弁当日記

ADACHIの行動記録です。 
青年海外協力隊で2006年4月からバングラデシュに2年間住んでました。

バングラデシュのニュース(2018/8/27) ◆ロヒンギャ難民について

2018年08月28日 | バングラデシュのニュース
◆イベント情報◆
〇ツーリズムEXPO ジャパン2018 (2018/9/20~23)
 http://www.t-expo.jp/
〇日本最大級の国際協力イベント グローバルフェスタ2018 (2018/9/29,30)
 http://gfjapan2018.jp/

■見出し(2018年8月27日) No2018-52
〇ミャンマー:治安部隊、ロヒンギャ帰還民を拷問
 ゲリラ関係者とみなし難民を逮捕、虐待
〇ロヒンギャ流入、おびえる少数派=人口バランス激変-バングラ
〇12歳で結婚・妊娠 年間16000人もの赤ちゃんが生まれるロヒンギャ難民の性教育
 【山中章子アナウンサー】
〇18歳「ロヒンギャ花嫁」と難民キャンプの今
〇【ミャンマー】国際刑事裁に協力せず、ロヒンギャ問題で政府[政治]
〇ミャンマー政府は、バングラデシュ当局に対し、両国国境間の狭い緩衝地帯に住む
 6000人のロヒンギャ難民への支援を段階的に停止するよう求めている。
 13日、タイの新聞マティチョン電子版が報じた。
〇ミャンマー軍幹部の訴追要求 ロヒンギャ問題で国連調査団
〇ミャンマーの調査委「未解明の事実ある」 ロヒンギャ問題で
〇「全てがビジネス」、ロヒンギャ難民危機で駆動する経済 バングラ


■ミャンマー:治安部隊、ロヒンギャ帰還民を拷問
 ゲリラ関係者とみなし難民を逮捕、虐待
 https://www.hrw.org/ja/news/2018/08/21/321667
 (ヒューマンライツウオッチ 2018年8月20日)

(バンコク)ミャンマー当局者は、バングラデシュからミャンマーに帰還したロヒンギ
ャ難民を拷問、投獄していると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。こうし
た虐待は、ロヒンギャのミャンマーへの安全な帰還の実施にあたり、現地での国連によ
るモニタリングを含めた、国際的な保護の必要性を強めるものだ。

「ロヒンギャへの拷問は、帰還する難民に安全と保護を保証するとのミャンマー政府の
公約を裏切るものだ」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理フィル・ロ
バートソンは述べた。「安全で尊厳を保たれた帰還の確保というミャンマー側の言い分
とは裏腹に、帰還するロヒンギャは、避難を強いられる理由となった迫害と虐待にいま
だ直面しているのである。」

2017年に、ミャンマー国軍の民族浄化作戦を避けるためバングラデシュに逃れたロヒン
ギャ6人は、現金収入を得るためにラカイン州に戻った際、ミャンマー警察下の国境警
備隊(BGP)に別々に拘束されたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。未決勾
留中には治安部隊から拷問されたという。全員が即決裁判を受け、おそらく違法な越境
を理由に4年の刑を宣告された。

1カ月後、政府は6人を含む数十人を恩赦とした。2018年6月1日、当局はかれらを現地訪
問中のジャーナリストの一団に会わせ、ロヒンギャを十分に処遇し、帰還は安全である
ことを示そうとした。取材後に6人はバングラデシュに逃れた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ラカイン州マウンドー郡で別々に逮捕、拘禁された
3人の成人男性と3人の少年(最年少は16歳)に話を聞いた。6人は国境警備隊員から銃
口を突きつけられ、武装集団のアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)について繰り返し
尋問を受けたと話した。そして無理な姿勢の維持の強要、拳や棒、むちでの殴打、やけ
どや電気ショックを受けて、ARSAとの関係を自白するよう強要されたという。また拘束
中には、清潔な水も食べ物も満足に与えられなかった。

それからマウンドー郡の未決勾留施設に移送されたという。尋問では私服の軍情報部員
から鞭で殴られ、足で蹴られた。勾留状況もひどく、弁護士を頼むことはできず、審理
はほとんど理解できない言語であるビルマ語で進められたと話す。裁判所が複数人にま
とめて4年の刑を宣告すると、当局はかれらをマウンドー郡のブティーダウン刑務所に
移送した。ロヒンギャが大半を占める囚人数百人と一緒だったという。

5月23日、マウンドー郡の行政担当者は一列に並べたロヒンギャ囚人数十人に対し、ウ
ィンミン大統領が恩赦を命じたので、国籍未審査者向け身分証明書(NVC)を配布し、
釈放すると述べた。NVCとは、ミャンマー国籍を持つというみずからの主張を弱めると
して、多くのロヒンギャが受領を拒否する身分証明書である。アウンサンスーチーを補
佐する国家顧問局は5月27日付の声明で、ロヒンギャ58人に大統領が恩赦を出したこと
を認めた。訴訟が取り下げられたロヒンギャ4人も後日同じ措置を受けた。

当局側はこの62人のロヒンギャを、ガクヤ村落区にある国境警備隊施設に移送した。そ
こで当局者から、NVCを受け取るよう強要され、施設から出ようとすれば再逮捕すると
脅された。そしてフラポーカウンの一時キャンプに身柄を移されると、6月1日には、政
府当局者から政府主催のツアーに参加するマスコミの一団に面会させられた。ウィンミ
ャットエイ社会福祉・救援・再定住相はこの62人の帰還民に対し、家を再建する資金と
人道援助を提供し、バングラデシュから家族を連れてくることもできると述べた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが話を聞いた6人は、マスコミへの発言内容は事前に指
示されていたと話す。10代の少年は、この指示から外れた受け答えをしたところ、国境
警備隊員が口を挟んできて、最終的にはやりとりを打ち切ったという。一行が去ると、
BGPによる監視下に置かれ、フラポーカウンを出るなと命じられた。再び逮捕され、拷
問を受けることを恐れ、ヒューマン・ライツ・ウォッチがインタビューをした6人を含
む2つのグループが、バングラデシュ側に逃れた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府報道官を務めるゾーテイ国家顧問局長に繰り返
し電話をしたが、不在でコメントできないとの応答だった。

「今回のロヒンギャ難民への処遇は、ミャンマー当局が難民の安全な帰還を準備してい
ると信じる人びとへの警告だ」と、前出のロバートソン局長代理は述べた。「自発的で
安全な、尊厳の保たれた帰還の実現に必要な改革に真剣であることを示すに先立ち、ミ
ャンマー政府は多くの課題に取り組まなければならないのである。」



■ロヒンギャ流入、おびえる少数派=人口バランス激変-バングラ
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082500394&g=int
 (時事通信 2018年8月25日)

 ミャンマー西部ラカイン州で、治安部隊とイスラム系少数民族ロヒンギャの武装集団
が衝突し、ロヒンギャの住民が周辺国に大量避難を始めてから25日で1年が経過した
。バングラデシュ南東部コックスバザールに押し寄せたロヒンギャは膨大な数に達する
。一方で、コックスバザールには少数派の仏教徒やヒンズー教徒も暮らしており、増え
続けるロヒンギャにおびえる人もいる。
 この1年間、バングラデシュに逃れたロヒンギャは70万人近い。主要な難民キャン
プがあるコックスバザール県の二つの郡には、それまでの人口とほぼ同じ人数のロヒン
ギャが流入し、人口バランスは激変した。
 ロヒンギャ難民キャンプで支援に当たる国際機関関係者の運転手を務めるバングラデ
シュ人の男性(40)は、少数派の仏教徒。これまでは「イスラム教徒と衝突もなく、
家の窓やドアを開けたまま暮らせるほど平和だった」と昔を振り返った。

 しかし、昨年8月からのロヒンギャの大量流入で、恐怖を覚えるようになったと語る
。「仏教徒にミャンマーを追い出されてきた人たちだ。自分たちに仕返しをしないか不
安だ」と心情を打ち明けた。
 脳裏をよぎるのは、2012年にコックスバザール県ラムの仏教寺院がイスラム教徒
に襲撃された事件だ。それ以前にも1978年、92年とミャンマーを追われたロヒン
ギャがバングラデシュに移り住んできた。「ロヒンギャが寺院襲撃に加わっていたこと
は間違いない。難民はかわいそうだが、今後は何が起きるか分からない」と懸念する。

 ラカイン州から逃れてきた人々の中にも、少数派は存在する。ヒンズー教徒のニーロ
ム・ジョンさん(50)は「布で顔を覆った人たちに村を約1週間囲まれ、命を守るた
め400人あまりの村人と逃げてきた」と語る。包囲したのはロヒンギャ武装集団「ア
ラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)とみられている。
 取材中、難民キャンプを警備するイスラム教徒の警官が近づいてくると、ジョンさん
は「彼がいると話しにくい」と言って話を打ち切った。

 兆候はあった。ビルにひび割れがあるとの情報で前日に一時帰宅を命じられていた。
しかし会社は翌日、操業再開を決め、その直後に悲劇が起きた。

 従業員の安全を無視した労務体制に、内外の批判は得意先である多国籍アパレル企業
に向かった。バングラデシュの工場の安全を守る国際合意が結ばれ、日本のユニクロを
運営するファーストリテイリングも参加した。あれから5年、点検が強化され、労働組
合も増えるなどダッカ周辺の労働環境は少しずつ改善した。

 ただ約2500人とされる事故の負傷者は置いていかれがちだ。社会復帰を支援して
きたダッカの市民団体、障害者リハビリセンターの職員モシナ・スルタナ(28)は「
負傷者のトラウマは大きく、大半が工場労働を拒否している。だが他業種への転身はな
かなか成功せず、生活は苦しい」と指摘する。

 ヌプルもビルが怖くなり、工場の復帰はあきらめた。だが、買い手の外国企業への怒
りは口にしない。「英語が読めないから輸出先は今も知らない。当時、給与が入れば十
分だった」と答えた。

 ▽一人の仕立屋

 タタタタ…。中国・上海製の足踏みミシンが軽快な音を立てる。ヌプルは8畳ほどの
狭い自宅で民俗衣装の赤いズボン「パジャマ」を縫っていた。2日に1着ほどの注文を
受けて生地を切り、縫って仕上げ、月に数千タカを売り上げる。一人だけの仕立屋を始
めたのは事故から半年後。

 リハビリ中に、援助団体の支援申し出に「ミシンを1台ほしい」と答えた。「お金で
なくていいのか」と驚かれたが、自分にできる仕事はミシンだけだったから。

 工場の電動ミシンと違い、体力を使うので疲れるが、「ただの主婦でなく、プロの技
術だ」と評判は良いという。

 遠い国の外国人が身にまとう服を縫い、少しばかりの誇らしさを感じていた日々はも
うない。客は近所の顔見知りだけだ。「私は、世界の一部ではなくなってしまったけど
、それでいい」と思う。「服のすべてを自分で作ることはやりがいがある。電動ミシン
にして売り上げを増やしたい」とほほ笑んだ。

 長女シャミナ(15)は、初めて工場に入った時のヌプルと同い年。「私のために母
が働く姿を見てきた。勉強して将来は医師になる」と誓うように言った。

 メード・イン・バングラデシュ―。誰の手元に届こうと、ミシンに込められた願いは
世界中の働く人たちと変わらない。明日のために。家族のために。(敬称略、文・高山
裕康、写真・ザキル・フセイン)

<取材後記>

墓地 

 2016年に日本人7人らが殺害されたバングラデシュ飲食店襲撃テロ。射殺された
実行犯5人の遺体は、ダッカ南部の公営墓地に埋葬されている。そこはイスラム教の土
葬規定に従い、ホームレスや犯罪者など、引き取り手がない遺体も多く埋葬される。

 実行犯の墓のそばに、同じような盛り土が数十カ所目についた。墓守は「縫製ビル崩
落の犠牲者だ」という。質素極まる墓で、訪問者もほとんどいないように見えた。

 安価な衣料を求める競争で命を失った若者、インターネットのイスラム過激主義に扇
動された若者が隣に眠る。グローバル化の負の側面を思い、やるせなさを感じた。



■12歳で結婚・妊娠 年間16000人もの赤ちゃんが生まれるロヒンギャ難民の性教育
 【山中章子アナウンサー】
 https://www.fnn.jp/posts/00347240HDK
 (FNN PRIME 2018年8月14日)

今回は、ロヒンギャの子どもたちが受けている教育について報告する。

現在ロヒンギャキャンプ内には、子どもたちのためにユニセフが運営している非公式の
教育施設が3つある。
1:思春期の女の子たちのためのセンター
2:チャイルドフレンドリースペース
3:ラーニングセンター

性的暴行を受けた女性のための施設

今回は思春期の女の子たちのためのセンター(Adolescents Group)について。

このセンターは、ミャンマー軍の兵士に性的暴行を受けた女性や、児童婚をした少女た
ちのための施設だ。ただ、そこは女性しか入れないという。取材陣はディレクターもカ
メラマンも音声さんも通訳さんもみな男性のため、私が一人で入ってカメラを回すこと
になった。
カメラの扱いは慣れていないため、慌ててディレクターとカメラマンに簡単な操作を習
う。通訳も兼ねたユニセフの女性スタッフとともにテントの中に入ると、30人ほどの女
性たちが地面に敷かれたシートの上に座っていた。みなスカーフで顔を覆い、目元しか
出ていない女性も多い。バングラデシュ人のスタッフが、その中の一人の女の子のイン
タビューを許可してくれた。

彼女は16歳。去年8月の終わりにミャンマー軍から攻撃があり、彼女も逃げようとした
が捕まってしまい、軍の施設で1時間半ほどレイプされたという。それは性的なものだ
けでなく、傷を負うような激しい暴行もあったそうで、彼女は気を失ってしまった。そ
の後、道端に倒れていたところを、彼女の父親と兄弟が見つけて保護し、母親が病院に
連れていったそうだ。なんとか命だけは助かったが、怪我がひどく、5日間治療を受け
たという。ただこのことがきっかけとなり、もうここにはいられないと、家族と一緒に
バングラデシュに逃げてきたそうだ。

実はこの出来事の4~5ヶ月前に彼女は婚約したのだが、この性的暴行が原因で破談にな
ってしまったという。その際、新郎側からもらっていたお金も返したそうだ。

ロヒンギャの女性はだいたい16歳くらいで結婚するというが、彼女は性的暴行のショッ
クはもちろんのこと、結婚できなかったことにもショックを受けているようだった。

彼女は片膝をついた状態でずっと下を向いている。時折、手で自分の足元やスカートを
いじるくらいで、私と目があうことはほとんどなかった。インタビュー中、彼女の母親
がずっとつきっきりで、本人が小さい声で話すことを母親が代弁して我々に教えてくれ
た。女性しかいない空間とは言え、思い出したくもないことを口にするには、相当の勇
気が必要だっただろう。

性被害に遭わないための性教育も

ここは性的暴行を受けた被害者への心のケアだけでなく、被害にあわないように年頃の
女の子たちや、その母親を集めて、性に関する知識を学んだり、自分を高める啓蒙活動
をする場でもあるという。さらに被害者自身が、女の子たちや、その親たちへ、性被害
に遭わないように注意喚起をする場でもあるという。

私のインタビューに答えてくれた彼女も、最初は頑なに心を閉ざしていたが、少しずつ
言葉を発することができるようになり、この施設に来た女の子たちとも話せるようにな
っていったと、スタッフは言う。自分の経験を話すことで、苦しい過去を思い出して泣
いてしまうこともあるが、それも閉ざされた心が和らいで来ている証しだと、教えてく
れた。

今では彼女は、女の子がいる家々を回って、性被害に遭わないように、また万が一、性
被害に遭ったらどうしたらいいのか、自分の経験を話しているという。そしてその活動
を通して自分を誇らしく思えるようになったと彼女は話していた。性的暴行を受けた心
の傷はそう簡単には消えないだろうが、自分と同じ目に遭わせたくないという信念が、
彼女に前に進む勇気を与えているようにも見えた。

12歳で結婚することの意味

次に紹介されたのは、難民キャンプに来てから児童婚をした女の子。幼さの残る彼女は
まだ12歳だが、既に妊娠3ヶ月だという。

7人姉妹の長女だった彼女は、家によく遊びに来ていた16歳のいとこと結婚させられた
という。親としては、娘しかいないから男の子が欲しかったという思いと、結婚させて
彼女を家から出すことで、貧しい暮らしから少しは抜け出せるだろうと期待して、結婚
させたそうだ。

12歳の彼女は、結婚の意味もわかっていない。色々質問をしてみたが、妊娠した今も、
自分の置かれている状況をどこか他人事のように感じているように見えてしまった。夫
となったいとこからは大事に扱われているようで、それだけが救いだ。彼女はまだ12歳
の子どもなので、家事などはうまくできない。さらに妊娠もしてしまったため、より一
層家事ができないということで、今は実家に帰って来ているという。

児童婚の問題は何もロヒンギャだけの問題ではないが、なんとも言えない気持ちになっ
てしまった。

キャンプでは去年の8月以降、16000人以上のロヒンギャの赤ちゃんが生まれている。そ
の中には、性的暴行の結果、生まれた赤ちゃんもいる。生まれてきた子どもたちには何
の罪もない。子どもたちの未来をより良いものにするために、まずは出生登録、そして
産前産後の女性のケアなど、女性や子どもたちが必要とする支援をきちんと届けなけれ
ばならない。



■18歳「ロヒンギャ花嫁」と難民キャンプの今
 https://toyokeizai.net/articles/-/233399
 (東洋経済ONLINE 2018年8月14日)

ミャンマー西部ラカイン州で昨年8月25日、政府軍とイスラム系少数民族ロヒンギャの
武装勢力の衝突をきっかけに、隣国バングラデシュへの難民の爆発的流入が始まって間
もなく1年。累計100万人に上るロヒンギャ難民の帰還の見通しは立たず、ミャンマーに
よる“民族浄化”の真相究明も進んでいない。希望が見えない中、難民たちは環境劣悪
なキャンプにあって、当たり前の幸せを求めて日々を生きている。

粗末なテントで鶏カレーの婚礼
バングラデシュ最南端のコックスバザール県テクナフ地域、国境のナフ河をはさんでミ
ャンマーの山並みを望むナヤパラ難民キャンプ。7月末、雨季にはあまり見かけないロ
ヒンギャの嫁入りに偶然出くわした。ピンクのショールを被った18歳の花嫁が泥道を歩
いて新郎の一族が暮らすビニールと竹材のテントに着いたところだった。新郎側のおば
あさんたちに導かれた新婦に少女が花束を持って付き従う。

薄暗いテントで、はにかむ新婦に「新郎はどんな人?」と尋ねると、「まだ顔も見てい
ません」。3つ歳上の新郎とは今夕初めて引き合わされるという。新郎の父親モハマド
さんによると、いずれも農民の両家は遠戚関係にあり、激しい弾圧を受けたラカイン州
モンドー地区から昨年9月頃、それぞれ国境を越えて別々の難民キャンプに避難してい
た。

両親のいない新婦が兄弟姉妹5人と最大規模のクトゥパロン難民キャンプに身を寄せて
いたところに、モハマドさんが知人を介して「末息子の嫁に」と縁談を持ち掛けた。辺
境の保守的なイスラム教徒であるロヒンギャ社会では、こうして親が決める結婚が今も
一般的らしい。

もっとも、ラカイン州では結婚も容易ではなく、新郎側の親族男性によると「ロヒンギ
ャは役場に結婚を届け出るだけで150万チャット(約11万4000円)も支払わされるうえ
、結婚式を開くと政府軍兵士が60万~70万チャット(約4万6000~5万3000円)たかりに
来るので、お祝いもままならない。俺なんか無届け結婚で警察に逮捕されたよ」。

婚礼の夜、鶏をつぶしてカレーを作り、コメを炊いてみんなにふるまったモハマドさん
は「本当は牛肉や魚のご馳走を出すのですが、今はこれが精いっぱい。それでも久しぶ
りに嬉しい出来事です」とほほ笑む。

翌日再訪してみると、前日会えなかった新郎はなかなかの男前である。「子どもをたく
さんもうけて大家族にしたい」と話す新郎の傍らで、両手で顔を覆い、身をよじって恥
ずかしがる新婦に「よかったね。結婚おめでとう」と声を掛けると、顔を伏せたまま小
さくうなずいた。

「今のままでは帰れない」
ロヒンギャ難民問題が今日、世界最大の人道危機であることは論を待たない。難民たち
が置かれた環境は依然として過酷だが、数十万人が津波のように押し寄せた昨年8月末
以降の修羅場と比べると、難民キャンプの暮らしは厳しいながらも日常生活になりつつ
ある。粗末なテントでのささやかな婚礼は、その一例と言えるだろう。

 特に拡張工事が続くクトゥパロン難民キャンプは、国連機関や人道援助団体が建設す
る仮設学校、診療所、舗装道路など、バングラデシュ政府が当初認めていなかったセミ
・パーマネント(半恒久的)構造物が目立って増え、野菜や魚の干物、駄菓子、衣料品
、日用雑貨などの売店、喫茶・食堂、散髪屋が通りに並ぶ。見渡す限り広がる数千のテ
ント群は、生きるエネルギーが充満した風変わりな巨大都市の様相を呈している。

 ロヒンギャ難民は「虐げられた無力な人々」という絵面で伝えられているが、身近に
接すると、信仰心厚く勤勉で忍耐力があり、少し前の世代の日本人に通じる美徳を備え
ている(もちろん悪い連中もいるが)。まともな教育を受けていないが聡明である。

 ラマダン(イスラム断食月)明けの祝祭で子どもにきれいな服を着せたり、突然の来
客(筆者)を茶菓でもてなそうとしたり、ひょうきんな掛け声に合わせて仲間と力仕事
に励んだりする姿を見ると、私たちと同じく、ごく普通の楽しみや喜びを求めて日々を
生きていることがわかる。

しかし、それは彼らの生活が落ち着いたことを意味しない。ミャンマー、バングラデシ
ュ両政府は1月下旬に難民帰還を開始すると発表していたが、帰還プロセスは現地では
まったく動いておらず、難民たちは異口同音に「ミャンマーに帰りたいが今のままでは
帰れない」と訴える。

彼らが挙げる帰還の条件は、①ミャンマー政府がロヒンギャという民族の存在を認め、
ほかの国民と同等な立場で国籍を付与すること、②奪われた土地・財産を返還すること
、③帰還に際して安全を保障し、国連や援助機関がラカイン州に常駐すること――の順
番であることが多い。

 ミャンマー政府がアリバイ的に設置した帰還者の一時滞在施設は、難民たちの間では
「一度入ったら二度と出られない強制収容所。そこで殺されてしまうかもしれない」と
認識されている。多数の同胞を虐殺され、着の身着のまま逃げてきたのだから当然だろ
う。

こう着状態打開のカギを握るのが日本である。河野太郎外相は8月6日、ミャンマーの首
都ネピドーでアウンサンスーチー国家顧問と会談し、難民の早期帰還に向けた協力を確
認するとともに、ラカイン州の電力・送電網整備や小学校建設などインフラ支援を進め
る方針を表明した。

ミャンマー政府に「変化」の兆しも
河野外相は国境を挟んで両側の現場に立った数少ない外国要人である。昨年11月にコッ
クスバザールの難民キャンプを訪問し、年明け1月のスーチー氏との初会談の翌日には
焦点のラカイン州を視察しており、この点だけでも日本は非常に面白い立ち位置にある


ミャンマー、バングラデシュ両国は、政府開発援助(ODA)などを通じて日本と関係が
深い親日国である。とりわけ歴史的つながりがあるミャンマーに対しては、日本は軍事
政権時代も欧米の人権外交と一線を画し、政府軍首脳とスーチー陣営の双方と付き合う
独自路線をとった。

ロヒンギャ問題でも非難一辺倒でミャンマーを意固地にさせるのではなく、長年の信頼
関係を生かして、国際社会との仲介役を担おうとしている。ロヒンギャなる民族の存在
自体認めていないミャンマー政府に配慮して、その呼称を使わず、国連で昨年11月と12
月に採択されたミャンマー非難決議も棄権。今年3月にはスーチー氏と親しい外務省き
ってのミャンマー通、丸山市郎氏を大使に起用し、水面下での働きかけを続けた。

ここにきて変化の兆しもみえる。ミャンマー政府は6月6日、難民帰還に向けて国連難民
高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)と覚書を締結し、立ち入りを拒ん
でいたラカイン州北部での国連職員の活動を認めた。7月30日には第三者的立場でロヒ
ンギャ弾圧の経緯を調べる独立調査団を設置し、大島賢三・元国連大使、ロサリオ・マ
ナロ元フィリピン外務副大臣の外国人2人を含む委員4人を任命した。

実効性がわからないとはいえ、かなり踏み込んだ譲歩である。スーチー氏は昨年来、「
ノーベル平和賞受賞の民主化指導者なのに何もできないのか」という批判にさらされて
きたが、もともとロヒンギャ問題に無関心だったわけではない。ラカイン州の治安権限
や経済権益を握る軍部との対立を覚悟して、国際社会に歩み寄ろうとしているのだろう
か。

話が前後するが、さかのぼって1月の会談で河野外相がスーチー氏に求めたポイントを
読み直してみると、①国連を含む人道支援アクセスの拡大、②安全で自発的な難民帰還
と再定住、③「アナン勧告」と呼ばれる特別諮問委員会報告(国籍法の見直し、人権状
況の改善など)の実施を通じた根本的な対応――とある。穏当な外交的言辞で言い換え
ているが、驚くことにロヒンギャ難民の主張とほぼ同じである。ミャンマーに対して最
初から言うべきことを結構言っていたのだ。

ミャンマーに寄り添いつつ落としどころを探す日本の関与は、ちょっとした賭けである
。加減を間違うと、ミャンマーは中国の庇護下に逃げ込もうとするだろうし、「最初の
1カ月で少なくとも6700人が殺害された」(NGO国境なき医師団)とされるミャンマー政
府軍の“人道に対する罪”の責任追及が尻すぼみに終わるようだと決定的な失望を招く


日本外交の「控えめな目玉商品」
ラカイン州の複雑な歴史的背景はあるにせよ、ミャンマー側の犯罪行為は議論の余地な
く明らかで、筆者も生々しい被害証言を多数得ている(『「家族11人殺された」ロヒン
ギャ少年の悲劇』参照)。政府軍兵士によるロヒンギャ女性への性暴力被害に関する詳
細な調査報告もある。

ロシアによるクリミア併合、中国の南シナ海進出など、武力によって現状変更と既成事
実化を強行する策動が近年相次いでいるが、自国の少数派を圧倒的暴力で根こそぎ追い
出すような暴挙を不問に付していいはずはない。真相究明なしに帰還を促しても誰一人
帰らないだろう。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは6月26日、ミャンマー政府軍総司令
官ら13人を告発し、国連安保理による国際刑事裁判所への付託や金融制裁を求めた。何
かにつけて中国が邪魔するだろうが、ロヒンギャ問題取材中に不当逮捕されたロイター
通信の現地記者2人に対する裁判の行方と併せて、いずれも目が離せない。

一般にはあまり脚光を浴びないが、アジアの紛争解決・平和構築は日本外交の“控えめ
な目玉商品”というべき分野で、たとえば今回同様にイスラムが絡んだフィリピン・ミ
ンダナオ紛争の終結にも深く関与している(『日本が貢献した「イスラム紛争終結」の
舞台裏』参照)。

歴史認識をめぐる中国・韓国との確執や、北朝鮮問題にばかり目が向くのは致し方がな
いとして、日本が人知れずアジアの平和に貢献し、意外なところで信頼を得ていること
を少しばかり誇ってもいいと思う。

ロヒンギャ難民の大量流入から1年、問題の長期化は必至である。平和外交と人道支援
の両面で日本が存在感を示す余地は大きい。



■【ミャンマー】国際刑事裁に協力せず、ロヒンギャ問題で政府[政治]
 https://this.kiji.is/401420275813467233?c=113147194022725109
 (NNA ASIA 2018年8月13日)

ミャンマー国家顧問省は9日、国際刑事裁判所(ICC)の検察官が西部ラカイン州で
発生したイスラム教徒少数民族ロヒンギャの迫害問題の調査に関してミャンマー政府に
協力を求めているのに対し、却下する声明を発表した。欧米諸国からは同問題の調査を
ICCに付託することが解決に向けた一案との声が上がっているが、政府は、これを退
ける立場を国外に示した格好だ。

ミャンマーはICCの設立根拠となるローマ規程を批准していないが、ロヒンギャが逃
れているバングラデシュはICCに加盟している。ミャンマー政府は声明で「ミャンマ
ーはローマ規程を批准しておらず、ICCはミャンマーに対する調査権限を持たない」
と反発。ICCへの協力を拒否する理由を「ミャンマーに対する悪意」「ICCの組織
運営上の問題」「透明性の欠如」など5分野に分けて詳述した。

具体的には、ICCによる調査は、国連安全保障理事会が発表した「ラカイン州につい
ての調査はミャンマーの自主権と領土の保全を尊重しつつ、透明性を確保して行うべき
」とする見解に反すると指摘。「本来あるべき予備調査を経ずに本調査を始めようとす
るのは、手続き上の不備がある」としてICCの組織運営を批判した。

声明はさらに、ミャンマーはラカイン州の住民と認定された避難民の帰還に向けてバン
グラデシュと合意を結んでいるほか、国連開発計画(UNDP)、国連難民高等弁務官
事務所(UNHCR)とも同州での人道援助について協力していると説明。先にロヒン
ギャ問題の調査に当たる独立委員会を設置したとも主張した。

独立委員会は、日本の大島賢三・元国連大使を含む国内外の4人で構成。ただ、同委員
会に対してもミャンマー国内では軍系野党が「外国勢の介入」として反発するなど、国
際的な関与に対する拒否反応は大きい状態だ。 



■ミャンマー政府は、バングラデシュ当局に対し、両国国境間の狭い緩衝地帯に住む
 6000人のロヒンギャ難民への支援を段階的に停止するよう求めている。
 13日、タイの新聞マティチョン電子版が報じた。
 https://jp.sputniknews.com/world/201808135220594/
 (スプートニク日本 2018年8月13日)

代わりにミャンマー当局が難民に対する人道支援を組織し、近いうちにも難民グループ
のミャンマーへの帰還を開始するという。マティチョンが、バングラデシュと国境を接
するミャンマー西部ラカイン州政府の情報をもとに伝えた。
昨年、ミャンマー軍がイスラム系少数民族ロヒンギャの武装勢力から州の土地の一部を
「清掃」する過程で、ラカイン州から60万人以上のロヒンギャが逃げた。

緩衝地帯に入ったロヒンギャは、国境を越えて彼らのために用意されたバングラデシュ
の難民キャンプへ行くことを拒否した。

ミャンマーとバングラデシュは数か月前、ミャンマーからバングラデシュへ逃げたロヒ
ンギャについて、身元確認後に帰還させることで合意した。

一方、バングラデシュのキャンプから出たロヒンギャはまだ一人もいない。マティチョ
ン紙は、その主な理由は、彼らがミャンマーに戻った際の身の安全に対する恐れだと報
じている。



■ミャンマー軍幹部の訴追要求 ロヒンギャ問題で国連調査団
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34656940X20C18A8FF8000/
 (日本経済新聞 2018年8月27日)

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャに対する迫害問題を巡り国連人権理事会が
設置した国際調査団は27日、ミャンマー国軍のミン・アウン・フライン最高司令官ら幹
部6人を名指しし、ジェノサイド(民族虐殺)を行った疑いで国際法に基づく捜査と訴
追を求める報告書を発表した。ただ強制的な訴追には国連安全保障理事会の決議が必要
で、中国などが反対する可能性が高い。

 報告書はアウン・サン・スー・チー国家顧問についても、迫害を防ぐために「事実上
の国家指導者としての権限を行使しなかった」と批判した。スー・チー氏はロヒンギャ
の人権問題を認識しつつ、迫害問題での国際社会の一方的な非難に反発し、調査団の入
国を拒否していた。

 今回の報告書は国際法上の犯罪であるジェノサイドが成立する可能性について踏み込
んだ。国軍幹部がロヒンギャの存在を否定する発言を繰り返してきたことなどを挙げ「
国軍幹部にジェノサイドの意図があったと判断できる」と指摘した。命令書などの物証
は示していないものの、「上層部の命令がなければ、これほど一貫した迫害はあり得な
い」と断言した。

 その上で安保理に対し「国際刑事裁判所(ICC)に付託するか、特別国際法廷を設
置することが望ましい」と提言した。政府が7月末に設置した独立調査委員会について
は「実効力のある責任追及は不可能だ」と否定した。

 国連安保理は8月28日、ロヒンギャ問題を巡る会合を開く予定だ。欧米諸国はミャン
マーに対する圧力を一段と強める可能性が高い。ロイター通信によると、欧州連合(E
U)の報道官は「組織的な人権侵害に関わった人物の責任は追及されなければならない
」と指摘。調査団とEUで、週内にも会合が開かれるとの見通しを明らかにした。

 安保理は、加盟国の同意なしで人道上の犯罪をICCなどに付託することを決議でき
るが、拒否権を持つ中国などが反対すれば実現は難しいのが実情だ。中国は「(難民の
避難先の)バングラデシュとの二国間協議で解決すべき問題だ」としている。

 中国にとってミャンマーは内陸部からインド洋に出るルート上にあり、戦略的に重要
な相手国だ。ロヒンギャと治安部隊が衝突した西部ラカイン州では、広域経済圏構想「
一帯一路」の要の一つとなるチャオピュー港の開発権を持っている。

 調査団は27日、ジュネーブで開いた記者会見で「安保理は国連憲章で国際社会の平和
と安全保障に責任を負っており、この問題に対処する義務がある」と指摘したが、中国
が簡単に見放すとは考えにくい。

 報告書はロヒンギャに加え、ミャンマー北部のカチン州やシャン州での少数民族勢力
との紛争にも言及。一般市民を対象に、殺害や性的暴行などの残虐な行為が繰り返され
ていると指摘した。

 ロヒンギャの人々は長年無国籍状態に置かれ、移動の制限など迫害されてきた。国連
人権理事会の調査団は2016年10月のロヒンギャ系武装集団と治安部隊との衝突を機に発
生したロヒンギャ住民に対する迫害を巡り、17年3月に設置された。人権問題などの専
門家3人で構成した。

 その後、ミャンマー政府が調査団の入国を拒否する中、17年8月に2回目の大規模衝
突が発生し、約70万人が隣国バングラデシュに難民として流出した。調査団はバングラ
など国外での面談調査や衛星写真などで調査を行ったという。



■ミャンマーの調査委「未解明の事実ある」 ロヒンギャ問題で
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34243500W8A810C1FF8000/
 (日本経済新聞 2018年8月16日)

 ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャに対する迫害疑惑を調べる独立調査委員
会は16日、首都ネピドーで記者会見を開いた。調査委メンバーに任命された大島賢三・
元国連大使は「まだ明らかになっていない事実がある」と指摘。事実解明の成否は「ど
こまで政府や国軍、治安機関の協力が得られるかによる」と述べた。

 独立調査委の議長を務めるフィリピンのロサリオ・マナロ元外務副大臣は「相互協力
の力を信じており、問題解決を待っている全ての人々の利益にかなう結果を出したい」
と語った。

 ミャンマー政府と調査委が交わした取り決めでは、政府は調査委の求めに応じて情報
を提出し、軍・警察関係者を含む関係者からの聴取に協力すると規定している。調査委
は1年以内に大統領に報告書を提出する。

 調査の具体的な計画は検討中として明らかにしなかったものの、バングラデシュ側の
難民キャンプでの現地調査について「可能性は高い」(大島氏)としている。

 記者会見では、外国人を含む調査委の設置に反発が強いミャンマーの国内世論に配慮
する発言も目立った。大島氏は「事実を解明することが、国際社会に問題の複雑さを理
解してもらうことにつながる」と調査への積極的な協力を求めた。

 調査委は、ミャンマー政府が7月末に設置。15日の初会合にはアウン・サン・スー・
チー国家顧問も参加して意見交換した。調査委は大島氏、マナロ氏のほかミャンマー側
委員2人の計4人で構成する。

 一方、コフィ・アナン元国連事務総長らが示した勧告の実施に向け政府が設置した国
際諮問会議は16日、最終報告書を公表して解散した。諮問会議の議長を務めたタイのス
ラキアット元副首相はネピドーで記者会見を開き、「諮問会議が提言した独立調査委の
設置や国連との協力強化が実現した」と述べた。スラキアット氏は解散の理由について
「調査委との重複を避けるため」と説明した。



■「全てがビジネス」、ロヒンギャ難民危機で駆動する経済 バングラ
 http://www.afpbb.com/articles/-/3186518
 (APF通信 2018年8月19日)

 ミャンマー出身のラカイン(Rakhine)人仏教徒であるミンミン(Min Min)さんはバ
ングラデシュで、自身が船長を務める船から、イスラム教徒の少数民族であるロヒンギ
ャの労働者たちが、ショウガを詰めた袋を担いで荷下ろしする様子を見つめていた。ミ
ンミンさんは難民危機がつくり出したビジネスチャンスをつかんだ一人だ。

 ミンミンさんは「争いについては心配していない…全てがただのビジネスだ」と言い
、船から積み荷が降ろされるのを待ちながらウイスキーやたばこを差し出し、ビンロウ
の実によって赤く染まった歯を見せて笑った。

 バングラデシュ南東部コックスバザール(Cox's Bazar)には、ミャンマーからおよ
そ100万人のロヒンギャ難民が滞在しており、その大多数は昨年ミャンマー軍やラカイ
ン人の群衆によって国を追われた人々だ。イスラム教徒の少数民族ロヒンギャは「ベン
ガル人の侵入者」とみなされている。

 ロヒンギャの人々のためのキャンプは今や、丘陵地帯や農地にまで拡大したテント村
の様相を呈している。

 だがその中では、支援金が呼び水となって、さらには食料、住まい、仕事を必要とす
る多くの人々、そして消費財を購入する余裕がある人々が形成した市場によって、新し
く、かつダイナミックな経済が駆動している。

 数世代にわたって続けられてきた貿易によって、ラカイン人とロヒンギャ人、さらに
は両国を往来するバングラデシュ人の間に存在する宗教的な対立関係が希薄化した面も
ある。

 昨年8月、ミャンマーではロヒンギャ人の村が多数焼き払われ、70万人ものロヒンギ
ャ人がバングラデシュに流入したが、その時すら商業が妨げられる事態になることはほ
とんどなかった。

 空には煙が漂っていたものの、ミンミンさんはミャンマー産品の移送を止めることは
なく、米やショウガ、化粧品、麺類、ロヒンギャ人の店でよく見かける木の実などを、
バングラ側にあるテクナフ(Teknaf)の港に輸送し続けたという。

 同じラカイン人で、バングラデシュ側の国境で輸入事業を営むミンミンさんの友人は
、難民の流入はビジネスにとって良いことだと語り、「ロヒンギャ人はタフだ。昼も夜
も働く。賃金も高くないしね」と述べた。

 難民たちの帰還がすぐには実現しそうもない状況の中、お金や仕事は平和を維持する
最良の手段だ。

 シャムラプル(Shamlapur)難民キャンプの外にある浜辺で、ロヒンギャ人の漁師モ
ハマド・ホサイン(Mohammad Hossain)さんは20年かけて働き、漁船員から2隻の漁船
の共同所有者に上り詰めた。

 モンスーン真っ盛りの時期は危険を伴う仕事となるが、意欲ある船員が不足すること
はなく、海に乗り出す船の数も漁獲高も増えている。

 30歳のホサインさんは「バングラデシュ人は海を怖がる。だがロヒンギャ人は海辺で
暮らしてきたので慣れている」「リスクのある仕事だが、ロヒンギャ人はここで他にや
れることはない」と話した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バングラデシュのニュース(20... | トップ | バングラデシュのニュース(20... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

バングラデシュのニュース」カテゴリの最新記事