対極論

正論・異論・極論…様々な角度から考察する思考実験ブログ

大極論 92号 約束と正義と その1

2019-01-24 02:27:50 | 時事・思考実験
※今回は多角的視点の思考実験ではありません
【グローバルアイ】約束を守る国・日本、正義が重要な国・韓国
(1)
[ 中央日報/中央日報日本語版](2ちゃんニュース速報他)

新年早々、安倍晋三首相は「ルールを守る国」を強調した。ある新春対談ラジオ番組に出演して韓国を「ルールを守らない国」の範囲にそれとなく組み入れた。司会者が「(日本はルールをしっかり守る国だが)ルールを守らない国に対し、どう接していくかは非常に難しいと思う」と言う趣旨の発言をすると、安倍首相は「自分のことばかりでは結果的に、国際社会は経済成長できないし、安全保障面でも不安定になる。ひいては自国にとって大変なマイナスになる」と述べた。韓国大法院(最高裁)の強制徴用賠償判決を狙った質問と返事だった。

最近会った韓国問題担当の日本外交官は、韓国と日本の認識の違いを説明しながら「韓国語の『オルバルダ』という表現を日本語で表現するのが一番困る」と告白した。「オルバルダ」が「正しい(ただしい)」という単語だけでは説明できないという話だった。日本人にとって「正しい」は、決められた基準に沿って行うことをいう。

合意や約束があればそのとおりすることが「正しいやり式」だ。しかし、韓国で通用する「オルバルダ」の意味は、それこそ時代によって異なって受け止められる。「その時は合っていて、今は間違っていること」が「オルバルダ」という意味として使われるということだ。韓日慰安婦合意や大法院の強制徴用賠償判決がそうだ。「ヨクサ(歴史)パロ(真っ直ぐに)セウギ(立てる)」は日本語にない言葉だ。「歴史を立て直す」としか翻訳できない。


【要約】
日本は「約束」を重要視する一方、韓国は「正義」を重要視する、
そしてその「正義」のニュアンスも視点も日韓間では全く異なるが、
我々はそうした相違を相互理解しながら進むべきだ…

【お題】
今回は趣向を変え、敢えて多方向からの葛藤という思考実験ではなく、
異なる2つの視点方向から述べさせてもらう。


【極論:A】

約束と正義かぁ…困った話だ。

「正義」って、それこそ人の数だけあるものだし、、、それこそ「正義=信念・主張」と言っても差し支えないくらいにね。
そのなかでとある「正義=主張」を賛同しあい集まり合意が形成され…社会的な「正義」とされる。
当然、ある集団に通じる正義を通せば正義は党派になり、それを通せば社会的葛藤になる事もある。当然賛同しないという「正義」にも党派が出来て対立の構図になる事もあるしね…


つまり、正義なぞ自己の信念・ポリシー程度の意味しかなく、帰属集団レベルの正義も共有価値・規範の意味程度に過ぎない…

さて「この程度の正義」とやらだが、
これは人の信条・信念それが糾合した共感意識に結び付いた一種の「イデオロギー」に転嫁し、またはイデオロギーの正当化に利用される。
正義というモノが時として、神の名の下の悪魔的所業と同じように、正義に非寛容・慈悲なき排他性を帯びる理由がコレである。
しかも、この正義とやらを非寛容・排他的に邁進する輩に限って、その「正義の価値」に普遍性を喧伝したりする。
『正義に対しての異論は容認しない、これは人間の普遍的価値だから』…とな。


ではもう一方の『ルール』についてだが…

人はふたりいればルールが必要。
この間に「正義」の共感は必ずしも必要はない。 必要な事は合意だ。
まぁこの「ルール」の範囲が大きくなり「規則・法律」になると、その合意すら「みなし」的なモノになり個々の合意承認すら怪しくなるが…それは集団の形成上仕方のないことでもある。

さて…この規則法律を含めたルールというヤツだが、
あとは明示性と適用の普遍性が必須だわな。
適用のされる契約者・所属・国民の間で「みんなが知ってる」ないしは「みんなが知る事ができる」ように明示され、そのルールで運用されている事と
「アイツは気に入らない・アイツは悪だ・だからアイツは別だ」という理由で差別的・優遇的な適用は原則的には許されず、適用の普遍性が担保されている事が必須。
だが「例外的な」差別的適用も別項のルールを作成しそれに基づいて存在する事もあるがそれも明文化を要する(犯罪者に対しての人権の制限や外国人に対する参政権などとかね…)。
あとコレも英米のように明文された法は比較的少なくし、ケースバイケースによる適用判断の間口が広い法体系もあるし一概には言えないがな。 それでも明文化された法は法だがな。

さて…かなり荒い私見だったが上記から見るに…
「ルールを守る国」と「正義が重要な国」ではどちらがマトモな国かな?

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