楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

延長した本、ギリ返却

2016-08-24 23:16:53 | 


このく○暑い時節になかなか本を読む気にならなかったんだけど、今日が返却日だったので、むりやり流し込んで読み終えた。
瀬戸内寂聴の
「花芯」
「あふれるもの」
「夏の終り」
「けものの匂い」
「みみらく」
「蘭を焼く」
「吊橋のある駅」

このうち、「花芯」には以前に少し触れたが、肝心の課題図書の「あふれるもの」についてはいやでもまとめておかなくちゃいけない。

あらすじ

相沢知子は、売れない小説家の小杉慎吾とは8年に及ぶ愛人関係にある。
慎吾は、妻と知子の間をほとんど等分に往復して暮らすという生活を続けている。
そんなある日、知子は慎吾から“木下凉太”に会ったという話を聞かされる。
木下凉太は元夫の佐山の教え子で、佐山との離婚の原因になった6歳年下のかっての恋人である。
凉太は結婚に失敗し、南の島から一人で上京、近くに引越ししてきたらしい。
凉太と別れて12年、現在の暮らしにどっぷりと浸かった知子は、何ほどの感慨もなく、遠い身内の感覚でその事実を受け入れていたはずなのだが。
半分は妻のものである慎吾の欠けた時間に、穴埋めのように凉太を誘惑してしまう。
知子は慎吾に対する貞操観念を抱えながら、生気のない、かっての恋人にエネルギーを注ぎ込むかのごとく凉太にも身体を与えてしまうのだった。

感想

寂聴さんは「私は自分がしっかりしてるから、どうしてもダメンズを好きになってしまうのね」って言ってましたね。
分かる気はします。
友人関係でも夫婦関係でもお互い似てる部分と補い合う部分の両方が必要ですよね。
知的レベルや倫理観、道徳意識が違いすぎても、好きという感情は生まれにくいように思います。
かわいい娘やイケメンを好きになってしまうのは、本能の仕業ですから、この際置いときますが、いびつであるから惹かれるという人間のひとつの癖が曲者なんでしょうね。
ただ、一般市井の人間にとってはタブーの感覚が強い俗に言う「不倫」、作家なら大目に見てしまうは、そこに非難を引き受け、己の感性に従って生き抜いて行こうという覚悟があるからのように思えます。
世間というものに守られてぬくぬくと生きていける側の人間が、世間のやぶすまにさらされても、何かを追求していきたいとする殉教者的立場の人間に多少の寛容を示すという図式なのかもしれません。
しかし、奥さんの気持ちには目をつぶってるわけですよね。
自衛のなせる術か想像力は停滞して、踏み込んでいくことが出来ない。
凉太とよりを戻すのも、凉太への同情に見せかけて、自分では埋めきれない空洞への補填材とした要素があったのではなかったか・・・。
結局、自分しか見てないという傲慢さが浮かび上がってきやしないですかね。
単にわがままであさはかと切っては捨てられないかもしれないけど、それが自分に忠実に生きることとも言えないような気がします。
「あふれるもの」の続編として「夏の終り」が書かれているんですが、結局凉太は捨て駒になり、半身の慎吾では決して完結し得ないという不毛感が結論にならざるを得ないというお話です。


写真は先日帽子を買ってくれたTさん宅のレモンちやん。ガチャガチャでとった被り物付けたのを友人であるYさんが送ってくれました。きゃわ♡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする