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梶井基次郎論草稿 その19

2007-04-22 06:19:17 | エッセイ

 ごく最近、彼の書簡集を読んでいる内に、嫁ぎ先の姉宮田富士(教員)に宛てられた原稿用紙六枚分にも相当する長文の手紙を読んで、異様な感じを持った。出産を間近にひかえた姉への返信だが、その冒頭の数行を引用したい。
 「姉さん、どうも長い手紙になり相です。洋紙とペンになってから基次郎は姉さんに日頃から少し云ひたく思ってゐたことを云はせていただきます。どうか心を落ちつけて聞いて下さい――『女教員は産前産後に立って七週間は云々、私は二週間だけ休んだだけです』及び『未だに母に洗濯物一枚もしてもらひません』の二句を読んで私は不愉快になりました。以下省略」
 この手紙を富士がどう読んだか知るよしもないが、放蕩と病気で家族の疫病神であり続け、日銭すら稼いだことのない弟が、後文でまさに得々と婦徳を説いたり、一家の伝統を云々しているのである。なにか姉の幸福と健康を祈る者にしてはどこか逸脱しているのを感じるのは私だけであろうか。
 実は、姉の態度に彼としては到底許すべからざる片意地、それによってもたらされる救いようのない泥沼を鋭敏に嗅ぎ取っているのであり、後にふれる〈感情の灰神楽〉と彼自身が表現したいらだちの場と一致するものを見ているのである。

〈画像は書斎のマスコット、ドン・キホーテ像、スペイン製とか。後ろに見える黒い物体は「大人の科学」の付録で作ったプラネタリウム、部屋中が星空になる〉