諸々雑記メモワール

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「食と人物」今日はどんな日 4月3日 和歌山県の橘本(きつもと)神社で「菓子祭・全国銘菓奉献祭」

2015-04-07 14:48:40 | 日記

 和歌山県の橘本(きつもと)神社で「菓子祭・全国銘菓奉献祭」

 

田道間守(たぢまもり)は,垂仁(すいにん)天皇の命を受けて常世(とこよ)の国より非時香菓(ときじくのかくのこのみ,橘)を持ち帰った。この功績をたたえ,田道間守を果物と菓子の神様として祀(まつ)る神社は全国に10余ヵ所あるといわれている。

  代表的な神社は兵庫県北部にある豊岡市の中島神社,太宰府天満宮(福岡県)の中島神社,佐賀県の伊萬里神社,紀伊国屋文左衛がみかんを積んで船出したという伝説の地にある和歌山県海南市下津町の橘本(きつもと)神社などがある。

  お菓子がなかった時代には,橘の実を加工してお菓子として食べていたことから,田道間守はお菓子の神様ともいわれている。橘本神社では,毎年4月3日に「菓子祭・全国銘菓奉献祭」が行われ,全国各地のお菓子屋さんより,和菓子,洋菓子,飴菓子等の色々なお菓子が奉納される。また,毎年10月10日(体育の日)には「みかん祭」が開催される。

 

 ところで,昭和17年(1942),田道間守をたたえる歌詞(「田道間守の歌」)が当時の小学校であった国民学校の「初等科音楽」(国定教科書)に初めて掲載される。

 

 

 

  1 かおりも高いたちばなを

 

    積んだお船がいま帰る

 

    君の仰せをかしこみて

 

    萬里の海をまっしぐら

 

    いま帰る田道間守 田道間守

 

  2 おはさぬ君のみささぎに

 

    泣いて帰らぬまごころよ

 

    遠い国から積んで来た

 

    花たちばなの香(か)とともに

 

    名はかおる田道間守 田道間守

 

 

 

この歌を兵庫県豊岡市の中嶋神社で小学生が歌っている貴重な録画をyutubeで聞くことができる。

 

 

 

 


「食と人物」今日はどんな日 4月7日 リンゴの需要拡大に貢献した歌手・並木路子(みちこ)逝く

2015-04-07 11:20:37 | 日記

リンゴの需要拡大に貢献した歌手・並木路子(みちこ)逝く

 1921.9.30~2001.4.7(79歳)

東京浅草出身。16歳で松竹歌劇団に入団。1945年(昭和20)3月10日下町を襲った東京大空襲(死者9万3千人)で母親を亡くし,火の海の隅田川を流されているところを危うく救助され九死に一生を得る。

  同年10月24歳のとき戦後初の企画映画『そよ風』(松竹)が封切られ,主題歌「リンゴの唄」(サトーハチロー作詞,万城目正作曲)を歌う。これがまたたく間に大流行し,敗戦直後のすさんだ人々の気持ちを和らげる。「赤いリンゴに唇よせて/だまって見ている青い空」のリンゴは今ではほとんど生産されなくなった紅玉であったといわれる。

  昭和20年当時のリンゴ生産量は6万4,600トンと昭和期の最低を記録。「リンゴの唄」はリンゴのイメージアップや消費拡大に果たした役割は計り知れないと思われる。

  87年(同62)には青森県リンゴ対策協議会から感謝状(平成12年,同県から初の青森りんご勲章)を,88年(同63)には長野県市民団体から「リンゴ王国・信州・クイーン賞」を贈られた。平成13年死去。

  なお,作詞したサトーハチロー(1903~73)の祖父・佐藤弥六(1842~1923)は青森リンゴの先覚者の一人。