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陸奥宗光「新訂蹇蹇録(日清戦争外交秘録)」を読む(その1)

2023年12月30日 | 読書

陸奥宗光著「蹇蹇録(けんけんろく)」(岩波文庫)を読んだ。なぜこの本を手に取ったかというと、今年読んだ東大の加藤陽子教授(近現代史)の著作「それでも日本は戦争を選んだ」の中で日清戦争開戦時の外務大臣陸奥宗光がさも好戦的な人のように書かれていたのを見て違和感を覚えたからだ。自分で実際に読んで見ようと思った。

この蹇蹇録というのは、明治維新後、朝鮮で東学党の乱が発生してから日清戦争が起こり、講和条約、三国干渉に至るまでの外務大臣としての外交戦略の概要を記録したものだ。

巻末の解説で中塚明氏(奈良女子大名誉教授、日本近現代史)は、当時の日本の歴史について「日本はやっと不平等条約から解放される突破口をひらき、日清戦争に勝利し、朝鮮・中国を犠牲として帝国主義列強と並ぶのに決定的なみちを開いたのである」と、陸奥ら先人の苦労を顧みず、日本罪悪史観とも思える見方を示している。

そして、陸奥の「勝ちに乗じて窮寇を追撃する」風が蹇蹇録の随所に出ていると批判している。先人に対して失礼というべきであろう。個人の性格を批判するような人格攻撃を出版物で述べることが許されるのであろうか。学者だからといって何を言っても許されるわけではないだろう。

そして、蹇蹇録は日清戦争外交の全てを漏らさず書きしるした著作とする見解にクギを刺し、具体例を挙げずに、日本の不利を招くようなことや伊藤博文、山県有朋など関係者に累が及ぶようなことは書いてないと、している。これは1つの批判ではあるが、そんなことを言うなら聞きたい。日本の近現代史の権威たる大学教授たちは、日本の朝鮮統治には朝鮮のために良いことも多くやっていたという事実を著作において相当なスペースを割いて書いているのか。学者であるならば自己の見解に不都合な事実でもキチンと言及すべきであろう。それができていれば、先のような批判も許されようが、そうでないならば自らの行いを棚に上げて陸奥の本を批判する資格はないだろう。

現在、外務省の敷地内には陸奥宗光像が建立されているそうだ。これは明治期に外相として条約改正、日清戦争等の難局に果たした陸奥宗光の業績を讃え、明治40年に建立、昭和18年に戦時金属回収により供出、あらためて同外相の没後七十周年に当たる昭和41年に再建、今日に至る、と外務省は説明している。これは陸奥に対する一般日本人の抱くイメージでもあろう。

近現代史の権威である東京大学教授や奈良女子大名誉教授たちはこういった見方に批判的なご意見をお持ちのようだ。そこで、蹇蹇録を読んで陸奥が述べていることやそれに関するコメントを書いて見たい。個人的には、加藤教授も言及していた日清戦争の開戦の契機、経緯に関心がある。

(続く)

 



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