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楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

「花芯」昨日の続き

2016-08-02 13:05:28 | 


あらすじ

主人公は古川園子。
小学生のころからの許婚であり、園子の父親と彼の母親がいとこ同士であった雨宮と20歳そこそこで結婚する。
雨宮は優しかったが、園子は覚めており、それでも長男の誠を妊娠し、結婚生活も3年が過ぎる。
そうしたある日、電気工事会社に勤める雨宮が京都支店に転勤になる。
京都では、支店長代理の越智泰範が、待っていた。

越智は自分よりも20も年上の北林未亡人とねんごろらしいと後には知るが、引っ越しの荷物で散らかったアパートの部屋で、園子と越智は見つめ合い、園子は恋に落ちる。
まだ結ばれてもいない恋情だけの園子ではあったが、夫の営みに応じられない自分をもてあまし、「越智さんを好きになってしまった。こんな気持はじめて」と雨宮に口走ってしまう。

雨宮は、園子が初めから雨宮への愛を持っていなかったことを信じようとせず、園子に暴力を振るうようになる。
心身を患った園子は病気療養の名目で、実家に戻り、父親と懇意にしていた芸者の友奴のはからいで、越智と密会する。
何日か後、園子と越智は、箱根の温泉に出掛けるが、園子は急に胃痙攣を起こして寝込んでしまい、越智はかいがいしく看病する。
園子は越智と温泉ですごしたその4日間だけ「私の恋は生きていた」と感じ「その後二ケ月を経て、越智とはじめて肉体的に結ばれた時、私の恋は終わった」と思うのだった。

園子は家を出て、友奴の娘の留美子の家のある東京へ行く。
園子は、銀座の帽子店に勤めるが、帽子店のオーナーであるマダムの本職はコールガールの斡旋で、園子は、報酬無しで指定された男と1度だけの交わりをするようになる。

雨宮とはとうに別れ、越智との関係を続けながらも、園子は、一夜限りの男たちとの情交をもむさぼっていた。
そんな情夫のひとり、遊び慣れた60歳を超えた男から、「かんぺきな……しょうふ……」と言われる。その時から園子は、男から、ためらわずに金を取るようになる。

そして、雨宮と妹の蓉子が結婚したという話を聞いても、園子は何の痛痒も感じなかった。
しかし、そんな園子にも、人知れぬ怖れがあった。
「私が死んで焼かれたあと、白いかぼそい骨のかげに、私の子宮だけが、ぶすぶすと悪臭を放ち、焼けのこるのではあるまいか」


堕ちて行く女の性愛の描写を、そんなもんだろうかとどこか醒めた目で眺めている自分がいますが・・・。
多分、人間を区分するとき、深く物事を考えずに平凡で従順な羊として生きて行ける人間と、本質から目を逸らすことがどうしても出来ない世間からは異端としてつまはじきされるいわゆる負組の人間というざっくりとした二つの分け方が出来るんじゃないかと思います。
双方が互いに理解しあうのは難しいですよね。
体験というのはひとりひとり体験した本人にしか分からないからです。
寂聴さんはお釈迦様も性の深遠を覘いたことのある人間だったんじゃないかと言ってました。
性がすべてではないけれど、それを避けては通れない生活の仕組みというものがあって、各々がその感性の命じるままに進むべき方向を選び取っているんですよね。
もともと、作品は私小説に等しいもので、寂聴さんの生き方がそのまま投影されてます。
徳島では、かって、子供を捨てて、恋に走った寂聴さんを嫌う一部良識派県民の圧力があって、それは今でも完全に無くなっているわけではありません。
しかし、文学という手段で説明を受けると、むげに聞く耳持たぬ態度をとる訳にはいきません。
微細な生への疑問を、身体を張って、私たちに投げかけているんだなと感じるからです。
「あ、これか」と文字通り自分が体験してみて初めて分かる人間の心理、肉体的変化、これらから無縁の人間なんてまずいません。
どこまで行くか、行けるか、そこには人智外の力が働いているのではないかと思うところです。

写真は拙宅のシュウカイドウ。
コメント
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