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梶井基次郎論草稿 その13

2007-04-15 05:47:14 | エッセイ
 「瀬山の話」では瀬山が檸檬の挿話を語ってから「君、馬鹿を云ってくれては困る。――俺が書いた狂人芝居を俺が演じているのだ。然し正直なところあれ程馬鹿げた気持に全然なるには俺はまだ正気すぎるのだ」と付け加えるのを忘れない。梶井はこうした私小説的なリアリストとしての醒めた視線を払拭して「瀬山の話」からすでに熟し切った檸檬一顆を切り取り親樹を枯れるがままに放置する。
 この選択は以降の彼の創作活動を方向付けた詩的な契機であり、創造の秘儀の自覚に至ったのではないか。名作『檸檬』によって私小説から独自の散文詩へ、実存(人間)から、より普遍的な存在(ポエジー)の文学への転換が遂行されたと私は思う。

〈画像は行徳の路地、対岸の大きな白い煙突が見える〉