エントモ考える野球

弱者の戦いを駆使するチームアドバイザー。当たり前の実践で土台を作り、具体性のある弱者の戦略で弱者が強者に勝利する。

給食費を払わない親・・・

2006-04-26 11:22:05 | Weblog
びっくりした!本当にびっくりした!!

テレビで学校給食について番組をやっていた。

小学生・中学生の保護者が給食代金を支払わないという話。

札幌市で未納額は、小学生・中学生、ともに3000万円程度あるという。

この額は全体からすると、約1%らしい。

99名分の材料費から100名の給食を作っている現状。

この状況だけ見ると、「経済的に払えない人も中にはいるのだろう」と思う。

しかし、現状は、払えないのではなく払わない保護者が大半だという。

小学生の月の給食費は3350円(一食200円)、中学生は3950円(一食250円)。

栄養士さんは、使う材料をほうれん草から小松菜に変えてみたり、イチゴじゃなく違う

ものに代用したりしているらしい。メニューも微妙に変わる。

この未納問題、罰則はなく、法的強制力がないという。

なんだろう?こんな親もいるんだ(閉口)

自分だけよければという考え方で、結局周囲の人間に迷惑をかけ、

そしてまじめにやっている人にしわ寄せがくる。全くもってモラルのかけらもない。

この問題の根底には、義務教育だから当たり前というものがあるという。

現在、小学生・中学生を通わせている親の年齢は、20台~40台が主流。

お金の使い方も変わってきていて、子どもへの教育費より遊戯費が優先。

本当に子供を真剣に育てる意識が薄い。だからこういった問題が生じる。

テレビでは、こういった親を頼らずに子供たちを食育していくというコメント。

腫れ物にさわらない考え方だ。

子供が変わっても、一番近くにいる親の影響は間違いなく大きく受ける。

大人のモラルを変えていかないと、この問題は根本的に解決しない。

滞納の親は、学校からの電話は居留守。

携帯電話も所持していて、自家用車もある。なんなんだ?恥ずかしくないのか?

現在は、給食費を口座引き落としや振込みが多いという。

学校側も督促は、子供に分からないように水面下で行っているという。

自分さえよければそれでいい

やっぱり増えているこういった考えの大人たち。

家族だけじゃなく、子供が目の前にいるのに「自分されよければ」の考え。

高校野球に預けている一部の保護者のモラルも低い。

昨今多い、問題の噴出元はほとんどが親。

ちょっとしたことに過剰反応する。終わっている。

親のモラルの低下は本当によく聞く。

例えば・・・

朝登校時に晴れていて、夕方下校時に雨が降ったとする。

雨の中帰った子供を見て学校に怒鳴り込む。(実話)

「うちの子供、風邪引いたらどうするんだ」って。はい、引いて下さい。

自分で天気予報を見て事前に行動できなかったのに問題がある。

一度失敗したら、次から朝テレビを見て天気予報を確認して登校すればよい。

失敗から学ぶことは多いのに、アホなこと言ってくる親がいる。

例えば・・・

「うちは給食費払っているんだから「いただきます」と言わせるのはやめて欲しい」

ここまでくると、自分の馬鹿さ加減を公にしているのと一緒。笑える。

なんで「いただきます」というのか分かっていない今の親。

肉・野菜・魚、すべては生きている・命あるものを食している。

いただきますとは、「命をいただきます」という感謝の気持ち。

確かに、作ってくれている人への感謝の念も当然ある。

しかし、根本的には食物連鎖による営みとしても感謝の念で食するのが当然。

「お金を払っているんだから言わせないで」なんて本末転倒の話だ。

給食を残す子供も増えている。

今の家庭では嫌いなものは出ない、出さない、と言われている。

だから平気で残す子供たち。これは学校によって温度差があるらしい。

教師や栄養士が、「食べる理由」を説いている学校は残す率が少ない。

野菜は、体にどう吸収され「だから必要」なんだって話をすると残さない。

一所懸命に頑張って食べようとする。

でも、これって家庭でやることだと思う。なんでも学校に任せてしまう親。

バランスの悪い食事は、成人病という三文字で自分の身に降りかかる。

箸のもち方も、小学・中学でも未だに出来ない子供たちが多い。

社会に出て恥ずかしい思いをするのは子供。

給食では、日本食(和食)が人気のないメニューらしい。

カレーとか、○○丼とか、そういったものに人気が集中。

これって家庭の食生活がダイレクトに映し出されている。

家庭で外食し、本当の家庭料理の割合が少ないのだろう。

母親の料理技術の低下、子供に対する栄養云々の知識もないのだろう。

ここで考えて欲しい。

今あるべきことすべてが当然だと考えるのはどうだろうか?

世界には飢餓で苦しみ、毎日たくさんの子供たちが天に召されている。

今一度、子供たちへの教育・躾を考えさせられた時間だった。

自分を含めて大人が子供を育てていくという気持ちを再確認した。

もう少し、「ありがとう」「ありがたい」という感謝の念を持って生きてゆきたい・・・

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