諸々雑記メモワール

諸事,気にとめたことなどを書きしるしたいと思います。

「食と人物」今日はどんな日 4月4日 醤油で高崎藩の財政を支えたヒゲタ醤油の田中玄蕃(10代)逝く

2015-04-04 10:49:00 | 日記

醤油で高崎藩の財政を支えたヒゲタ醤油の田中玄蕃(10代)逝く

1778(安永7)~1849.4.26(嘉永2.4.4

9代玄蕃(げんば)の長男。ヒゲタ醤油(現・千葉県銚子市所在)の繁栄の維持に努め,江戸文人との交流があり,『玄蕃日記』を残した。ヒゲタ醤油の始祖・田中玄蕃は,摂津国西宮(現・兵庫県西宮市)の造酒家,江戸で海産物問屋を営む真宣(さなぎ)九郎右衛門から溜(たまり)醤油の製造法を伝授された。

  徳川家康が没した1616年(元和2)に農閑期を利用して製造を始め,江戸本船町(ほんふねちょう,現・中央区)の真宣の店で販売したと伝えられる。銚子における醤油製造の最初とみられる。

  銚子周辺は1717年(享保2)以降,上野(こうずけ,群馬県)高崎藩の版図に組み入れられた。幕末の同藩は経済的に大いにひっ迫し,田中家から莫大な援助を受けたといわれる。このため,玄蕃は御用達頭取に取り立てられ,苗字帯刀は勿論,御祐筆次席格,非常鑓(やり)御免の特別待遇を受けた。

 この頃,地元の人々は「銚子で様のつくのは観音様と玄蕃様」とたたえあがめられたといわれる。嘉永2年死去。享年71歳。


「食と人物」今日はどんな日 4月2日 栄養教育の先覚者,女子栄養大学を設立した香川綾(あや)逝く

2015-04-02 10:27:33 | 日記

栄養教育の先覚者,女子栄養大学を設立した香川綾(あや)逝く

1899.3.28~1997.4.2(97歳)

 明治32年,和歌山県湯浅町の警察署長の次女として出生。和歌山女子師範学校卒業後,小学校教諭を経て,1921年(大正10)東京女子医学専門学校(現・東京女子医大の前身)に入学。14歳の時に母を亡くしたことから医学を志したという。26年(同15)卒業後,東大医学部で栄養学を学ぶ。

 30年(昭和5)31歳のとき同学の香川昇三(1895~1945)と結婚。33年(同8)夫とともに「家庭食養研究会」を設置。夫の死後,48年(同23)香川栄養学園を設立。この頃,5つの食品群提唱,計量カップ・スプーンを考案。50年(同25)4月,それまで各種学校であった学園が女子栄養短期大学として認可され,「これで栄養学が教育の大通りへ,やっと日の当たる場所へ出た」と感慨無量であったと述べている。

 56年(同31)には4つの食品群を提唱し,61年(同36)には同短大を4年制大学に昇格させるなど,栄養学を食生活の改善や健康維持などの観点から一般に広く認識させた。平成9年,脳内出血のため死去。