彼を転位の位置まで迫り上げる〈場〉は感情の絶対性といった概念にまで高められ得る出口なしの生の痛みの場である。種々の梶井論が印象的観念的な次元に留まる中で粟津則雄氏が梶井の日記のある日を捉えて、梶井文学の本質と構造に迫ったのはやはり特記すべきであろう。
日記は渡辺という学生の暴力的威圧的な態度に自らの卑屈を呻吟しながら心理的な動揺を克明に描いている。この一文の日記の最後に次のように書いている。
「自分は自分の弱小なることを心から愧ぢる。卑劣だ、ちっとも動悸が早くならずになんの拘泥もすることなしに、如何して自分はいられなかったのか、練習だ、度胸ということがわかる。『千万人といえども我行かん』という句が頭を過ぎる――このことに就いて考えろ」(原文はカナ)
実際、梶井は〈このこと〉について考え続けたに違いない。そして、この日記で暴露されているのは、なによりも渡辺の態度に卑屈にしかふるまえない自分を見据えている、もう一人の〈この日記を書いている〉梶井の存在であり、事件が与えた心の深刻な痛みである。
〈たまたまレモンがあったのでケータイで撮る〉
日記は渡辺という学生の暴力的威圧的な態度に自らの卑屈を呻吟しながら心理的な動揺を克明に描いている。この一文の日記の最後に次のように書いている。
「自分は自分の弱小なることを心から愧ぢる。卑劣だ、ちっとも動悸が早くならずになんの拘泥もすることなしに、如何して自分はいられなかったのか、練習だ、度胸ということがわかる。『千万人といえども我行かん』という句が頭を過ぎる――このことに就いて考えろ」(原文はカナ)
実際、梶井は〈このこと〉について考え続けたに違いない。そして、この日記で暴露されているのは、なによりも渡辺の態度に卑屈にしかふるまえない自分を見据えている、もう一人の〈この日記を書いている〉梶井の存在であり、事件が与えた心の深刻な痛みである。
〈たまたまレモンがあったのでケータイで撮る〉