
設もあり、避難民キャンプの整備は、避難民だけでなく、ホストコミュニティを支援するこ
とにもなります。
本協力は、IOMとの連携の下、コックスバザール県におけるミャンマーからの避難民キャン
プにおいて、水・衛生(トイレ・入浴・給水施設の維持管理、歯ブラシの配布等)、減災対
策(避難用施設の改修等)、シェルター整備(資材配布、建設等)、用地管理・整備(斜面
安定化、排水路・道路の整備等)及び避難民の保護(女性・子供が安全な空間の提供等)等
の複合的な支援を行うものです。本協力により、避難民の生活状況の改善及びホストコミュ
ニティの生活状況が改善し、もってバングラデシュの社会脆弱性の克服に貢献することが期
待されます。
(参考)バングラデシュ人民共和国基礎データ
 バングラデシュ人民共和国は、面積約14.7万平方キロメートル(日本の約4割)人口約1億
7,119万人(2022年、世界銀行)、人口1人当たり国民総所得(GNI)2,820ドル(2022年、世
界銀行)。

 

■日本政府、バングラデシュのロヒンギャ難民とホストコミュニティの
 生活改善支援のため、UNICEFに4億円の無償資金協力を供与
 https://www.unicef.org/tokyo/news/2024/unicef-and-japan-join-hands-improve-well-being-bangladeshi-and-rohingya-children-japanese
 (UNICEF東京事務所 2024年3月1日)

務所副代表のエマ・ブリガム。
2024年3月1日 ダッカ(バングラデシュ)発

日本政府は、コックスバザール県及びバシャンチャール島に身を寄せるロヒンギャ難民の子
どもや女性、ホストコミュニティのぜい弱な人々に対する命を守る支援を拡大するため、国
連児童基金(UNICEF)に4億円の無償資金協力を実施しました。本資金協力で行われる「コ
ックスバザール県及びバシャンチャール島におけるミャンマーからの避難民のための複合的
な人道支援計画」によって、両地域の難民キャンプに身を寄せる17万6,000人以上のロヒン
ギャ難民とホストコミュニティの人々に支援が行われます。

本事業は総合的かつ分野横断的な人道支援を提供することを目的としており、子どもたちと
その家族に、教育、水と衛生、保健、栄養サービスへのアクセスを提供します。また、避難
民を受け入れているコミュニティの社会・行動変容の促進にも重点を置いています。

「ロヒンギャの子どもたちが、彼らの権利を十分に行使できるようにすることが重要です。
教育がなければ、難民の子どもたちはより良い未来への希望を持つことができません。安全
な水や衛生サービスがなければ、子どもたちは命の危険にさらされ、生存の機会が脅かされ
てしまいます。」と、UNICEFバングラデシュ事務所代表のシェルダン・イェットが語ります

さらにイェットは、「日本政府と国民の皆様のバングラデシュのぜい弱なロヒンギャ難民の
コミュニティへの寛大なご支援に、心より感謝申し上げます。この度の貴重なご支援により
、UNICEFはロヒンギャの子どもたちとその家族に対し、命を守る支援を拡大することができ
ます。」と述べました。

岩間公典駐バングラデシュ人民共和国日本国特命全権大使は、日本政府の支援がロヒンギャ
難民とホストコミュニティ双方の生活環境の改善に寄与することを期待し、次のように述べ
ました。

「ロヒンギャ危機が長期化するにつれ、子どもたちの状況がさらに深刻化していることを懸
念しています。日本はミャンマーへの早期帰還を含む持続可能な解決に向け、UNICEFを含む
国際機関と協力して、難民とホストコミュニティの生活環境の改善のために引き続き取り組
んでいきます。日本の資金協力がロヒンギャ難民やホストコミュニティ、特に子どもたちが
直面する課題への取り組みに貢献することを期待しています。」

2017年8月にロヒンギャ難民危機が発生してから、日本政府は本資金協力を含めて計4,365万
米ドル以上をUNICEFの同国における難民支援事業に拠出。バングラデシュにおける難民対応
に揺るぎない支援を行い、影響を受ける何十万人もの人々の生活の改善に貢献しています。

 

■親子向けのロヒンギャ料理教室で、無国籍や難民について知る
 https://www.tbsradio.jp/articles/79641/
 (TBSラジオ 2024年01月27日)

 様々な事情で国籍がない「無国籍」の人は、世界で少なくとも430万人はいるとみられま
す。日本にも暮らす「無国籍」の人の存在を知ってもらおうと活動するNPO法人「無国籍ネ
ットワーク」が12月23日、親子で参加する、ロヒンギャ料理の教室を都内で開きました。
 ロヒンギャは、ミャンマーの少数民族で、主にラカイン州に暮らしていますが、国民とみ
なされず、不法移民として扱われています。差別から貧しい暮らしの人も多く、迫害され、
隣のバングラデシュほか国外に、難民として逃れる人も大勢います。
 料理教室の先生は、日本で暮らすロヒンギャの長谷川留理華さん。12歳で日本に来た長谷
川さんは、今は5人の子供を育てながら、通訳の仕事などをしていて、無国籍ネットワーク
の運営委員の一人です。手間や時間がかかるので、長谷川さんが先に用意しておいた料理が
「ビリヤニ」。南アジアと周辺の国々でよく食べられる、カレースパイスを使った、ちょっ
と辛い炊き込みご飯です。長谷川さんは「圧力鍋がない地域で作ってたので、空気がでない
よう鍋に入れて炊き込むのが普通ですが、最近は便利なので、炊飯器で作っています。皆さ
んも忙しい方がほとんどだと思います。子供がいると、いちいち何か、焦げてないかなとか
って気にするとか、忘れちゃう時あるじゃないですか。そういう時、助かります。あと、鶏
肉は骨ありを本来は使うんですが、きょうは骨なしを使いました。子供に食べさせたいとい
う時は、骨なしがおすすめです」と話しながら、作り方や使う香辛料などについて丁寧に説
明しました。

 参加者が作ったのは、多民族国家ミャンマーでは、どこでもよく食べられている「ラペッ
トゥ」。お茶の葉の漬物を使ったサラダのような料理です。テーブルには、材料のキャベツ
やトマト、豆に干しエビが並び、親子でそれを切ってゆきます。そこに、長谷川さんが用意
した「サラダの元」、お茶の葉をニンニクなどと一緒に漬け込み発酵させたものを、混ぜ合
わせます。長谷川さんは香辛料を調節して、辛いのと甘いの、二種類の「サラダの元」を用
意し、希望を聞いて配っていました。

 試食になると子供たちからは「ラペットウは豆が入っていて、カリカリする」とか「ビリ
ヤニは給食のカレーより辛い」といった声。親たちからは、「発酵したお茶の葉のうまみを
感じる」とか「ビリヤニはナッツやフルーツを上手く使ってるなあ」といった、様々な声が
あがっていました。

 食後は、無国籍の女性の体験を元にした、子供向けの絵本「にじいろのペンダント 国籍
のないわたしたちのはなし」(大月書店)の読み聞かせ。「無国籍ネットワークユース」の
ボランティアの大学生たちが、長谷川さんの子供たちと一緒に読みました。

 そして、長谷川さんが、ミャンマー国内でロヒンギャが置かれている状況や、無国籍とは
どういうことなのか、自身の体験を踏まえて説明しました。ミャンマーの民主化運動に関わ
り、軍事政権から迫害されて、日本に逃れた父親を追って、母親や兄弟と一緒に、12歳で日
本に移り住んだ長谷川さん。自分はパスポートを持たない、「国籍がない」ということにつ
いて色々と考えるようになったのは、高校卒業の頃からだったそうです。「最初は無国籍が
何かもわからないので、あってもなくてもいいと思って生きてきました。でも、実際、高校
とか大学とかに入る時に無国籍だからどうのこうのっていう壁にぶつかりました。高校から
、建築の専門学校に進んだんですけど、卒業のためには、ヨーロッパに留学して6ヶ月間勉
強しなければならなかったんです。でも、私は、無国籍なので、ビザが下りなくて、留学で
きなかったんです」と話しました。

 その後、苦労して日本国籍を取得した長谷川さんは、通訳の仕事のほか、ロヒンギャの状
況や難民、無国籍について知ってもらう活動を行っています。特に最近力を入れているのは
、この日のイベントのように、子供と子育て世代へ向けての発信です。
 イスラム教徒の長谷川さんは、中学校で、給食に信仰上食べられない食材が多く、1人だ
け、カレーの弁当を毎日持っていっていました。そのため、「カレーばっかり食べているか
ら、そんな肌の色なんだ」とひどいいじめにあいました。最近は、学校現場でも、異なる文
化で育った子どもへの配慮は普通になりつつありますが、長谷川さんは「給食をみんなで一
緒に食べる経験も楽しい」と考えています。なので、自分の子供の弁当は、学校と打ち合わ
せ、イスラム教徒が食べられる食材を使い、給食のメニューに近づけるなどの工夫をしてい
るそうです。
参加した一人の子供は「楽しかったし、学校では絶対習わないようなこと、聞かないような
ことを知って、いい機会になったかなと思います」と話し、その親は「美味しいものを食べ
て、かつ知識も得られて、本当に来てよかったと思います」と話しました。「サラダを作る
のが面白かった。苦手なトマトもまろやかな味になって、食べられました」と話す子供の親
は「子供にはすごく理解が難しいと思うんですが、味とか、作ったという体験は絶対に残る
ので、大人になった時に、もうちょっと理解できるようになった時に、すっと入ってくると
思うんです」と話していました。
 長谷川さんもイベント後に「小さい子がいつか、ロヒンギャとか無国籍という言葉を目に
した時に思い出す、そういう記憶にしてもらえればありがたいです」と話していました。

 「親子向けのロヒンギャ料理教室と絵本の読み聞かせ」を「無国籍ネットワーク」が企画
したのは今回が初めて。アジア福祉教育財団の後援で、次回は2月11日。定期的に開いて
いく予定です。

TBSラジオ「人権TODAY」担当 崎山敏也(TBSラジオ記者)

 

■ロヒンギャ危機から5年半、長期化する援助の現場を訪ねて
 難民への「支援疲れ」で揺れる地元コミュニティに寄り添う日本のNGO
 https://courrier.jp/news/archives/315274/
 (クーリエジャポン 2024年2月8日)

約800万人のウクライナ難民が逃れた欧州から支援に対する疲弊の声が聞こえてくる昨今、
国際協力の現場では難民の受け入れ国をどう支えるかが大きな課題となっている。

約90万人のロヒンギャ難民を5年半もの間、保護し続けるバングラデシュで、難民と地元住
民の双方を支援する国際NGO「世界の医療団 日本」の取り組みを取材した。
「油は1日スプーン3杯までと聞いて、びっくりしました。いまは2日で1リットルは使ってい
ますから」

バングラデシュ南東部コックスバザール県に暮らすモハマド・カーローさん(55)は、驚い
た様子でそう話す。

彼はこの日、日本の国際NGO「世界の医療団 日本」がおこなう非感染性疾患(NCDs)の啓発
ワークショップに参加していた。「こういう集まりに来たのは初めてですが、とても勉強に
なりました。持病の喘息を改善するため、食生活を改善したい」と語る。

支援の長期化で高まる「反難民感情」

世界一長い自然海岸線がある観光地として有名なコックスバザールは、近年、隣国ミャンマ
ーから逃れてきたイスラム系少数民族ロヒンギャが暮らす難民キャンプの存在で知られる。

もともとロヒンギャは、バングラデシュ国境に近いミャンマーのラカイン州北部に多く居住
していた。ところが、2017年8月にミャンマー国軍がロヒンギャを標的に大規模な軍事弾圧
をおこなったことから、数ヵ月間に70万人以上がバングラデシュに逃れた。それからすでに
5年半が経つが、コックスバザールの国境付近にある巨大な難民キャンプには、約94万人の
ロヒンギャが依然として避難生活を送る。


世界の医療団は危機が起きた当初から、難民キャンプで保健医療分野の支援活動をおこなっ
てきた。2018年8月には、難民のボランティアによる保健衛生の啓発活動をキャンプで開始
し、2019年5月から同様の活動を地元コミュニティにも展開する。

難民が来た当初、地元コックスバザールの住民は、同じイスラム教徒のロヒンギャに対して
同情的だった。ところが、月日が経ってもいっこうに本国への帰還が始まらないことから、
「ロヒンギャが来たせいで、家賃や物価が高騰している」「我々の雇用が奪われている」と
、難民に対する反感が高まっている。

コックスバザールのラム郡に暮らすモルジーナ・アクタルさん(35)も、「ロヒンギャ難民
が来てから、物価が上がって生活が大変。私たちにだって支援が必要です」と不満を漏らす

2021年2月にはミャンマーで軍事クーデターが発生し、ロヒンギャ難民がすぐに帰還する可
能性はさらに低くなった。難民キャンプを長く取材する地元記者は、「2023年末以降にバン
グラデシュでは大統領選が予定されている。反ロヒンギャ感情を政治利用しようと、地元住
民を扇動する政治家が出てくる可能性もある」と危惧する。

難民を受け入れたコミュニティの困窮は、世界共通の課題でもある。最近では、800万人以
上のウクライナ難民を受け入れた欧州の「支援疲れ」を伝えるニュースが頻繁に報じられる
。また国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、世界の難民の83%をコロンビアやパ
キスタンといった低中所得国が受け入れている。もともと経済や治安の面で不安がある国に
大勢の難民が移住することで、その国の社会情勢がさらに悪化し、新たな問題が起きるケー
スもある。

それゆえ近年、「国際協力の現場では、難民だけでなく彼らを受け入れている周辺コミュニ
ティも支援することが求められる」と、世界の医療団でバングラデシュ事業を担当する中嶋
秀昭さんは言う。

2018年に国連総会で採択された「難民に関するグローバル・コンパクト」でも、受け入れ国
やホストコミュニティへの支援を充実させ、負担と責任を軽減することの重要性が強調され
ている。

こうしたニーズの高まりを受け、世界の医療団はロヒンギャ難民キャンプと地元コミュニテ
ィの両方を対象に、糖尿病、高血圧、慢性呼吸器疾患といったNCDsの予防のための啓発活動
を実施している。


「気にかけてくれて嬉しい」

世界では毎年NCDsが原因で4100万人が亡くなっており、全死因の74%を占める(世界保健機
関、WHO)。日本でもおよそ8割の死亡がNCDsに起因する。NCDsの問題は中所得国でも深刻で
、バングラデシュでも全死因のうち67%を占める。

しかしながら、中嶋さんによれば、国際協力の医療支援では、感染症や母子保健などの緊急
性の高い分野が優先され、NCDsの問題に取り組む団体は少ない。だが、医療人材の少なさや
個人の医療費負担の高さ、大きな病院が都市部に集中していることから、バングラデシュで
は特に地方で医療へのアクセスが限られている。

それゆえ、NCDsを予防する食生活や運動習慣を身に着け、疾病を積極的に予防することが、
コックスバザールの農村地域に暮らす人たちには重要となる。

世界の医療団が実施する地元コミュニティでの啓発ワークショップでは、バングラデシュ人
の有償ボランティア2人が中高年のいる家庭を個別訪問し、生活習慣の改善方法を教える。

前出のモルジーナさん宅でのワークショップに参加させてもらうと、当人だけでなく、子供
たちや近所に住む人までもが集まっていた。聞けば、海外のNGOの啓発活動がこの地域でお
こなわれるは初めてだという。参加者のひとりゾレカ・ベゴンさん(32)は、「糖尿病を患
う兄に役立つ知識が得られないかと思い、やって来ました。近所に小さな診療所はあるが、
診察費の工面が難しい」と語る。

ワークショップを担当したボランティアのデルワー・ホシェンさん(25)と、ハフサ・アク
タルさん(32)は、モルジーナさんたちに「お米の食べ過ぎはよくないので、代わりに果物
や野菜をたくさん食べるようにしてください」「1日30分は運動するといいですよ」といっ
たことを明快に説明する。参加者は、イラストや写真がふんだんに使われた紙芝居のような
資料を熱心にのぞきこむ。

中嶋さんによれば、バングラデシュにおけるNCDs発症の主な原因は主食や油、塩を多く摂取
する食生活にあるという。課題のひとつは、習慣の改善をどう促すかだ。人々の行動を無理
なく変えるため、摂取すべき果物や野菜は地元でとれるものを紹介する。また、農作業など
の身体を使った労働も運動に含むなど、住民の生活スタイルに合わせて、柔軟にアドバイス
する。

こうしたワークショップは同じ世帯で数回おこなわれ、2回目以降は生活を改善するための
方法を参加者と共に考えていく。家庭訪問だと参加者が女性になる場合が多いため、病院や
集会所で男性を対象にしたワークショップを開催することもある。

モルジーナさんはワークショップ終了後、「米や油は体力がつくと思ってたくさん食べてい
たので、摂り過ぎないほうがいいと聞いて驚いた。海外の支援団体が、私たちの健康を気に
かけてくれて嬉しい」と語る。

「外で働くのは初めて」

こうした活動は、ボランティアの若者たちにとっても貴重な学びの場だ。バングラデシュは
コロナ禍前までは毎年6~7%の経済成長率を示す急速な発展を遂げていたが、農村ではまだ
教育や就業の機会は限られる。

国連世界食糧計画(WFP)によれば、コックスバザールでは人口の33%が貧困線を下回る生活
をしており、国内で最も貧しい地域のひとつだ。最近はコロナ禍やウクライナ戦争によって
国内経済が打撃を受けており、人々の生活はさらに苦しさを増す。こうした状況で、保健衛
生の知識を学びながら働ける世界の医療団の職場環境はありがたい、とボランティアたちは
口をそろえる。

デルワーさんは言う。

「世界の医療団の活動のおかげで、地元コミュニティに暮らす人たちがみな健康になりまし
た。この仕事を通して、自分の生まれ育った地域に貢献できることが嬉しいです」

世界の医療団で働きはじめるまでは主婦だったというハフサさんは、人生の新しい扉を開い
てくれたこの仕事に感謝しているという。

「私にとって、外で仕事をするのは初めての経験です。たくさんの出会いや学びがあるこの
仕事にやりがいを感じています」

15人いるボランティアたちは、わかりやすく説明する「話し方のスキル」も学ぶ。ボランテ
ィアを始めて2年近くたつジョイナル・ウディンさん(25)は、自身の成長を次のように語
る。

「この仕事をするまで、人にものを教える機会はありませんでした。話すスキルを磨いたお
かげで、病院でのワークショップやコミュニティの集まりなどで、大勢の人を前にしてもわ
かりやすく話せるようになりました」

また、バングラデシュ人ボランティアが難民キャンプに赴き、自分たちよりキャリアの長い
ロヒンギャのボランティアから啓発のためのスキルを学ぶ研修会もおこなわれている。草の
根のレベルで難民と地元住民の交流が進んでいるのだ。中嶋さんは言う。

「ボランティアの若者たちが、この活動を通して多くのことを学び、それに喜びを感じてい
ることが嬉しいです。彼らの成長を今後の活動に生かしたいと思います」

日本を含む多くの国で少子高齢化が進んでいることから、新たな労働の担い手として移民・
難民をどのように受け入れていくかは世界的な関心事だ。SDGsには、移民は持続的な開発に
重要な貢献ができるとあるが、対応を間違えれば、反難民・移民感情が受け入れ国の政情を
不安定化させる可能性もある。

国際社会に求められているのは、難民と地元住民が共生できる社会を作れるよう、受け入れ
国を支援し続けることだろう。当事国でなくても、その取り組みから多くを学べるはずだ。

 


■ミャンマーの少数民族ロヒンギャ130人がインドネシア・スマトラ島に漂着
 https://www.sankei.com/article/20240201-CXEFZJTUOJLIJBOXRYOMNULJFY/
 (産経新聞 2024年2月1日)

インドネシア・スマトラ島アチェ州の浜辺に1日、ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒ
ンギャ約130人を乗せた船が漂着した。地元メディアが伝えた。国連難民高等弁務官事務
所(UNHCR)によると、昨年は漂着者が2288人に上り、2022年から約4倍に急
増している。

UNHCRは報告書で、不安定なミャンマー情勢に加え、バングラデシュの難民キャンプで
人道支援が後退していることや、密航業者の暗躍が急増の背景にあると指摘。22~23年
には海での死者・行方不明者が約千人に上ったとし「恐怖と絶望がまん延し、危険を承知で
船旅に出る要因になっている」と警告した。

昨年11月14日~今年1月22日に漂着した1752人のうち、74%は女性や子どもだ
という。

アチェ州では地元住民が漂着者の下船を妨げるなど反発が出ている。(共同)

 

■「人道上看過できない」「実情を無視」なぜ高裁は痛烈に国の姿勢を批判したのか?難民
 訴訟でミャンマー少数民族の男性が逆転勝訴
 https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1010262?display=1
(TBS NEWS 2024年2月23日)

「世界人権宣言の趣旨にも反し人道上看過できない不相当な主張」「難民申請者の実情を無
視」「まったく意味のない的外れな主張」--ミャンマーの少数民族ロヒンギャの男性が、
国に難民認定を求めた裁判で、今年1月、名古屋高裁は男性の逆転勝訴を言い渡し、確定し
た。注目したいのは、判決が国(出入国在留管理庁)の姿勢を痛烈に批判していたことだ。
何が問題とされたのか。国際人権法の専門家とともに追った。(元TBSテレビ社会部長 
神田和則)

ミャンマーの国籍が認められないロヒンギャ
ロヒンギャは仏教徒が多数を占めるミャンマーでは少数派のイスラム教徒だ。西部ラカイン
州の出身だが、国籍法では、隣国バングラデシュから流入してきた不法移民とされ国籍を認
められていない。

民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんが国家顧問に就任した後も状況は変わ
らず、2017年には国軍による大規模な武力弾圧で70万を超える難民がバングラデシュ
に逃れた。国連調査団は「ロヒンギャはジェノサイド(集団殺害)の深刻なリスクの下にあ
る」と報告書をまとめている。

国際人権法が専門で、法務省の難民審査参与員も務めた阿部浩己明治学院大教授は語る。
「ロヒンギャの人たちが、本来、持つべき国籍をはく奪され、激しい差別を受けてきたこと
は国際的な常識で、ロヒンギャであればまず問題なく難民と認定できるはず」

そのロヒンギャの男性を巡る裁判で、なぜ1、2審の判決が正反対になったのか。

「ミャンマー国内全域でロヒンギャの民族性を理由にジェノサイドが行われているとは認め
られない」(1審判決)
男性は2007年12月に来日した。ロヒンギャであり、ミャンマーで民主化運動にも関わ
ってきたことなどから、帰国すれば迫害を受ける恐れがあるとして、4回にわたり難民認定
を申請した。しかし、いずれも不認定となったため、裁判を起こした。

国は、男性がロヒンギャであること自体に疑問を呈するなど全面的に争った。主な主張を挙
げてみる。

▼ロヒンギャは範囲が極めて不明確。ロヒンギャと名乗る集団は近年形成されたもので、民
族が存在しているか疑問。
▼ミャンマーで国籍を取得できるかどうかは、国籍法の要件に当たるか否かで決められてい
る。それに当たらない者に国民としての権利を与えないのは当然。
▼強制労働、土地没収、イスラム教徒への迫害は、主にラカイン州北部でのことで、男性が
住んでいたヤンゴンについての状況は一切明らかにされていない。
▼男性がロヒンギャであると裏付ける証拠は、在日ロヒンギャ団体の会員証以外にはまった
くない。

1審名古屋地裁(日置朋弘裁判長)は、昨年4月、男性をロヒンギャと認めたものの、国側
の主張に沿って「ミャンマー国内全域で民族性を理由にジェノサイドが行われているとは認
められない」「男性の本国や日本での政治活動の程度に照らせば、帰国した場合に逮捕や収
容のおそれは認められない」などとして、訴えを退けた。男性は控訴した。

「難民申請者が置かれた実情を無視する国の主張は失当」(2審判決)
「難民の認定をしない処分を取り消す。法務大臣は難民の認定をせよ」
今年1月、2審の名古屋高裁(長谷川恭弘裁判長)は、男性の主張を全面的に認める判決を
言い渡した。最初の申請から実に16年。阿部教授は「難民条約の理念をまさに体現して“
難民認定はこうあるべきだ”と説いた判決、国際的な評価にも耐え得る内容だ。地裁判決と
対比してみると、そのゆがみが鮮明にわかる」と高く評価した。

高裁判決の考え方はこうだ。
まず最初に、難民が「自分は難民だ」と証明することの難しさについて述べる。
「難民は迫害を受ける恐れがある者で、一般的に非常に不利な状況に置かれているから、自
分自身に関する事実でも、難民であると証明する十分な客観的資料を持って出国することが
期待できない(持っていれば出国自体を阻止される可能性が極めて高い)。そればかりでな
く、出国した後も資料の収集は困難」

続いて裁判官の判断のあり方に言及する。
「裁判所が判決を出すにあたり、(本人の)供述を主な資料として、恐怖、国家機関や公務
員への不信感、時間の経過に伴う記憶の変容の可能性、置かれてきた環境の違いなども考慮
して、基本的な内容が首尾一貫しているか、(供述が)変遷した場合に合理的な理由がある
か、不合理な内容を含んでないかなどを吟味し、難民であると基礎付ける根幹の主張が認め
られるか否かを検討すべき」

そのうえで、国が「難民に当たると基礎付ける諸事情の有無および内容等は、申請者が正確
に申告することが容易である」と主張したことに対して「申請者が置かれた実情を無視する
もので失当」と強く批判した。

阿部教授が解説する。


「難民条約で国は、迫害を受ける国に難民を送り返してはならないという重い義務を負って
いる。国や地裁判決は『高いレベルで証明ができないならば難民ではない』と決めつけるが
、そうなると、本当は難民であるのに送還されてしまう事態が起きてしまう。高裁判決は、
細かい点で矛盾があったとしても、大事なところが一貫していれば難民と認めるべきだとい
うグローバルな考え方に立っている」

「(国の主張は)世界人権宣言の趣旨にも反し人道上看過できない」(2審判決)
高裁判決は次に、ミャンマーにおけるロヒンギャの状況(出身国情報)に言及し、過酷な現
状を認めた。
基になったのは国連、オーストラリア、アメリカ、イギリスなどの報告書や高官の発言だ。

「そもそも市民権が公的に認められていない」
「不法に出国したロヒンギャが帰国した場合、ヤンゴンに住んでいたか否かに関わらず、刑
務所や収容所に移送される可能性がある」
「(21年の軍事)クーデター前、ロヒンギャの虐殺は主にラカイン州で行われ、治安部隊
が関与。クーデター以来、超法規的殺害は国内各地で報告され、強制失踪は全国に拡大し、
件数も大幅に増えた」

そして、国の姿勢を強く批判した。
「国は、ロヒンギャが正常に国籍を取得できず、差別を受けている状況について、『要件に
該当しない者に国民としての権利を与えないのは当然』などと主張するが、世界人権宣言の
趣旨にも反する人道上看過できない不相当な主張を言わざるを得ない」

阿部教授は、「1、2審の決定的な違いは出身国情報の扱いにある。地裁は、難民認定をし
ない方向で情報の一部を切り貼りしているが、高裁はすべてをしっかりと読み込んで的確に
評価し、保護の必要性があると判断している」と述べた。

「国の主張はまったく意味のない的外れと言わざるを得ない」(2審判決)

以上の判断を踏まえて、高裁判決は、男性の「個別の事情」にふれる。
まず、男性はロヒンギャであり、裁判に提出された出生届の謄本から、ラカイン州で生まれ
たと認めた。
そして、2003年に民主化を求めるデモに参加して逮捕され、禁固2年6カ月の刑を受け
、受刑中にロヒンギャを理由に警官らから暴行された、▽出所の際には今後、政治活動に関
わった場合、厳しい処罰を受ける旨の誓約書を書かされながらも、民主化運動に関わった、
▽日本に来てからもミャンマー大使館前での抗議デモに加わり、新聞に自分の写真が掲載さ
れた--などから、「迫害を受ける客観的、現実的な危険があったと容易に認めることがで
きる」と難民性を認めた。

男性の供述の一部に変遷があるとされた点については、ミャンマー人通訳が「ロヒンギャに
対する民族的偏見や嫌悪から誠実さを欠いていた可能性」を指摘した。

さらに、ここでも判決は国の主張を強い言葉で批判した。
「国はクーデター後、男性が本国の政府当局から政治活動を理由に訪問を受けることがなか
ったなどと言うが、男性はミャンマーの主権が及ばない日本にいるのであって、帰国した場
合にどうなるかが問題とされる本件において、まったく意味のない的外れな主張と言わざる
を得ない」

付言しておくと、高裁は、国が男性の写った新聞記事を持っていながら証拠として提出しな
かったことにも「とうてい公正な態度とは言い難い」と述べた。

この記事を巡っては、入管当局が不認定とした後の2次審査で、難民審査参与員が男性に、
「重要な(写真が載った)新聞の紙名を覚えていないのか」「(日本のデモで)写った人を
、帰国して(軍が)わざわざ迫害するとは考えられないのではないか」と質問したことに対
しても、「難民申請者の置かれた状況に対する無理解を露呈、質問全体を見ても予断や偏見
がうかがわれ、公平な立場とは言い難い」と厳しく指摘した。

難民認定は国家の裁量ではない
日本は「難民鎖国」と批判されて久しいが、その原因は、入管当局が、今回の高裁判決とは
真逆の姿勢を取り続けてきたことにある。

阿部教授は述べる。
「難民認定は国家の裁量ではない。難民に該当しているから認定されるのであって世界人権
宣言に基づく人道的な措置だ。しかし入管は迫害の定義を狭く解釈し、立証のハードルを高
くし、迫害する側がその人を個別に標的にしていなければ難民と認めてこなかった。今回の
高裁判決は、司法が何のために存在しているのかを示した。この考え方が、入管庁の難民認
定でも、他の裁判所でも、生かされなければならない」

昨年、多くの反対を押し切って改定された入管法が、今年、施行されれば、3回以上の難民
申請者の強制送還は可能になる。

だが、入管当局はロヒンギャの男性の4回にわたる難民申請をすべて不認定にした。全国難
民弁護団連絡会議は「3回目以降の申請でも、裁判所によって難民と認められることが証明
された。高裁判決は法の施行に深刻な警告を発している。(問題の)条項の廃止を求める」
と声明を発表した。

あらためて言いたい。
入管法改定に際して、齋藤健法相(当時)は再三、繰り返した。

「保護すべき者を確実に保護する」

その言葉が、まさに問われている。

 

■難民はパレスチナだけにいるのではない、知られざるアジアの難民「ロヒンギャ」に迫る
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79951
 (JBPress 2024年3月19日)

 世界は難民で溢れている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2022年末時点
で紛争や迫害などにより故郷を追われた難民は1億人を超える。

 難民と聞くと、シリアやウクライナ、そしてガザ地区といった西アジアや中東を思い浮か
べる人が多いだろう。しかし、日本からそう遠くない東南アジアにも難民がいる。そのうち
の一つが、ミャンマーの「ロヒンギャ」と呼ばれる人々だ。

 3年前の2021年2月、ミャンマーで軍事クーデターが発生したことは日本人の記憶にも新し
い。なぜロヒンギャは難民となったのか、軍事クーデターとロヒンギャ難民に関係はあるの
か、今後ロヒンギャは祖国に帰還できるのか──。ミャンマー/ビルマ政治史を研究する長
田紀之氏(独立行政法人日本貿易振興機構 アジア経済研究所 研究員)に話を聞いた。(聞
き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)

 ──ミャンマーは、人口の約70%がビルマ族ですが、他にカチン族、カヤー族など、130
を超える民族を抱える多民族国家です。その中で、なぜ「ロヒンギャ」が迫害対象となって
いるのでしょうか。

 長田紀之氏(以下、長田):ロヒンギャの問題を考える前に、まずはミャンマーの歴史を
知る必要があります。

 数多くの少数民族のなかでのロヒンギャの特殊性は、土着の民族とみなされず、そのため
に国民とみなされてこなかったところにあります。それは、ミャンマーが近代国家として形
成されてきた経緯とも深く関わります。

 現在のミャンマーの国境線は、19世紀から20世紀にかけてのイギリス植民地時代におおむ
ねかたちづくられました。このとき、ミャンマーは、現在のインド、バングラデシュ、パキ
スタンを含む英領インドという枠組みに組み込まれるかたちで、イギリスの植民地となりま
した。この植民地時代に、中国やタイとの間に厳密な国境線が引かれていったのです。

 英領インド内のミャンマーでは、イギリスにより様々な経済開発が行われました。そのと
き、膨大な人口を抱えたインド亜大陸から、多くの労働人口が流入しました。こうした移民
の一部は経済的に成功し、ミャンマー経済の重要な部分を占めるようになります。

 つまり、イギリス植民地時代のミャンマーでは、イギリスが行政を支配し、インド系の人
々が経済的な力を有しているという状態でした。

 こうして、ミャンマーの人たち、特に主要民族であるビルマ族は、自分たちがずっと暮ら
してきた、自分たちが治めるべき土地がイギリスやインドに支配されているという感覚を持
つようになったのです。

 この感覚は、その後のビルマ族のナショナリズムへとつながっていきます。ビルマ・ナシ
ョナリズムの核には、上座部仏教の信仰や長い王朝の歴史、そのもとで育まれたビルマ語の
文化などがあります。

 しかし、それらに加えて、ビルマ・ナショナリズムには外来者への反発という性質も含ま
れます。植民地支配を行っていたイギリスだけではなく、植民地時代に経済的に重要な役割
を担っていたインド人に対する反発もありました。

 1948年に独立したミャンマーでは、主要民族であるビルマ族のナショナリズムを中心とし
た国づくりがなされました。

 ミャンマーの領土の周縁部には、ビルマ族とは異なる多くの少数民族がいましたが、ビル
マ民族中心主義のもとで、文化的背景の異なる少数民族は抑圧の対象となりました。当然、
それに対する反発が少数民族側から発生し、独立以来、数10年にわたり内戦が続きました。

 他方で、ミャンマー政府はインド人など外来者への反発をおさえるため、建前として土着
諸民族の連帯を主張しました。つまり、多くの少数民族を抑圧しながらも、それらを土着民
族であり、国民であると表向きに認めたのです。

 この点でロヒンギャは少数民族の中でも特殊な存在でした。

 ロヒンギャの人たちは、ロヒンギャもまた他の少数民族と同様にミャンマーの土着民族で
あると主張していますが、ミャンマー政府やビルマ・ナショナリズムの立場からは、「土着
でない」とみなされてきたからです。ロヒンギャの外見的特徴やムスリムであることも、そ
うした認識を補強する材料とされてきました。

 ──では、ロヒンギャの人々はどこにルーツを持つのでしょうか。

■ 「国家の中にいる他者」というレッテル

 長田:ミャンマーのラカイン地方北部には、もともとイスラム教を信仰する人たちが住ん
でいました。その人たちは、今のロヒンギャの一部の人たちの祖先だと考えられます。その
点で、「ロヒンギャはミャンマー土着の民族である」というロヒンギャの主張には一定の正
当性があります。

 ただ、先ほど申し上げた通り、イギリス植民地時代にはインド亜大陸からミャンマーへ大
量の労働人口の流入が起こりました。

 ラカイン州では、イギリス植民地化以降、州北部のムスリムの規模が爆発的に増大したと
するデータもあります。自然増にしては多すぎる増加です。つまり、北方からの移民として
ミャンマー側に定住した人もいるということです。

 国外からの移民であるムスリムが、ミャンマーの領土を侵している。ミャンマーの主要民
族であるビルマ族の多くは、そういう認識を抱いてきたのです。

 ──ミャンマーでは1962年に軍事クーデターがあり、その後、2011年まで軍事政権が続き
ました。軍事政権下で、ロヒンギャの人たちはどのような扱いを受けてきたのでしょうか。

 長田:多くの少数民族は、ビルマ民族中心主義的な国家づくりに対し、反発をしていまし
た。1962年に軍事政権が成立し、建前として多民族共存を声高に叫びます。とはいえ、実際
に少数民族に対して手を緩めるようなことはしませんでした。

 その中で、ガス抜きのためのスケープゴートのような存在として扱われたのがロヒンギャ
です。土着ではない、仏教徒ではないということが強調されたのです。ロヒンギャは「国家
の内部にいる他者」というレッテルを貼られ、とりわけ差別的な扱いを受けるようになりま
した。

■ ロヒンギャを迫害した差別的な法律

 長田:軍事政権は「ロヒンギャはベンガル(バングラデシュ)側から入り込んできた不法
移民である」として差別し、ときに武力でもって彼らを居住地から追い立てました。迫害を
恐れたロヒンギャは、国境を接するベンガルなどへと逃れました。

 さらに軍事政権は、1982年に国籍法を改正します。この国籍法で第一に「国民」と認めら
れるのは土着の諸民族でした。そのうえで移民の帰化条件が厳格化されます。ミャンマーに
帰化するためには、ミャンマー独立以前からミャンマー国内におり、かつそれを証明するド
キュメントがなければならなくなりました。

 ここで、国籍を持たせないよう、帰化すらできないよう標的とされたのがロヒンギャの人
たちです。

 独立前からミャンマー国内に住んでいたとしても、多くの場合、ロヒンギャの人たちには
それを証明するためのドキュメントがありませんでした。出生登録などの制度もあまり浸透
しておらず、加えて、ラカイン州は第二次世界大戦で大規模な闘いが繰り広げられたため、
ドキュメントがあったとしても往々にして混乱で失われていたのです。

 そして、独立後にミャンマー国内にやってきた人たちに対しては、帰化する可能性すら認
められませんでした。1982年に改正された国籍法は、そういう法律だったのです。

 物理的な武力行使によるベンガル側への追い出しと差別的な法律の制定によって、軍事政
権はロヒンギャの人たちを迫害していきました。

 ──2015年にアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が、総選挙で圧勝し、アウ
ンサンスーチーが国家顧問、外務大臣、大統領府大臣を兼任してミャンマー国内の政治的な
実権を掌握しました。アウンサンスーチー政権の設立によってロヒンギャの人々に対する政
府の対応に変化はあったのでしょうか。

 長田:ここで注意しなければならないのは、2010年代のミャンマーの「民主化」の準備を
したのが軍であるという点です。

 ミャンマー国軍は2000年代から、政権の民政移管を念頭に置き、政治体制の改革を行いま
した。2011年の民政移管の根拠となった憲法は、軍政下の2008年に制定されたもので、軍の
権益を残す規定を多く含んでいました。

 たとえば、軍の自律性が保障され、文民統制はありません。また、国会や地方議会の25%
の議席に加え、内務大臣、国防大臣、国境大臣などいくつかの主要な閣僚ポストを国軍が事
実上任命できました。

 したがって、ミャンマーの国家体制は、民主化したとはまったく言えない状況でした。
2016年にアウンサンスーチー政権が成立したとはいえ、内実はNLDと軍が権力を二分してい
る状態だったのです。

 ロヒンギャに対してスーチー氏がしたこと

 長田:また、アウンサンスーチーの権力は選挙を基盤としています。アウンサンスーチー
やNLDの主な支持者は、ミャンマーの主要民族であるビルマ族です。ビルマ族の多くは親NLD
・アウンサンスーチーであると同時に、軍事政権下のプロパガンダの影響もあってロヒンギ
ャに対する攻撃的な思想を持ち合わせている人もいました。

 たとえアウンサンスーチーといえども、ロヒンギャの肩を持つような発言をすると、それ
は彼女自身の人気に影響を及ぼしうる。つまり、選挙で勝てなくなる。そういうリスクがあ
ったのです。

 また、ミャンマーの民主化は国軍の自作自演ではありましたが、それにより言論の自由が
もたらされました。SNSの普及などにより、良いことも悪いことも、あっという間に拡散さ
れる世の中になった。

 この言論の自由により、2010年代のミャンマーでは反ムスリムの感情が再燃します。一部
ではムスリムの商売人からの商品購入を控えるようなキャンペーンが行われましたし、ラカ
イン州ではムスリムであるロヒンギャに対する暴力行為も発生しました。

 そんな中、2016年にラカイン州ではロヒンギャの民族的な利害を代弁する武装組織が軍に
対して攻撃をしかけます。これに対し、国軍は苛烈な報復行為に出ました。国軍の攻撃対象
となったのは、武装組織に限りません。武装組織を支持していると目される一般のロヒンギ
ャの人たちも、国軍の暴力にさらされたのです。

 これに対し、アウンサンスーチーもロヒンギャを取り巻く問題を解決しようと試みます。
ただ、先ほど申し上げたように彼女自身が直接動くことは難しい。そのため、2016年8月に
、元国連事務総長のコフィー・A・アナン氏をはじめとする海外有識者3名と国内有識者6名
で構成される諮問委員会を設置。1年にわたって調査を行い、その結果を2017年8月23日に最
終報告書として公表しました。

 ところが、その直後の8月25日未明、ロヒンギャの武装組織が再び国軍に対して襲撃。国
軍はロヒンギャへの報復措置を開始しました。ロヒンギャの人々には、わずか1年前の軍の
報復措置は鮮明な恐怖として焼き付いています。そして、国軍の攻撃から逃れるため、多く
のロヒンギャの人たちがバングラデシュへ難民として流出しました。

 この流出速度は非常に大きなものでした。2017年8月末に事件が起きてから、数カ月の間
でバングラデシュに逃れたロヒンギャの数は、70万人ともいわれています。元からいた難民
と合わせて、バングラデシュ側のロヒンギャ難民の数は100万人近くに膨れ上がりました。

 アウンサンスーチー政権成立によってロヒンギャの人たちに変化があったのか、という質
問への答えとしては、「政府としてはアクションを起こそうとした。しかし、それを上回る
ような大きな軍事的な動きが生じ、政府のポジティブな動きをかき消してしまった」という
ことになります。

軍事クーデターがロヒンギャに与えた影響

 ──3年前の2021年2月1日に、ミャンマーでは軍事クーデターが発生しました。2024年3月
現在も、国軍が政権を掌握している状況ですが、軍事クーデターはロヒンギャの人々にどの
ような影響を及ぼしたのでしょうか。

 長田:ラカイン州では、先ほど説明したように2017年にロヒンギャの大量流出が起こりま
した。その後、同州ではラカイン人仏教徒の民族武装組織であるアラカン軍と国軍との激し
い内戦が起こりました。

 ラカイン州に住むラカイン族(アラカン族)はミャンマーの少数民族の一つで、古くはラ
カイン州にアラカン王国という王国を築いていました。

 ロヒンギャとまではいかなくとも、ラカイン族も少数民族としてミャンマーでは抑圧され
た歴史を持ちます。ラカイン族はロヒンギャとも敵対関係にありましたが、当然、自身を迫
害する国軍とも良好な関係にはありません。

 2009年に設立されたラカイン族の武装組織・アラカン軍はたびたび、ミャンマー国軍との
衝突を繰り返していました。とくに2018年末から2年近くは、ラカイン州で非常に激しい戦
闘が繰り広げられました。

 しかし、クーデターの少し前に、国軍はアラカン軍と停戦協定を結びました。国軍はクー
デターを起こす際、いろいろな反発が起こることを予測していたのでしょう。クーデター前
に戦線を減らしておくため、アラカン軍と停戦したと考えられます。

 ミャンマー全体では、軍事クーデターを契機に内戦が激化したという見方ができますが、
ラカイン州については逆です。ローカルな戦争がいったん収束したのです。

 とはいえ、アラカン軍とミャンマー国軍の緊張関係は続き、2023年末から再び激しい戦闘
が起きています。そのような状態ですので、バングラデシュにいる約100万人のロヒンギャ
難民の帰還事業はそう簡単には遂行できません。

 クーデター前のアラカン軍の台頭以降、クーデターを経ても、難民の帰還はどんどん遠の
いているのが実情です。

 ──国軍政権下におけるNLDは、現在どのような状態なのでしょうか。

 

ミャンマーで始まったナショナリズムの変容

 長田:NLDはクーデター後も軍の政権奪取を認めないという立場で活動しています。2021年
4月には、NLDの一部の人たちが中心となって、並行政府「挙国一致政府(NUG)」を立ち上
げました。

 軍政は、いずれ選挙を実施して、その選挙で勝った勢力に政権移譲をすると公言してきま
した。しかし、この選挙からNLDを排除することは既定路線となっています。

 軍政が描く未来の中にNLDはありません。また、NLDが描く未来の中に軍はありません。両
者が対話する余地がほとんどなく、内戦が深刻化しているのが現状です。

 現在、一部のミャンマーの人たちの間では、ミャンマーの近現代史そのものを反省し、新
しい国家のかたちをつくろうという動きが出ています。ビルマ民族中心主義を反省して、多
様な民族の人たちが対等に国家の運営に携われるような真の連邦制を目指すべきだ、という
動きです。

 この動きの中で、ロヒンギャの人たちに対し、謝罪の意を表明するようなSNSの投稿をす
る人も現れました。これは特に若者を中心とした動きではありますが、これまでのミャンマ
ーの国家やナショナリズムの在り方をとらえなおし、もう一度新しい国家像を構築していか
なければいけないという考えが、今まさに盛り上がりを見せています。

 もちろん、一筋縄で実現するようなことではありません。しかし、人々の意識が変わりつ
つあるということは、一つの希望と言えるでしょう。

 ──ロヒンギャ問題を解決するためには、今後、誰がどのような行動をとるべきなのでし
ょうか。

 長田:先ほどのようにミャンマーの人たちの考え方やナショナリズム自体が変容を遂げて
いき、包摂的なかたちを取って、ロヒンギャの人たちがミャンマーという国家に参与できる
道が切り開かれていくことが理想です。

 ただ、これを実現するには、まだ時間がかかります。

 目下、我々ができることは、バングラデシュ側にいる100万人近いロヒンギャの人たちへ
の支援です。バングラデシュ政府や地元の住民だけに、負担が偏ることのないようにしてい
く必要があると思います。

 日本をはじめとする先進国には、ロヒンギャおよびバングラデシュに対する物資的、人道
的支援が求められていると感じています。

 関 瑶子(せき・ようこ)
早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画
部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。You Tubeチャンネル「著者
が語る」の運営に参画中。

 

■投資家の信頼が高まるAgroshiftがADBベンチャーズから新たな投資を獲得
 https://kyodonewsprwire.jp/release/202401305957
 (共同ニュース 2024年1月30日)

【ダッカ(バングラデシュ)2024年1月30日PR Newswire=共同通信JBN】バングラデシュの
アグリテック新興企業のパイオニア Agroshiftは、投資家の信頼を得ながら、農業サプライ
チェーンに革命を起こしつつ大きな前進を続けています。バングラデシュの生産者と消費者
をつなぐオムニチャネルのアグリコマース・プラットフォームであるAgroshiftは、マイク
ロフルフィルメント流通と組み込み型トレード・ファイナンスを通じて、より公正な価格設
定、市場アクセスの向上、買い手にとってより低価格で品質、利便性の高い商品の提供を目
指しています。

Agroshiftは2022年10月、当時バングラデシュ最大のプレシードラウンドで180万米ドルを調
達し、 ADBベンチャーズ(ADB Ventures)のような投資家が同社のモデルとミッションの計
り知れない将来性に惹かれて追随したことで、歴史に名を刻みました。

農家に力を与え、農業サプライチェーンを変革する

2022年、Qazi Bouland、Rameez Hoque、Diptha Sahaの各氏によって設立されたAgroshiftは
、物理的(フィジカル)なサプライチェーンインフラと、需要集約、調達の透明性、配送の
効率化のための組み込み型デジタルツールを融合させた、独自の「フィジタル」プラットフ
ォームを構築しました。この新興企業は、農家、商人、加工業者から成るサプライヤーネッ
トワークから、農産物、日用品、生鮮食品を中心とする食料雑貨を低・中所得消費者に供給
しています。Agroshiftは、「市場開拓」戦略として、大手既存企業が十分にサービスを提
供していない大きな2つの未開拓消費者層、すなわち、主に労働者向けの既製服(RMG)工場
の労働者とその周辺の低・中所得世帯に着目、これは150億米ドルの即時対応可能な市場チ
ャンスに相当する流通ルートです。

バングラデシュの農業事情

しかし、バングラデシュの零細農家や工場労働者は従来、非常に非効率的な農業サプライチ
ェーンのせいで十分なサービスを受けておらず、大量の食品ロスが発生していました。
Agroshiftは、直接調達、マイクロフルフィルメント、大規模な需要集約により、農家に適
正価格を提示しつつ、廃棄率を1%未満にまで減らしました。

AgroshiftのQazi Bouland共同創業者兼最高経営責任者(CEO)は「デジタル注文を戦略的に
配置された物理的集配拠点と一体化することで、私たちは効率的でインセンティブの働く青
果エコシステムを構築しました」と語っています。

目覚ましいけん引力と大胆なビジョン

Agroshiftは設立1年目から飛躍的な成長を遂げ、17万人以上のユニーク・ユーザーからの25
万件超の注文をこなし、年間売上高は前年比350%増加しました。

この新機軸は今年初め、ADBベンチャーズの目に留まりました。ADBベンチャーズの投資スペ
シャリストMinsoo Kim氏は「ADBベンチャーズは、農業サプライチェーンの効率化を目指す
Agroshiftと提携できることを大変喜んでいます。Agroshiftは、ティア2・ティア3都市の工
場や低・中所得世帯の需要を集約して活用することで、公正な価格設定、市場アクセスの向
上と価格の可視化、買い手にとってより低価格で品質、利便性の高い商品の提供を通じて、
農家や商人から消費者に至るまでバリューチェーンの主要プレーヤーに利益をもたらしてい
ます」と話しています。

今後のシード資金調達でチャンスをつかむ

Agroshiftは今後のシード資金調達ラウンドで、事業のさらなる強化を目指しています。同
社の戦略には、事業規模の拡大、サプライチェーンインフラの拡充、プライベートブランド
製品の倍増、技術プラットフォームの改良、サプライトレード・ファイナンスの拡大、優秀
な人材の採用などが含まれています。

Bouland氏は「Agroshiftの『フィジタル』モデルは、アグリコマースを近代化するだけでな
く、地域の食料システムのより持続可能な未来を創造します」と付け加えました。

2024年には60のファクトリーパートナーと20万人の定期ユーザー獲得を目指している、この
独創的なバングラデシュのアグリテック先駆者の未来は明るいでしょう。

詳細については、 https://agroshift.com/ をご覧ください。

▽Agroshiftについて

Agroshiftは、需要の集約、調達、配送を請け負うビジネスモデルを活用し、テクノロジー
が可能にしたサプライチェーンの提供により、農業生産者が農産物を企業や消費者に販売す
る支援をしています。

ソース: Agroshift

 

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