子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

今の職場で9年間の経験後 転勤まで

2007年10月16日 | 職場に於ける私の工夫 1
昭和34年(1954)29才まで、20才に地元の信用金庫に就職して9年間同じ支店に在職していました。
その後「本部の業務課」に転勤します。新しい仕事内容は後ほど新しい項目のなかで述べたいと思います。

この9年間の支店在職期間中での出来事を少し纏めておこうと思っています。

《支店勤務、9年間の出来事》
 
 1.私の職歴と当時の職場環境
 2.私の娯楽 支店勤務中9年間
 3.私の生活と時代背景
 4.私の好きになつた人
 5.私の新居と新婚生活

 こんな項目で順次書いていこうと思っています。
 
 
 1.私の職歴と当時の職場環境

 A.職場の環境

  ア・昭和24年(1949)に夜間の新制商業高校を卒業し、
    土方(職人)生活から足を洗い地元の信用金庫に就職したのが20才の時でした。
  イ・当時の勤務先の店舗は、小さな郵便局程度の大きさです。

  ウ・職員数も、支店長以下16人でした。
  エ・そこに、初めての本店指名からの新入社員として、
    私を含め男子2人、女子1人の高卒3人が本店から配属になったのです。

  オ・今までの職員は、近所から支店長が取引先や知人を伝に集めてきた人ばかりです。
    私達高卒3人は、支店にとっては始めての人事制度としての本店からの配属でした。

  カ・支店に入ってみると、姉妹で勤めている人が、3組6人もいました。
  キ・この姉妹は、全員中学卒で年下の妹3人はまだ15才です。

  ク・内部勤務の男子は、支店長を含め4人。外勤員は年配の男子が4人います。
  ケ・私達新入職員3人の服装は、学生服で良いといわれましたので、
    その後の数年間は、学生服のままで勤務しました。
  コ・こんな職場環境の中、支店長から最初に言われたのは、男女関係はご法度の一言です。

  サ・男女交際が発覚したら、双方両成敗だぞとのこと。
  シ・何のことだろうと、周りの職員に聞くと、要するに二人とも退職させると言うものでした。

  セ・職員同士の名前の呼び方は、00君と言う言い方です。
  ソ・この仕事環境の中で、15才の女子職員が用事で、20才の新入の私を呼ぶのに、  
    00君と言うのには私もびっくりしました。それも5才も年下ですよ。

  タ・こんな人の名前の呼び方にびっくりしていては、私は不味いと当面平常を装つていて、
    5才年下の女子職員にも「はい」と返事し、依頼された仕事をそのまま受けました。
  チ・当時の世間一般では、男子優先社会の中です。

  ツ・昼食の弁当。当時の昼の食事は自宅から持参した手弁当です。
    昼食に外に行っても、日本蕎麦屋さんぐらいでした。
    今言う、コンビニなど全然ないのですから。
 
  テ・この名前の呼び方も、2年ほど過ぎたころ、私が気が付かないうちに「00さん」に変化します。
  ト・当時は、仕事量が凄い勢いで拡大しており、私の入社後2程後に40人規模の新店舗が開店します。
 
  ナ・新店舗完成と同時に、他店舗からの転勤者や、転職(職業を)してきた中年の男女職員が増えました。
  ニ・このような、人員増加とともに「男女交際ご法度」のことも、緩やかな状況になります。
 
  ヌ・自転車が唯一の交通手段。営業係など外部に出て働く人の交通手段は自転車だけです。
  ネ・自動車は、現金や手形類の輸送など一大切なものに限られていて、専任者か乗務していました。
    支店にいた、私達はもの珍しく自動車を眺めいるだけでした。

  ノ・当時の道路は、ガラガラで自転車ですいすい危険なく走れました。
    10km程度先きのお客様でも、集金や用事には自転車で行きます。

  ハ・五十音。この当時の五十音は「いろはに、ほへと、ちりぬるお、よたれそつねそ、ちりならむ、ん。」
    で、教育されてきた年代でした。
    平成の現在、私共の年代は「あいうえお、かくきくけこ、???}が
    なかなか頭脳から出てこないで、今でもこまっています。

  ヒ・電話器。一般家庭で電話が引かれている家庭は、ゼロと思ってください。
    かりに、一般家庭で電話がある家があったとすれば、地主さん宅など相当に裕福な家庭のみです。
    事業所でも電話の有るところは、従業員などが10数人いるような繁盛している工場です。
    
  フ・緊急な連絡。どうしても、緊急な連絡がしたい場合は「電報を打つ」という事になります。
  ヘ・昭和30年代に入って、タバコ屋さんなどと共に、
    少数の家庭で電話器が入り始めたという記憶がありますがね、
    
 B.転勤までの私の職歴

  ア・初めて配属された支店には、通算で9年間在職しました。
  イ・本店と支店間の交換業務「小切手・手形・稟議書などの持ち運び業務」に約2年間。
  ウ・出納業務の責任者として、約3年間。
  エ.貸付係り窓口として、約2年。
  オ・営業係りとして、外周りの集金・勧誘を2年。

  最初に配属された支店では、こんな職歴でした。

 C. この9年間に仕えた、支店長は5人になります。

 1.最初の支店長は、通勤の途中に交通事故に合って入院。60才近い年令のため再び店舗に戻ることはなかった。
 2.2代目の支店長は、区役所の助役を定年(55才)で本店総務部長として再就職された人です。
   私が就職する時に面接した人でした。
   (一度は、この人が私を不採用にしたひとてすが。再面接で許可されました。)
   先代の支店長が事故で出勤できなくなり、急遽代わりに、総務部長兼務で支店長として赴任したのでした。
   
   わたしは、金融機関の仕事は素人だから、「職員の皆さん、よろしく頼みます。」が支店長の最初の挨拶でした。
   この支店長は、職員の人柄をジーとみていて、一生懸命・影日向なく、真面目に働く職員を重くもちいました。

   その、代表事例が私でした。若くして、出納業務の責任者に任命していただけたのですから。
   もっとも、その時期にいた支店の職員数は16人が総勢でしたからね。
   選ばれたというより、選ぶ人が私しか居なかったというのが本音でしょうか。

   この支店長に、「会議の仕方。司会の仕方。」などを学びました。
   この時の経験が後々、私にに大変役立ちます。

 3.3代目に赴任して見えた支店長は、銀行上がりの年配者で、当金庫の他支店長からの転勤でした。
   大変大人しいだけの人で、何事にも事故無くと過ごすような人でした。

 4.4代目の支店長は、満州銀行から引き上げて見えた人で、40台半ばで張り切っての赴任です。
   本店(本部)の審査課長からの転勤で、初支店長です。

   職員からの、おベンチらが好きで、取り巻きが直ぐに出来ました。
   私は、そのタイプで無いので、外様です。
   支店の業績も大変上がりましたが。お客様との遊び事も多かったらしく、後に支店長を失脚してしまいます。
 
 次は、支店に9年間在職中の私の娯楽です。