「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「歴史の回想・沖田畷の戦い」電子書籍紹介。アマゾン・グーグル・角川電子書籍・楽天・BOOK★WALKER電子書籍」

2020-05-09 05:51:11 | 投稿済C

「歴史の回想・沖田畷の戦い」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍」
 肥前の龍造寺氏は、もともと少弐氏の被官であった。龍造寺隆信が家を継ぐと、主家を少弐氏を滅ぼし独立、異父弟の鍋島直茂、四天王と讃えられた百武賢兼・成松信勝・円条寺信胤・倉町信俊らの勇猛な家臣の活躍で、筑前・筑後・肥後に勢力を伸ばしていった。
 龍造寺隆信は「肥前の熊」と称されるほど武勇に優れた武将であった。しかし、隆信は武勇・知略には長けていたものの、残忍な性格も併せ持ち、新参の武将のなかには彼に心服していない者も少なくなかった。
 天正九年(1581)、北進を目指す島津氏は肥後の相良氏を降し、肥後に勢力を伸ばしてきた。これをみた肥前島原領主の有馬晴信は龍造寺氏を離れ島津家に誼を通じた。これを知った隆信は、嫡子政家に有馬討伐を命じたが、有馬氏は政家の妻の実家ということでもあり、有馬氏討伐は遅々として進まなかった。これにしびれを切らした隆信は自ら三万の大軍を率いて島原に上陸、有馬氏の居城・日野江城を目指した。一方、有馬軍の兵力は約3千で、晴信は島津家に援軍要請を出し、龍造寺軍に備えようとした。
 晴信からの援軍要請を受けた島津家中では、地理不案内の島原への派遣に対し否定的な意見を出す家臣が多かった。しかし、島津義久は「古来、武士は義をもって第一とする。当家を慕って一命を預けてきたものをなんで見殺しに出来ようか。」といい、島原への派兵を決定。派遣軍の総大将には末弟で、島津家一の戦上手といわれた島津家久が選ばれ、脇将として島津忠長・新納忠元・伊集院忠棟・川上忠堅ら精鋭三千が有馬氏救援に派遣された。
 島津軍の来援で、有馬軍は活気を取り戻した、とはいえ有馬・島津両軍あわせて六千余りの軍勢でしかなく、龍造寺軍の三万に対して態勢であることは変わらなかった。そこで家久は、有馬方の諸将と協議した上で、戦場場を島原北部の沖田畷とした。沖田畷は左右を沼沢に囲まれた湿地帯で、その中央に左右2・3人並んで通るのがやっとの畦道があるだけの地で、大軍を展開することが困難な場所であった。
・沖田畷の合戦
 これに対して龍造寺隆信は、有馬・島津の主力軍は日野江城にいるものと思い込み、自ら沖田畷の中道へ軍勢を進めた。沖田畷付近で龍造寺軍の先鋒部隊が島津軍と遭遇、龍造寺軍は島津軍が小勢なのを侮り、物見も出さずに攻めかかった。策を秘めた島津軍は、たいした抵抗もせず、ずるずると後退し、勢いに乗った龍造寺軍は一気に攻め立てようと沖田畷の畦道をひた進んだ。
 家久は龍造寺軍が十分射程に入ったのを確認すると、一斉に銃弾を撃ちんだ。思わぬ銃弾の飛来に龍造寺軍は先陣が崩れ、退却しようにも後続の軍が次々と続いてくるため身動きがとれず、狭い道の中で大混乱に陥いった。
 龍造寺軍の混乱ぶりを見きわめて、島津軍は一斉に抜刀し、三方から龍造寺軍に攻めかかった。隆信は、進展を見せない合戦に苛立ち、自らが前線に立ち指揮を取ろうとした。この時、島津家久の家臣・川上忠堅の放った鉄砲弾が隆信に命中、龍造寺隆信は呆気無く五十六才の生涯を閉じた。二万余りの龍造寺軍は動揺し、鍋島直茂は退却。殿軍を受け持ったのが四天王の武将で、四名とも殉死に近い働きで、二万の将兵を無事に佐賀まで退却させりことに成功した。しかし、この合戦において、九州北部に一大勢力を築いた龍造寺は衰退を余儀なくされるのである。
 寡勢をもって、勢いにのる龍造寺氏の大軍を撃ち破り大将まで討ち取った、島津家久の作戦による大勝利であった。 これで島津氏にとって九州制覇への道が 大きく開けたのである。




「戦後日本の回想・S37年」アマゾン・グーグル・楽天・角川・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子」

2020-05-07 06:12:26 | 投稿済C


「戦後日本の回想・S37年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子」
昭和37年には世界は東西冷戦構造で、キュウバにソ連がミサイルを持ち込もうと画策し密かに輸送するところ察知を米国したケネデー大統領は大西洋で待ち伏せて攻撃の宣言し「一触即発のキュウバ危機」が勃発、英国の執り成しでソ連船が引き返し事なきを得た。日本の政界では創価学会の公明党が結成され、社会党江田書記長が江田ビジョンを提唱し、池田首相の「国つくり」を提唱し、社会党の左右の対立は根深いものがあった。高度成長時代に求人難から「青田買い」と国産の旅客飛行機YS11が成功し、13キロに及ぶ北陸トンネルが完成した。また青年冒険家堀江健一氏が単独太平洋を横断に成功し世間を驚かせた。また世界最大の巨大タンカー13万トンの日章丸が進水し工業を支えるエネルギーを確保した。また薬害のサリドマイド事件が起き社会問題になった。庶民の娯楽では「てなもんや三度笠」や「無責任時代」などが人気を博した。





「戦後日本の回想・S33年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-05-03 15:28:41 | 投稿済C

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この年に第二次南極観測隊悪天候で着岸出来ず、上陸せず15頭のカラフト犬を残したまま、愛犬ら置き去りにしたまま無念の日本に引き揚げ、翌年二匹のカラフト犬が生存しているのを発見し日本中の人々に感動を与えた。3月には関門トンネルが開通し、交通では東京神戸間を特急「こだま号」が6時間50分で結び、航空事業も遠距離に使用され一般化される時代になったが、DC3が下田沖で遭難した。スポーツを見れば相撲は栃若時代を築かれ、長嶋茂雄が新人賞に輝き、鉄腕稲尾和久が3連敗から4連騰で連勝し「神様仏様稲尾様」と言わせた。流行ではロカビリーが流行、一万円札も発行された。また皇太子の婚約で正田美智子さんのファッションにミッチーブームが巻き起こった。文学では松本清張の「点と線」は話題を呼び、12月には世界一の東京タワーが出来上がり、外交ではインドネシアに平和条約と賠償協定が結ばれた。茶の間のテレビの人気は「月光仮面」「バス通り裏」人気を博した。


「戦後日本の回想・S36年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・

2020-05-02 05:53:57 | 投稿済C

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昭和36年の政治は社会党の党大会で河上丈太郎氏が選出され、左右両派の均衡を保持した運営に迫られ、政権池田内閣の閣僚起用は佐藤栄作・河野一郎・藤山愛一郎・三木武人と挙党態勢で重量閣僚の布陣に野党に対峙した。この年に「創価学会を背景に「公明政治連盟」結成された。外交問題はアメリカライシャワー大使が赴任、池田・ケネデー会談が行われた。また懸案の貿易摩擦の「第一回日米貿易経済合同委員会」が進めらえた。年末には三島由紀夫のクデター未遂の「三無事件」が起き世間を騒がせた。スポーツは女子バレーボールの連署記録で「東洋の魔女」と言われた。巷の流行は柏鵬時代を迎え「柏戸・大鵬」の二大横綱が着目されたテレビの前の相撲が釘づけにされた。流行ブームは「植木等のすーだら節」に「余は挙げてレジャブーム」で余暇を楽しむ若者が出てきた。流行歌では坂本九の「上を向いて歩こう」「銀座の恋の物語」など流れた。茶の間のテレビの「シャボン玉ホリデー」「七人の刑事」も人気を博した。




「戦後日本の回想・S27年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-23 06:03:23 | 温故知新


「戦後日本の回想・S27年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
昭和27年ともなれば、日本の国体、国力も向上し国際的にもヘルシンキオリンピックにも参加し、ボクシングでは無名の白井義男の世界フライ級チャンピオンのマリオを破りチャンピオンに輝いた。国民の娯楽もボーリングが登場し、日劇ミュウジックホールが開場したり、映画の製作も壺井栄の「二十四の瞳」が話題を呼んだ。政治では与野党の対立は激しく対立し、学生運動や労働組合の活動も活発になって、ストが強行されたり、血メーデー事件も発生した。与党も自由党系と民主党系の保守党を軸に軍備拡張の機運が高まり、警察予備隊から保安隊に改組した。国際航空として羽田空港が「東京国際空港として運用して世界に向けての窓口として業務を開始した。所が発足して間もない日航が日航機もく星号が大島三原山に墜落し三十七人の犠牲者を出して衝撃を受けた。国民の娯楽の王者のラジオは受信機1000万台突破し、連続放送劇「君の名は」は劇的な人気を博し、放送時間委には、女風呂は空になったという。また早川電機が国内初の白黒テレビの生産を開始した。街にはスクターが流行し自動車も悪路を走り回るようになった。政治ではワンマン吉田総理は抜き打ち解散んで総選挙に打って出て、用意の出来なく与党乱立に攻勢をかけた。学生運動の過激化と日本独立して代わって日本の防衛の強化に「日米安全保障条約」が発行された。労組と全学連の武力衝突阻止に「破壊活動防止法」が保守政党が対抗し法制化した。


「戦後日本の回想・S31年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-22 17:15:50 | 温故知新

「戦後日本の回想・S31年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
昭和31年には漫画ブームと貸本ブームで鉄腕アトム・赤胴鈴之助・鉄人28号など子供らに夢を担った。若者は映画に流行を求め石原裕次郎の主演映画「太陽族」が大流行、戦後の傷跡の外地からの引揚者ソ連からの興安丸が1025人を乗せ舞鶴港に入港した。国外的に各国と賠償調印が結ばれ膨大な戦争の賠償で国交が結ばれていった。沖縄問題は国内与野党の米軍基地と相まって紛争のもととなった。政権は鳩山政権が倒れて、代わって石橋湛山が内閣首班を受けてより派閥が複雑になっていった。この頃から憲法問題が懸案となって解決には程遠いものがあって、GHQの示唆された憲法を維持しようとする野党と改憲を訴える与党の紛争は絶え間なく続いた。それでも5月にはヒマラヤの未踏マナスルに初登頂を成功をもたらし、8月は巨大な佐久間ダムを完成させ、12月18日には日本の国連加盟が全会一致承認された。


「戦後日本の回想・S25年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-22 06:33:57 | 温故知新


「戦後日本の回想・S25年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
戦後2,3年ともなれば、工業や建設、道路など国民のライフラインの建設の槌音高く、荒廃した闇市を壊して都市計画を進めて再建していった。対外的にも貿易も徐々に向上し、国の成長を見込めるようになってきた。国民の娯楽も映画、戦後歌謡、プロ野球の初ナイターが行われ、戦前ものの小説やアメリカからの文化や流行が導入され、ラジオに耳を傾けて流行歌や流行のファッションや芸術文化も取り戻し自由な表現で絵画や小説が次々発表された、小倉市初競輪を開催され、宝くじに夢を求めたり、テレビから連載ドラマや、「東京ウギブギ」が爆発的に流行した。また天才少女歌手美空ひばりが巷に流れ、企業と財界の癒着で「昭和電工議国事件」まで起こり、多党政党で芦田内閣が誕生した。
戦後処理に東条英機の絞首刑の東京裁判が判決下された。これからの日本は世界各国に戦争責任の「賠償問題」が大きな壁となって立ちはだかっていく日本だった。日本国中の工作機械・織機、工作機器など剥がされて東南アジアに戦争責任の賠償として船で運ばれていった。日本の再建はゼロからの再建ではないマイナス100%からの再建であることを忘れてはならない。



歴史の回想『将軍家を支えた幕閣』アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・

2020-04-21 11:25:45 | 温故知新


『将軍家を支えた幕閣』アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・
日本歴史の中で、武士天下で鎌倉幕府、室町幕府、そして最も長く存続した。 戦国時代意を終止符を打った三傑野中でも最も長く安定し、平穏な264年余を築いた江戸幕府は徳川家康に端を発している。 徳川将軍家は、慶長8年(1603)に初代・徳川家康が征夷大将軍に就任してから、慶応3年(1867)に第15代・徳川慶喜が大政奉還するまで、264年間にわたる江戸時代を通じて、征夷大将軍職を世襲した家系である。
 この間、日本の実質上の君主・支配者として、武家社会を含む日本社会全体の頂点に君臨した。その将軍職を支えたのが、大老と老中である。江戸幕府最高職、大名の交代寄り合いを支配し、評定所の寄り合いに参加し、町奉行・勘定奉行・遠国奉行等を揮し、幕政を運営の中核に有った。定員は四名から五名。三万石以上の譜代大名がその職に就いた。徳川幕府が徐々に形成され、寛永11年(1634)の老中宛法度が出され、朝廷、公家・門跡支配が出され、大名の御用・訴訟、老中奉書への加判、幕領代官御用、金銀納め方、大分の遣い方、大造の普請、作事、知行割、寺社方、外交、国絵図などを掌握した。 家康、家光、綱吉、吉宗、家斉の親政以外は幕閣が合議制の下に協議されて幕政によって裁可され決断されてた。その後機構改革により大番・留守居衆、寺社奉行、奏番者、大目付、などを采配、 長き江戸泰平の世を支えたのは幕藩体制の下、組織化された体制と、幕政秩序は幕閣によって運営され統治された面は否めない。
 藩一揆、大名のお家騒動、法度破り、治安、経済、お家断絶や改易は幕閣によって決断され、幕藩維持に貢献していった。
大老・老中になった者に、猿楽師から老中に身を起こした者もあれば、流浪の身で敵方から家康の家臣になったものなど、初期徳川幕府では戦場の実績で起用された。





歴史の回想・「大内義興の群像」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER

2020-04-20 14:03:59 | 温故知新


「大内義興の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER
大内義興(1477年~1528年)戦国時代の武将。父は大内政弘。1494年(明応3)家督を継ぐ。1496年大友政親を、翌年少弐政資を滅ぼし、筑前の支配を固めた。1499年からは惣国寺社領の調査を開始し、寺社支配権を強化。1500年に、京都を追われた前将軍足利義稙を山口に迎える。1508年(永正5)京都に進出し、将軍義澄を追放し、義稙を将軍に服した。1509年周防国衙領を東大寺に還付。1511年、義稙・義興は、義澄・澄元の攻撃によって、いったんは京都から敗走するが、船岡山の戦いに勝って京都を奪還、細川高国が管領に、義興が山城守護に就任する。1516年には幕府から遣明船を一任される。1518年山口に帰り領国に専念。安芸・厳島神主家の後継争いに介入し、同社領を支配下に置く。1521年(大永元)以降、山陽方面に勢力を広げてきた尼子氏安芸支配を争い、1525年に当時安芸の有力国人であった毛利氏を尼子氏から離反させ優位に立つ。菩提寺は凌雲寺。



















「戦後日本の回・S28年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-20 09:06:08 | 温故知新


「戦後日本の回・S28年」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」
朝鮮戦争も休戦を迎えようとする状況に、「李ライン」で度々紛争の絶え間なかった日韓関係に、李承晩大統領が来日、日韓関係の改善されたかは疑問だが、日米韓と中ソと対立の軸の中で国交を結ぶ機運が生まれつつあった。そんな折にワンマン首相吉田茂はふと「バカヤロウ」口を滑らしこのつぶやきを野党が見逃す紛糾し「解散」と吉田茂は天下の宝刀を抜いた。そんなころ庶民の人気はラジオからテレビに「街頭テレビ」に群がる民衆はプロレスに野球に相撲と熱狂した。また八頭身を生かして国際的美人コンテストのミスユニバースに伊東絹子は三位に入賞、映画界も花盛り「東映・大映・日活・松竹・東宝」と人気俳優に引き抜き合戦でいざこざに「五社協定」が結ばれ、映画人気もうなぎのぼり、テレビはクイズ・ジャスチャーなど視聴率を伸ばしていった。景気のほうは朝鮮休戦協定で軍需産業は世界に向かって方向転換せざるをえなかった。労使のほうは相変わらず激し対立の応酬のなか中国からの引揚者は続々帰国し舞鶴港には待ちわびる「岸壁の母」も歌謡曲になって巷に流れた。











「戦後日本の回想・S26年」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電」

2020-04-19 10:55:26 | 温故知新

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戦後、昭和25年より経済は朝鮮戦争の軍需景気によって街々の工場は活気づいていたが、マッカーサーとアメリカ大統領の朝鮮戦争の意見の相違によって連合軍最高司令官のマッカーサーは解任された。ワンマンのマッカーサー帰国に空港に20万人も見送り、日本の独立と自立を促すサンフランシスコ講和条約に野党社会党らと単独か全面講和かに意見が分かれ、国会は紛糾して吉田首相の単独講和に進めらえた。7月には朝鮮戦争も休戦となり、マッカーサーの後任のリッジウエイがGHQを引き継いだ。日本も独立に向かって、日本航空を発足させ、民間ラジオを開局させ、茶の間の上の棚にラジオが置かれ、国民の落語・浪曲・連続ドラマと多彩な楽しみが増えた。またNHKがテレビ初の実験実況中継でプロ野球を放送した。この年からパチンコが大流行し出し、また映画の製作も各社盛んに制作され、ベネチェア映画祭で「羅生門」グランプリ受賞し大いに喝さいを浴びた。また書店には絶大な人気を博した「鉄腕アトム」が少年らに夢を与えた。



「歴史の回想・シベリア抑留」電子書籍紹介・アマゾン・グーグル。楽天。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍

2020-04-18 09:33:43 | 温故知新


「歴史の回想・シベリア抑留」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍
シベリア抑留、昭和20年(8月15日1945)のポツダム宣言受諾後、無条件降伏を受けた日本にソ連の満州、北朝鮮、樺太、千島で敗戦を迎えた日本軍に将兵約60万を軍事捕虜としてシベリアを中心とするソ連各地におよびモンゴルに抑留、強制労働を課した。厚生省援護局の資料によると、抑留された者焼く7万5000人、現在まで帰国したもの47万③000人、死亡したと認めらえるもの約5万5000人、病弱などのため入ソ直後に満州や北朝鮮に送還された者4万7000人、ソ連から中国に戦犯として引き渡された者969人である。しかし、ソ連側の記録ではその実数は把握されていない。この中には開拓団員、満州国の官吏「、満鉄の幹部なども含まれ他に婦女子(主として従軍看護婦)も含まれていた。収容所は000か所、東はカムチャッカ半島から西はドニエプル川の流域、北は北極圏から南はパミール高原の西麓まで、全ソ連地区といえる範囲に及んだ。労働は地域によって異なったが、建築・道路・鉄道工事や森林伐採やその関連作業、鉱山、探鉱作業、農業作業その他の戦後ソ連の復興の必要な広い分野にわたり、環境の激変した抑留初期に、厳寒に飢餓・重労働の3重苦による犠牲者が集中した。抑留者は1950年4月末までほとんどが帰国、戦犯として残留したものもスターリンの死後1956年末までに釈放された。抑留者名簿の公表、墓参は、補償要求など残された問題は多い。復員引き揚げ問題、第二次世界大戦で海外在留の日本軍人・軍属および一般日本人の帰還問題、特にソ連、中国の本土地域からの引き上げが遷延した問題。復員は動員体制の軍隊を平時の体制に戻すことを指すが、第二次世界大戦後の日本では軍の解体で、召集が解かれ、兵役が解除されるまでをいう。引揚者は敗戦時に海外在留の軍人・軍属・一般人が帰国することをいう。厚生省の調べで敗戦時の旧陸軍海軍・軍属の総兵力が陸軍550万、海軍役242万、このうち内地部隊は陸軍200万弱であった。内地部隊の復員は陸軍は1945年8月末日までに8割が帰郷をした。また外地部隊の復員はアメリカ管理地域から始まったが、順次実施され1948年1月まで一応完了した。その他の国々からは順次引き上げ、幅員が進められたが、一番最後まで進まなかった、引き上げが遷延した地域はソ連・中国であるが、サンフランシスコ講和では両国は除外されたので国交も回復せず引揚・復員は政府間の交渉は遅々と進まず困難を極めた。





「歴史の回想・黒船来航」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍

2020-04-18 09:28:55 | 温故知新


「歴史の回想・黒船来航」アマゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電子書籍
黒船は江戸時代にかけて来航したヨーロッパの木造航洋船、いわゆる南蛮背のこと。船体が黒いタールを塗装した船で黒船と呼んだ。その後日本も技術を取り入れ輸入したりして保有はしていたが、当時の南蛮船はカラック、ガレオンなど大航海時代の主力となった。外洋を航行する堅牢で頑丈な船体作りになっていて、ペリー艦隊四集は蒸気船と帆装船各二隻で強引に鎖国の日本に開国を迫った。目的は捕鯨で鯨油を目当てに寄港できる開港を求めて交渉したがうまく進まず、大砲の空砲で驚かせ交渉しようとしたが国内事情で成立しなかった。何よりアメリカの思惑はヨーロッパ諸国の植民地化に出遅れて焦りがあった。アメリカ合衆のアジア市場への進出に産業革命を迎えた西ヨーロッパ各国は、大量生産された工業品の輸出拡大の必要性から、インドを中心に東南アジアと中国大陸の清への市場拡大を急いでいたが、のちにそれは熾烈な植民地獲得競争となる。市場拡大競争にはイギリス優勢のもとフランスなどが先んじており、インドや東南アジアに拠点を持たないアメリカ合衆国は出遅れていた。当時の人口は、アメリカ合衆が1833年に約1416万人、清が約4億人、日本が1834年に約2760万人であった。アメリカは1833年にシャムとマスカットとの条約を締結することにようやく成功した。1835年には日本と清との条約締結のために特使を派遣することとし、このときに東インド艦隊が設立されている。この試みは成功しなかったが、アヘン戦争後の1842年に清との間に望厦条約を締結し、中国市場へ進出することとなる。この条約の批准のために東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが清に派遣されるが、ビドルは日本との条約交渉の任務もおびていた。このため、1846年に浦賀に来航するが、条約を結ぶことはできなかった。


「古事記が描く説話の憧憬」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電書籍

2020-04-16 17:06:00 | 温故知新


「古事記が描く説話の憧憬」マゾン電子書籍紹介。角川電子書籍・BOOK★WALKER電書籍
『古事記』は現存する日本最古の史書とされ、二十九年間の舎人・稗田阿礼らの誦習と四カ月の編纂、全三巻で構成され、和銅五年(712年)に太安万侶によって編纂された。編算に当たって「帝紀」「旧辞」(参考資料)にされて作られた。
『古事記』の趣旨内容は大きく分けて、史的記述と説話記述に分類される。中でも説話の部分の情景は想像をかきたてる。
気宇壮大で荘厳で、痛快活劇、報復と応酬、喜怒哀楽の憎愛、露骨な性描写・奇想天外な武勇伝説話の展開・天地開闢・国生み神生み・黄泉の世界・禊・天の岩戸・大蛇退治・稲葉の素兎・根之堅洲国・国譲り・天降り・熊野から大和・倭建命の英雄伝説・兄弟の王権争奪戦・父王の怨念の復讐・禁断の愛・聖帝と女性遍歴・忘れられた八十年間待った約束・また歌に詠み込まれた数々の哀愁・優雅な皇宮の暮らしの風景などなど、これらの『古事記』の数々の描かれた説話から、古代の情景が浮かび上がってくる。
時代の趨勢と運命に生き、今日と変わらない生きとし生けるものの柵に生きる、生き様を垣間見、『古事記』のが描く古代に生きた、人々の光景に憧憬を覚えるものである。
『古事記』を編纂をした太安万侶が、近年、昭和五十四年(1979)太安万侶(おおのやすまろ)の墓が発見され、昨今その墓が「太安万侶の墓」と確定された。その事によって「古事記」と「太安万侶」の編纂と実在性が明らかになって行くのである。
その後近世になって下記の国学者らによる『古事記』の研究が盛んになって行き、新たな『古事記』の再評価に繋がって行った。
荷田春満(かだのあずままろ)(1669~1736)伏見大社の神職に生まれ、徳川吉信宗に国学の学校の創設を嘆願した。
賀茂真淵(かものまぶち)(1697~1769)賀茂新宮の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、荷田春満に入門し、田安家の和学の御用となった。
本居宣(もといのり)長(なが)(1730~1801)伊勢の商家に生まれ、医者を続けながら「記紀」を研究しながら「古事記」前四十四巻を著した。
平田(ひらた)篤(あつ)胤(たね)(1776~1843)出羽秋田藩士の子。脱藩し宣長に師事し、後に復古神道に貢献し神道の基礎を確立した。





「足利義満の群像」アマゾン・グーグル・楽天・電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER

2020-04-16 09:38:55 | 温故知新


「足利義満の群像」アマゾン電子書籍紹介。角川・BOOK★WALKER
室町幕府3代将軍。1368年(応安元)~1394年(応永元)在職。2代将軍足利義詮の子。母は、石清水八幡宮社務善法寺通清の女紀良子。政所執事伊勢貞継邸で誕生。1361年(康安元)12月、南軍の入京により、赤松則祐に助けられて播磨白旗城に逃れた。1367年(貞治6)12月、義詮の死によって家督を継ぎ、よく368年(応安元)4月、元服、12月に征夷大将軍に補任された。細川頼之が補佐役になって幕政政治を指導した。1378年(永和3)3月、北小路室町光明院御所跡に造営していた新邸(室町殿)が完成した。義満は二条良基・西園寺実俊らを招いて竣工の祝いの宴を開いた。新邸の庭には鴨川の水を引き入れて池を作り、近衛家庭前の糸桜をはじめ諸家愛蔵の由緒ある花木が植えられたので、世人はこの邸を花亭とか花御所などと呼んだ。室町幕府の名も、この室町殿に由来している。1379年(康暦元)南軍の軍事行動鎮圧するために、大和に出陣中の土岐頼康、斯波義将ら有力守護菅で、幕政を壟断する管領細川頼之排斥運動が顕在化した。同年4月、反頼之派の有力守護達は花の御所を包囲し義満に頼之に罷免を迫った。義満は彼らの要求を受け入れて罷免した。この事件には義満の頼之の軌範を脱却しよう義満の思惑も多分絡んでいたのであろう。義満は斯波義将を管領に任じ、春屋妙葩を南禅寺の侍従とした。大きな課題は南北統一の名目のもとに南朝政権を完全に解体することであった。大内義弘らの仲介で南北朝合一を実現した。1394年(応永元)12月17日この義持に将軍職譲り、同月に太政大臣に叙任された。1399年10月に大内義弘が挙兵した(応仁の乱)この乱が義満が西園寺家から譲り受けた北山山荘でその造営にあたって義弘が土木事業の役を拒んだことにあったといわれる。対立は貿易で巨額な利益を経済力に「日本の国王」への道を歩み始めた大内氏が許せなかった。朝廷からも将軍と認めらえ絶頂期、北山第に碁小松天皇を招いて連日のように宴を開いていた日々を過ごす義満は突如急死し、足利幕府内は後継者も決まらないまま混乱をした。