◆2009報知プロスポーツ大賞表彰式(8日・東京ドームホテル) 34回目を迎えた報知新聞社制定「2009報知プロスポーツ大賞」の表彰式が8日、東京・文京区の東京ドームホテルで行われた。今季の日本男子ゴルフツアーで史上最年少賞金王となった石川遼(18)=パナソニック=は初受賞。特別賞を受賞した巨人・原辰徳監督(51)と初対面し、3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)連覇を成し遂げた指揮官の“世界一オーラ”を感じ取るとともに、「一緒に頑張ろう!」と“共闘エール”を送られた。
シルバーのタキシード姿に、オールバック風のラフなヘアスタイル。大きな拍手を浴びながら、レッドカーペットの上を悠然と歩いた。フラッシュを浴びながら「今年一年、積み重ねてきたものが、こういう形で受賞できてうれしい」と語った石川の笑顔には風格が漂っていた。
来場者の出迎えを受け堂々とレッドカーペットの上を入場する石川遼
今年のスポーツ界の“主役”がズラリと顔をそろえる中、表彰式の前にはうれしい対面があった。3月にWBCを制覇し、巨人をセ・リーグ3連覇、そして7年ぶりの日本一に導いた原監督。「お?、遼くん!」と大輪のような笑顔で迎えられた。
遼「初めまして。石川遼です」
原「一年間よく頑張ったね。陰ながら応援していました」
遼「ぼくも陰ながら応援していました」
巨人ファンの石川は恐縮しながら返答した。初めて会話を交わしたが、実は石川はジュニアゴルファー時代、訪れたコースで原監督の姿を見かけたことがあった。テレビの中のヒーローを同世代の仲間たちは握手を求めて一目散に駆け寄ったが「ぼくは遠くから見ているだけでした」という。
あれから数年を経た2009年。石川は米ツアーデビューを果たし、マスターズを含む海外メジャー3試合に出場。あこがれのタイガー・ウッズら超一流選手とプレーして世界トップクラスの技術を目の当たりにし、活躍の大きな糧にしてきた。
石川遼(右)に副賞を授与する昭和シェル石油(株)の香藤繁常代表取締役会長
一方の原監督はWBCを制しただけでなく、6日には国際野球連盟(IBAF)から世界最優秀監督を受賞するなど、文字通り「世界一」の座にたどり着いた。それだけに「どこでも自然体でおられる方。テレビで見る印象とまったく同じでした。しっかりとご自分を持っていらっしゃる方でした」と“オーラ”を感じずにはいられなかった。
“プロゴルファー級”の腕前を持つ指揮官とはゴルフ談議に花が咲いた。
原「やっぱり、柔らかいボールだとドライバーの時、吹け上がるの?」
遼「そうですね。ぼくは硬いボールを使います」
原「昔、グレッグ・ノーマンもすごく硬いボールを使っていたんだ。遼くんはボールの契約はしていないんだよね?」
遼「はい。いまは。最近はゴルフをされるんですか?」
原「オフにちょっとやったんだ。初めて“つかんだ”感じがするんだよ」
指揮官の“ハイレベル”な話に驚きを見せつつも、ひとつひとつに丁寧に答えた。壇上では「(1人の)ゴルフファンとしてドキドキしながら(活躍を)見ていました。ファンを魅了することがプロの原点。石川選手はスポーツファンを魅了するという点でも見事でした」と賛辞を受けた。固く握手を交わし「また一緒に頑張ろう!」とエールを送られた18歳。はるかなる世界一を目指し、2010年はさらなる飛躍の年にする。
◆石川 遼(いしかわ・りょう)1991年9月17日、埼玉・北葛飾郡松伏町生まれ。18歳。6歳でゴルフを始める。アマ時代の2007年5月、初出場したプロツアー、マンシングウェアKSBカップで史上最年少優勝(15歳8か月3日)を達成。173センチ、68キロ。家族は両親と妹、弟。
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県生まれ。51歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は打点王とMVPを獲得。通算1697試合で打率2割7分9厘、382本塁打、1093打点。02年、監督就任1年目で日本一に導いた。03年に退任したが、06年に監督復帰し、07年からリーグ3連覇。今季はWBCで世界一、巨人で日本一。181センチ、86キロ。右投右打
(スポーツ報知)
シルバーのタキシード姿に、オールバック風のラフなヘアスタイル。大きな拍手を浴びながら、レッドカーペットの上を悠然と歩いた。フラッシュを浴びながら「今年一年、積み重ねてきたものが、こういう形で受賞できてうれしい」と語った石川の笑顔には風格が漂っていた。
来場者の出迎えを受け堂々とレッドカーペットの上を入場する石川遼
今年のスポーツ界の“主役”がズラリと顔をそろえる中、表彰式の前にはうれしい対面があった。3月にWBCを制覇し、巨人をセ・リーグ3連覇、そして7年ぶりの日本一に導いた原監督。「お?、遼くん!」と大輪のような笑顔で迎えられた。
遼「初めまして。石川遼です」
原「一年間よく頑張ったね。陰ながら応援していました」
遼「ぼくも陰ながら応援していました」
巨人ファンの石川は恐縮しながら返答した。初めて会話を交わしたが、実は石川はジュニアゴルファー時代、訪れたコースで原監督の姿を見かけたことがあった。テレビの中のヒーローを同世代の仲間たちは握手を求めて一目散に駆け寄ったが「ぼくは遠くから見ているだけでした」という。
あれから数年を経た2009年。石川は米ツアーデビューを果たし、マスターズを含む海外メジャー3試合に出場。あこがれのタイガー・ウッズら超一流選手とプレーして世界トップクラスの技術を目の当たりにし、活躍の大きな糧にしてきた。
石川遼(右)に副賞を授与する昭和シェル石油(株)の香藤繁常代表取締役会長
一方の原監督はWBCを制しただけでなく、6日には国際野球連盟(IBAF)から世界最優秀監督を受賞するなど、文字通り「世界一」の座にたどり着いた。それだけに「どこでも自然体でおられる方。テレビで見る印象とまったく同じでした。しっかりとご自分を持っていらっしゃる方でした」と“オーラ”を感じずにはいられなかった。
“プロゴルファー級”の腕前を持つ指揮官とはゴルフ談議に花が咲いた。
原「やっぱり、柔らかいボールだとドライバーの時、吹け上がるの?」
遼「そうですね。ぼくは硬いボールを使います」
原「昔、グレッグ・ノーマンもすごく硬いボールを使っていたんだ。遼くんはボールの契約はしていないんだよね?」
遼「はい。いまは。最近はゴルフをされるんですか?」
原「オフにちょっとやったんだ。初めて“つかんだ”感じがするんだよ」
指揮官の“ハイレベル”な話に驚きを見せつつも、ひとつひとつに丁寧に答えた。壇上では「(1人の)ゴルフファンとしてドキドキしながら(活躍を)見ていました。ファンを魅了することがプロの原点。石川選手はスポーツファンを魅了するという点でも見事でした」と賛辞を受けた。固く握手を交わし「また一緒に頑張ろう!」とエールを送られた18歳。はるかなる世界一を目指し、2010年はさらなる飛躍の年にする。
◆石川 遼(いしかわ・りょう)1991年9月17日、埼玉・北葛飾郡松伏町生まれ。18歳。6歳でゴルフを始める。アマ時代の2007年5月、初出場したプロツアー、マンシングウェアKSBカップで史上最年少優勝(15歳8か月3日)を達成。173センチ、68キロ。家族は両親と妹、弟。
◆原 辰徳(はら・たつのり)1958年7月22日、福岡県生まれ。51歳。東海大相模高、東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。81年に新人王、83年は打点王とMVPを獲得。通算1697試合で打率2割7分9厘、382本塁打、1093打点。02年、監督就任1年目で日本一に導いた。03年に退任したが、06年に監督復帰し、07年からリーグ3連覇。今季はWBCで世界一、巨人で日本一。181センチ、86キロ。右投右打
(スポーツ報知)
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