対極論

正論・異論・極論…様々な角度から考察する思考実験ブログ

対極論 第一号

2016-10-09 15:15:52 | 時事・思考実験
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【サヨク速報】SEALDsしばき隊界隈の圧力で中止にされたアムネスティ日本のろくでなし子イベント、開催決定

【サヨク速報】SEALDsしばき隊界隈の抗議で、一方的にイベントを中止にされたろくでなし子さんからお知らせ
(ともに2ちゃん・涙目速報より)


【お題】
人権や言論の自由を擁護するアムネスティが「人権団体」の圧力に屈して、人権講演の中止を発表(後に期日順延に変更)をした矛盾、
そして人権擁護を標榜する人権団体・しばき隊による言論の自由の侵害という矛盾は何だろうか?

・概要
自らの性器を3Dプリンターで配布し起訴(通称・ろくでなし子事件)された自称・芸術家のろくでなし子が、表現の自由の侵害についての講演会をアムネスティ日本が行う予定だったのが、しばき隊による「圧力」によって開催予定が一時中止に追い込まれた事件

・背景
ろくでなし子裁判で表現の自由と猥褻物の裁判闘争にでしばき隊メンバーの支援を得た結果、一躍自由と人権と多文化の象徴としてしばき隊に祭り上げられた訳だが…
その後、しばき隊による個人情報暴露攻撃から始まる所謂「ぱよぱよちーん」騒動で、しばき隊側と思われていたろくでなし子が突如「ぱよぱよちん音頭」なるしばき隊・久保田氏を揶揄する歌を作り上げ、
それに反発したしばき隊が一転ろくでなし子をレイシスト呼ばわりし離反し敵対するようになった事が発端

【極論】
A:
矛盾でも何でもない、ネトウヨという人権侵害者と戦うCRACに仇なす輩はネトウヨの支持者と同類のレイシストでろくでなし子も当然レイシストの仲間だ。
少なくともろくでなし子の「ぱよぱよちーん」なる誹謗がネトウヨを活気付けCRACの活動を妨害したのは事実で、何の反省も見せないろくでなし子は自覚的にレイシストの行動を行ったのは間違いがない。

このような人物の講演会を開くアムネスティの無知は非難されるべきで、
レイシストによる人権侵害の被害報告パネリストなぞ醜態な茶番を強行しようとさせるレイシストどもの行為は許されない。


B:
そもそも「ぱよぱよちーん」とはしばき隊・久保田氏による千葉麗子へのストーカー行為の台詞(メール)文章で、人権擁護団体(しばき隊=CRAC)の幹部による人権侵害行為という矛盾を象徴する単語だと言える。
人権擁護団体幹部による人権侵害行為を揶揄したらレイシスト?
もしこの論理が成り立つのならば、その人権擁護団体とは人権をネタに使ったファシズム指向の団体に過ぎないのでは?
人権・言論の自由を擁護するのであれば、批判を受ける自由にも甘んじねばならないのでは?

同時に運動の「方向性」に親和性があるからとの事由でしばき隊の人権侵害紛いの「強訴」に屈しようとしたアムネスティは自省すべきですね。

C:
「B」の論法は理想空論過ぎるのでは?
自由・民主主義・人権は権力から戦い勝ち取ってきた歴史がある以上、人権擁護の運動は「闘争」なんだよ!
闘争の間に背中から味方を刺すような自由は認めてはならない、ろくでなし子の「ぱよぱよちーん」はまさに背中からしばき隊を刺しネトウヨを喜ばせた、裏切者のレイシストなのでは?

B:
絶対王制・専制ファシズムの時代ならともかく、今の時代に社会運動・市民運動を「闘争」と捉えるような真似をしてどうするの?
民主主義下の市民運動の勝利って、階級の破壊や専制の打倒ではなく、同じ市民への「理解」ですよね?
ならばその手段は闘争ではなく「理解」を得る為のものであり、その理解の相手は一般市民のみならず、市民の代表たる為政者や市民運動へ否定的な側も含まれると思います。
そうした理解・賛同というプラス的な概念が欠如し、闘争というマイナス的な排除・駆逐の論理に支配されているから、「人権擁護団体による人権侵害」なんて矛盾が平然と行われるのだと思います。
それは闘争・排除の論理の下では、矛盾や不都合に疑問や批判を唱える者自体が闘争対象・排除対象になり、外部に対しては攻撃指向を増し内部に対しては自浄能力が働かなくなるのではないでしょうか?
その結果、理解者となるべきアムネスティ日本にすら敵対的言動を取り恫喝するようになり、そうした排除の論理は敵を増やす論理になり味方を減らし自壊する論理にもなりかねませんよ?

A:
「排除・駆逐の論理」というなら在特会こそが在日排除という闘争論理そのものだろうが! 在日社会への攻撃という犯罪行為に警察等の法的抑制が働かなかったから、しばき隊という緊急行動が発生しCRACになったんだろ?

B:
確かに「在日特権を許さない会(在特会)」は排除の論理そのものですね、
発生も増加する賛同者もその原理は社会に対する不満を在日社会にぶつけるというかなり負の感情に任せた行動に見え、在日韓国朝鮮人=不法入国者への批判という口実で正当化し暴れているだけにも見えますよね?
ですが、仮にそうしたルサンチマン的な鬱憤晴らしでの排除の論理だけならば在特会は持続不可能な社会から孤立し自壊するだけの存在で終わりですが、実際は今なお一定の理解と支持を得て活動しています。

在特会の狡猾なところは、在日朝鮮人という「線引き」しやすい相手を排除の論理で攻撃しつつ、「在日の悪行」の喧伝で理解を得るという。
排除の論理と理解賛同の論理を上手くコントロールしているところだと思います。

D:
「B」の在特会への見方は、さもルサンチマンの捌け口を在日に向けさせる運動が在特会のようだが?
どう見ても在日犯罪は繰り返され、反日で犯罪を正当化するような「理論武装」をするような在日コミュニティを形成する側が「公共の敵」で、それを糾弾するために発生したのが在特会であるのが明らかじゃね?


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