四時前に目がされて、ふとこんな言葉が浮かんだ「人はこのように(自分の銀行員生活のことであろう)生きるべきではない。不幸な者にとっての弁証法」、幸福な人間にとって弁証法は必要ではないという意味だが、いろいろ考えて眠れなくなった。
昨日のフランス映画「薬指の標本」は、小川洋子原作ということで借りてきたのだが、原作を超える、とんでもない傑作かも知れないと思えてきた。日本的な感性はもっと曖昧だ。
五時前に起床。相変わらず寒い、暖冬どころでない。さすがに眠い。
文学の歴史は、ドン・キホーテを乗り越えていく、陵辱から守るのではなく、陵辱そのものを描き、やがては陵辱そのものに無感覚になる。羞恥心を失い、すれっからしになる。そこで近代文学は完結する。
あらゆる困難を乗り越えて「エクリチュール論」に全力を尽くすこと、八月末を目標に。この日記と同様に、自分のライフワークだ。日記はその日を生きるために、「論」は残る価値があれば、他者のために。
シナリオ教室で分かるのは、もう初歩の段階から、生の希釈が徹底していて、すべて上っ面、マスプロのために、大衆的な感性に収斂される
昨日のフランス映画「薬指の標本」は、小川洋子原作ということで借りてきたのだが、原作を超える、とんでもない傑作かも知れないと思えてきた。日本的な感性はもっと曖昧だ。
五時前に起床。相変わらず寒い、暖冬どころでない。さすがに眠い。
文学の歴史は、ドン・キホーテを乗り越えていく、陵辱から守るのではなく、陵辱そのものを描き、やがては陵辱そのものに無感覚になる。羞恥心を失い、すれっからしになる。そこで近代文学は完結する。
あらゆる困難を乗り越えて「エクリチュール論」に全力を尽くすこと、八月末を目標に。この日記と同様に、自分のライフワークだ。日記はその日を生きるために、「論」は残る価値があれば、他者のために。
シナリオ教室で分かるのは、もう初歩の段階から、生の希釈が徹底していて、すべて上っ面、マスプロのために、大衆的な感性に収斂される