花咲く丘の高校生

平成時代の高校の授業風景を紹介したり、演歌の歌詞などを英語にしてみたり。

チハル

2024-07-12 | ショートショート
チハル(青春の幻影
前回の『ファニー』と併せて読んで頂けると有難いです。

その翌日、僕はあの少女に会えるかも知れないというバカげた考えと、いつもの習慣で、古本屋で見つけた『ハイネ詩集』を片手に砂浜へ向かった。昨日の場所まで行くと、ベージュ色のカーディガンを纏った彼女が白い砂の中に立っていた。
 そんなことがあってから、チハルという松葉杖の少女との黄昏時の散歩が僕の生きがいの全てになっていた。僕はチハルと連れ立って、何回も何回も名曲喫茶や映画にいった。シューベルトやチャイコフスキーを聴いたし、『慕情』や『ローマの休日』も観た。
 チハルのまだ蒼い籠には、いくつもの素敵な果実が入っていて、デートのたびに熟れていった。僕たちは、その蜜のように甘い果実を二人だけで食べた。
 しかし、嫉妬深い運命の神様が、残酷にもチハルと僕を不幸のどん底に陥れたのだ。
「チハルはもうダメなの。チハルの足はもう治らないの。骨が少しずつ朽ちていくの。シゲルさん、チハルね、お料理やお裁縫を習うの。お掃除や洗濯も・・・それからね、赤ちゃんの育て方も勉強するわ。
 ね、チハルの足を見てちょうだい。ほら、こんなに歩けてよ。シゲルさんの好きなルンバも、きっと上手に踊れるよ。ね、一緒に踊らない?・・・でも、もうダメなの。みんなみんな遠くへ消えてしまった夢なの。今からチハルは、あの水平線のずっと向こうまで泳いでいきます。そして、もっともっと足のほっそりした、コロコロと芝生の上を飛び跳ねるようなチハルになって戻ってくるわ」
・・・あのときから、60年という長い歳月が流れた。夢かと思えば夢で、うつつと思えばうつつの、その狭間(はざま)を時が流れ過ぎていった。愛(いと)しくて、握りしめていたかったのに、儚(はかな)くて、掴みどころのない映像が、さらさらと零(こぼ)れていった。短いといえば短い歳月だった。
僕は、今日も、孤独の塔に立てこもって、茜色のワイングラスを片手に、かすかに聞こえてくる波の音にじっと耳を澄まして、黄昏の海を眺めている。モノトナスな潮騒のリズムが、ルンバに変わるとき、きっとそのとき、チハルは還ってくるのだから。(

 これは、以前、地元誌「文芸妙高」に寄稿した短編小説『黄昏』の一部を切り取ったものです。最後の部分は、このブログに載せたかも、です。ご訪問ありがとうございました。😊 (ゆ~)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする