昨夜のうちに買っておいたペットボトルと、帰りの汽車の中で読む本を選ぶのに気を取られて、車に乗り込んでから忘れ物に気づいたのは、助手席に乗るカミさんが
「風呂道具持った?」
と、聞いたからだった。
「あ、忘れた」
と言いながらも、慌てない。なぜなら、いつ風呂に入ることになっても良いように、常にポケットにはハンカチ代わりに手ぬぐいを入れているからだ。とりあえず手ぬぐい1本で入浴は出来る。着替えはまあ、帰宅してからすることにしよう。
いつ何があっても良いように、と心構えをしておくことはとても重要なので、手ぬぐいとハンコは常に持っているようにしている。ハンコは何に使うかって? それはいつお金をもらうことになっても領収書にハンコを押せるようにという用心なのである。
車で大船渡まで行き、碁石海岸あたりを見て、汽車で帰ってくるのはどうだい? という提案をしてきたのはカミさんだ。そのうちやってみよう、というざっくりした話だったのだが。
今回の芝居の稽古は、一週おきで、土曜日と日曜日の夜にやることにしている。その提案があったのは金曜日だが、その週の日曜5日は稽古のない日。善は急げという感じで、速攻で大船渡への旅をすることにした。
カミさんが平日大船渡に滞在することになったのは転職したからで、そうなると勢い大船渡情報にも詳しくなる。とにかく大船渡は碁石海岸だってんで、見てみようとなったわけだ。先週、カミさんは碁石海岸をちょこっと見てきて、それはやや奥深く、どうせなら一緒に見た方がいろいろと便利である、とのこと。車の運転をするのはオレだし。
予報では曇りだったのだが、良い感じに晴れて、しかも暑くない。どころかちょっと肌寒いくらいで、これが晴れてなかったらもっと寒々としていただろう。晴れ男を自認するオレの面目躍如である。晴れ男だからと言って常に晴れているわけではなく、遠野に供養絵の取材に行ったときは雨模様だったりしたのだが、そんなことはお構いなしに晴れ男を自認するのである。大体オレに天気を左右するほどの力があるはずがないであろう。
道中は何事もなく順調そのもの。あおられることもなく、ヒヤリとすることもなく、産直ともちゃんまで来た。カミさんは日曜の午後に移動することが多く、いつもともちゃんに着く頃には名物のパンも売り切れているのだそうだ。今日は午前中なのでパンも豊富。昼を食べるところは決まっているので、特に買うつもりはなかったのだが、帰りの行程を考えてたまごパンと大辛カレーパンを購入。
帰りの汽車は(電車ではなくディーゼルなので律儀に汽車と書く)16時49分発の三鉄で、始発の盛駅からである。釜石乗り換えで釜石線からそのまま東北線乗り入れで盛岡直行なので、腹が減る時間帯が車中なのだ。
碁石海岸インフォメーションセンターに到着すると、まずトイレに行って、それから近所を散策しようと海岸の方へ。三陸独特の豪快な巨岩の風景が見所である。雷岩と乱曝谷(らんぼうだにと読むらしい)を眺めていると海風が結構冷たい。
「こりゃちょっと寒いね」
「上着着てこよう」
と、一旦車に戻る。で、上着を着て歩き始めたところで、
「くらもちさん!」と、声をかけられた。
見ると、薄紫のTシャツにサングラスをかけた女性と、母子連れの三人組。一瞬誰だかわからなかったのだが、半袖サングラスは劇団員Mだった。かなり驚く。
「おおおおー!」
まあこういう偶然は結構あるもので、旅先などで知人に遭遇することは珍しいことは珍しいが、思い起こせば案外とあるものである。とはいえちゃんと驚いて、大船渡旅のいきさつなどを話し、Mと分かれる。しかしオレたちは寒いから上着着てこようと車に戻ったというのに、Mは半袖であった。
碁石岬の方まで足を伸ばすことにして、海沿いの遊歩道を散策。
「今の誰?」と、カミさんが聞く。
「Mだよ」と言うと、
「えーー、わたしの知ってるMさんとイメージが違う!」
まあオレも一瞬わからなかったくらいだから、カミさんがわからなくても仕方ない。そんな話をしながら歩いていると、ウミネコがやたらといる島が見えてきた。どうやら「千代島」と言うらしい。繁殖期のようで、島の回りを飛んだり、岩陰で座ってたり、岩の上を歩いてたりと、とにかく群れている感じである。雛の姿は見えないので、まだそういう時期でもないらしい。
プラプラ歩いていると、今日のお昼を食べる予定の店「お食事処 岬」の近くを通りかかる。
「あ、そこだ」
「結構近いんだな」
とか言いながら、通り過ぎると東屋があった。なんだか立派な作りで、ふと見ると、屋根を支えている人がいる。
屋根を支えているのは一体誰なんだろう? それに関する説明は一切無い。気になって仕方がないが手がかりはない。
そんなこんなでちょうど良くお昼となり、先ほど通り過ぎた「お食事処 岬」まで戻って、海鮮丼を食うことにする。店に入る前から元気な赤ん坊の泣き声がする。ちっともうるさく感じないのは子育てを終えて懐かしさばかりが先に立つからだ。若い夫婦はお母さんが麺を食べていて、お父さんは丼だった。当然のように赤ちゃんをあやすために、立って外まで行ったのはお父さん。麺は伸びちゃうからね。
海鮮丼は小鉢が二つ、漬け物もあり、あら汁まで付いているので、定食と言った感じだ。ひじきの煮物が太くて味もちょうど良く美味しかった。ふと伝票を見ると、
「ノンアール」にニヤリとさせられる。メニューに「コーラー」とか「オレンジヂュース」とか書かれているのもよく見かけたものだが、これもまた味わい深い。食後に店の裏手にある浜を散歩すると先ほどの夫婦もいた。ひとしきり浜を堪能して遊歩道をショートカットして車まで戻る。とりあえず碁石浜も見ておこうってんで、地図に従って行ってみると、こぢんまりとした浜には、確かに碁石っぽい砂利がある。あんまりここには人も来ないようで、浜は静まりかえっている。
とって返して名勝「穴通磯」へ。これはもう地図に従うまでもなく、看板が道案内してくれる。駐車場に車を停めて少し歩いて穴通磯。
さすがの名勝である。
「なんで名勝って、勝っていう字が入っているんだろうねぇ?」とカミさんが聞くが、オレはそういうことは知らない。まあ、調べればすぐわかるんだろうけれど。
「何でだろうねぇ?」と、はぐらかしつつ展望台まで来ると、また先ほどの家族に会った。まあ、行くところはそんなに変わらないということだな。
大船渡市立博物館とか世界の椿館とか、まだ見所はあるのだが、ここら辺は次の機会に取っておくとして、2度目の大船渡温泉へ。なんだかのアンケートかなんかで、絶景温泉で全国一位になったという。確かにさすがの絶景なのだが、それだけじゃなくて、ぬるい温泉がたまらないのである。体温と同じくらいかと思われるぬるい温泉は、しばらく入っていると、お湯と体の境目がなくなっていくようでなんとも心地良い。
オレは昼食後の昼寝を習慣としているので、昼食後は寝なければならないのだが、ここはその「ぬるい温泉」でウトウトしてちょうど良くスッキリした。
その後帰りの汽車までの間、何をするかというと「サンリア」へ行くのだという。カミさんがどうしてもそのあたりの商店街を見せたいのだそうだ。一階にはジョイスが入っていて、その回りには雑貨や100円ショップなどもあり、まあ、地方の、デパートってほどでもないけれど、それなりにいろいろ揃うショッピングセンターである。イメージとしては、閉店してしまった宮古の「キャトル」とか花巻の「マルカン」みたいな感じ。碁会所などもあり、オレ的にはしみじみして好きな空間であった。なので続いて欲しいなぁ。
そんなサンリアのフードコートみたいなとこで見た張り紙、
誠に勝手ながら・・・スパゲティをはじめたらしい。
カミさんが本命として見せたかったのは、実はその回りの盛商店街らしく、それは岩手県内各地の商店街と同様、シャッターが降り、寂れてもの悲しい状態だった。まあ、その風情もわりと好きなのだが、平日の昼下がりにカミさんが、ここを訪ねたときには、誰も歩いていない商店街にテーマソングが流れていて、そのディストピア感に衝撃を受けたという。
案外こういう商店街は、行くとこまでいってしまったあとに復活したりもする。弘前なんかは、オレが弘前劇場に出演したりした20数年前のシャッター街のもの悲しさに比べると、かなりおしゃれな店も増えて、復活している感じがしたのだ。
とはいえ大船渡は、人の流れが「キャッセン」に集中していることもあり、なかなか復活といってもイメージがわきにくいのが実情だろう。
で、ついでなので盛駅に行って帰りの切符を買うことにした。盛駅は、三鉄とJRの駅が隣り合っていて、まあ、久慈なんかと同じ感じ。BRTで気仙沼まで行って大船渡線で一関から盛岡というルートも検討したが、乗り換えの少なさで、釜石線直行盛岡行きを選択。三鉄盛駅の窓口で、
「盛岡までって買えますか?」と聞くと、ややあって、
「・・・買えます」という。
「じゃあお願いします」というと、
「ちょっとお待ちください」とのことで、駅舎内のポスターなどを見て「おおっワイン列車がある」とか「居酒屋列車もあるのか?」なんてことを言いながら待つ。結構時間がかかって出てきたのがこの切符。
もうなんかしみじみしちゃうでしょう? 手書きですよ。もうなんか機械でピッピってやって裏が茶色の切符か出てくるわけじゃないんですよ!
そんな切符を手に、まだまだ時間があったので、キャッセンまで行ってみることにする。ついでに帰りの車中で飲むビールも買おう。
キャッセンの方は、サンリアと違って、なかなかに賑わっている。鎮魂の鐘も見ておかねばなるまいと、そちらに近い方の駐車場に行くと、そこでは何組かの親子連れがスケボーをやっていた。普通に車が出入りする駐車場でスケボーやってるのも結構危ない。許可は取ってるのだろうか? 多分許可は出さないんじゃないだろうか? このあたりはグレーゾーンで、苦情が出たら出来なくなることは間違いない。専用のスケボー施設は無いだろうから、どこかで工夫してやらないといけないのだろうが、結構混み合う駐車場でというのはいただけない。オリンピック競技になったことによって、だいぶ市民権を得た感じはあるのだが、迷惑だなと感じさせてしまうと、自分たちの首を絞めることになってしまうだろう。
500mlの缶ビールと、ちょっとしたつまみを買って三鉄盛駅までカミさんに送ってもらう。盛岡着まで約4時間の旅だ。結構長い。まずは釜石駅を目指す。10分前くらいにホームに行くと、
こんな感じで「かいけつゾロリ」ラッピング車両とレトロ車両連結で入線。鉄路の反対側は大船渡線のBRTである。出発時には切り離されて、レトロ車両に乗ることになった。ちょっとラッキー。
三鉄はさすがに海沿いを走るだけあって、トンネル以外はわりと絶景である。でもここではビールは飲まない。釜石線から東北線直通の方が長いからである。4人がけに1人で座る贅沢をしても問題ないくらいの乗車率。その中に3人くらい「鉄」っぽい人がいる。長い望遠レンズを携えた中年男性、体格の良い中年男性、そして、リュックを背負った若い男性。
釜石まではあっという間で、ときどき本は開くものの、車窓に広がる絶景が読み進めるのを拒む。まあそれはそれで良い。
釜石線に乗り換えると、さて、ビールの時間だ。幸い、4人がけに1人で座る贅沢は継続で、気兼ねなくビールを飲むことが出来る。途中かなり山奥の秘境駅っぽいところで、顔を上げると若い鉄男子が降りて写真を撮っている。
(こんなところで降りてどうするんだろう? すでに暗くなり始めているというのに)
と思ってみていたら、どうやら車で友だちがお迎えに来ているみたいで、白い車とその傍らに同じくらいの年格好の子がいた。なるほど、そういう鉄の楽しみ方もあるわけだ。
そこを出発してから(果たして何駅だったのだろう?)と思い、調べてみるとその駅は「上有住」だった。なるほど、滝観洞の最寄り駅である。「鉄」業界的には何かしらのトピックがあるのだろう。なんだかよくわからないが。
時折、長い望遠レンズの中年男性が通路を通る。きっと、前とか後ろとか、撮ってるんだろうなぁ。
遠野は結構人の乗り降りもあり、いつの間にか眼鏡橋も越えていた。旅のお供は第157回芥川賞受賞作「影裏」の文庫。いまさらながらの「影裏」なのは、カミさんが買って読んでうちの本棚にあったので。車中で読み終えるだろうなと思った本の厚さも選んだ理由。バッグの中には他に柳家小三治「ま・く・ら」などもあるのだが、うっかりするとスルスルと読んでしまうので、取っておくことにした。
ビールもあっという間に飲み終わり、ともちゃんで買ったパンは、飲み物がなくなってしまったので、あとで食べることになった。四時間は長いと思っていたのだが、案外さらりと過ぎていった。今度はBRTに乗ってみたいものだと思いながら盛岡着。これからも何回か大船渡に行くんだろうなぁ。