夏休みと冬休みには、盛岡劇場で、子ども演劇ワークショップをもう20年くらいやっている。正式なタイトルは「こどもエンゲキ体験・はじめの一歩!~夏組~/~冬組~」という。この講座、当初は小学校3年生から6年生まで、途中から中学生にも門戸を広げ、現在は小3から中3までの募集である。
アイスブレイクやシアターゲーム的なものを経て、小グループに分かれてお話を考え、短いお芝居を作り、オープニングとエンディングを合わせて、6日間で30分くらいのエンゲキを作ろうというもの。
オリジナルの曲に合わせた歌まであったりして、なかなかに盛りだくさんで、歌まであるということは、伴奏もあったりするわけで、それはピアノだったりする。劇中の伴奏も生演奏のピアノが入るぜいたくな講座だったりするのだ。
そのピアニストは当意即妙とか臨機応変とかが求められ、なおかつテーマ曲の作曲まで引き受けてもらうという、これまたなかなかにハードルの高いポジションである。作詞は中学生が担当し、場合によっては補作もする。
これまで歴代7、8人にお願いしていると思う。ここのところは自らも演劇ユニットを率いているという、ピアノは独学のIくんが担当していた。就職してからもお願い出来ていたのだが、部署替えかなんかで、ちょっと難しくなったらしい。
そんなわけで次の誰かを探さなければならなくなったのだが、Eくんが、面白い情報を持ってきてくれた。
「Sさん○オンにいたっけよ」
Sさんというのは、Iくんの前にピアノをお願いしていた子で、小柄で可憐な少女、といった風情の女性である。最初にお願いしたのは大学生の頃で、就職してからも何度かお願いしている。
そんな彼女が○オンにいたのである。
なんでそんなところに?
Sさんは、盛岡で就職したのだが紆余曲折あって実家の青森の方に戻り、その先はどうなっていたかわからない状態だったのである。それがなんと南○オンにいたというのである。
こりゃ渡りに舟ってことで、お願いし、上手い具合に引き受けてくれて、素敵なテーマ曲も作ってくれた。大学生の頃と変わらない、可憐な少女風情は衝撃の告白とは結びつかないものだった。
コロナも明けてしばらく経ち、打ち上げも気にせず行えるようになった席上で、その事実が明らかになった。
「あの・・・Tってわかります?」
わかるも何も、去年までもりげきにいたTくんのことだ。モリシミの担当で頑張り、夜中の「かつや」で飯を食っていたTくんである。筋トレマニアで聖地と言われる仙北町のとあるジムに通いたいがために盛岡に就職した男である。学生時代には某二郎系ラーメン店でバイトし、まかないのラーメンを食べては腹を下していたTくんである。その店の秋田支店開店のときには、スタッフとして学生ながらひと月くらい秋田暮らしをした男である。マッチョの大会前の減量では、タンパク質とともに糖質は絶対に必要だと力説していたTくんである。良質なタンパク質の代名詞、鶏ムネ肉をレアに加熱してこれまた腹を下したTくんである。コロナ時代にマスクをした顔しかわからなかった頃、マスクを外したらあごひげがあって、予想通りの唇の厚みと相まって、ワイルドな顔をしているTくんである。
あっという間にこのくらいのエピソードを思い出してしまうくらいの男である。まあ、なんか間違いがあってもご愛敬ってことで。
「あたし、マッチョ好きなんですよ」
とまあそんなわけで、SさんとTくんがお付き合いしているという、衝撃の告白だった。聞いてみると、大学時代は軽音楽部で同期ということで、当時はお付き合いしてはいなかったのだが、卒業してからお互い数年経って、なんかの機会で久しぶりに会い、なんかそう言う流れになったみたいだった。
なんというか、SさんにもTくんにも、幸せになってほしいなぁ、と思っていたので、まとまって幸せになってくれると、なんだか面白いやね。