息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

記憶を消して、心を守る

2019-02-17 14:53:02 | 自転車通学

以前も書きましたが、息子は事故直後から事故の記憶がありませんでした。

それを細かく書きますと・・・・




1.「覚えていない」ーーーーーーーーー事故直後(平成29年11月)

2.「滑ったような気がする」
「倒れた自転車のスタンドが、何故か立っていた」ーー事故翌日(平成29年11月)

3.「後ろから押された感じだった」
(保険会社が依頼した調査会社の聞き取りの時)----事故から2週間後(平成29年11月)


4.「普通に走っていたのにどういう訳か転んだ」--ーー事故から4か月後(平成30年3 月)

5.「 やっぱり後ろから押されて転んだみたい」ーーーー心療内科治療を止めた後(平成30年3 月)




外傷が治り、頭部打撲や頚椎捻挫も癒えてきて、記憶が回復してきたのか、事故から3週間くらいで、被害者(息子)は事故を語り始めましたが非常に曖昧でした。

そして心療内科に通って3か月、やがて徐々に、自分で事故を客観的に見ることができるようになってきた・・・(ように思えます)。

人の脳は、(私は専門家ではないですが)巧みにできているようです。

心や神経が耐えられないほどつらい経験や痛みは、忘れられる。

記憶自体を消すのではなく、そこに繋がる回路を、脳が自分で遮断する感じでしょうか。

そんな小説の中だけの話のようなことが、実際起きているとしか考えられません。

しかし、自らを守るそんなシステムの為に、何が起きたのか思い出せない。

(また無理に思い出させることは、所謂『セカンド〇イプ』のように、再び心に深い傷を負うかも知れず、危険性を伴うようです)

同時にその事が、事故の解明には障壁となったことも確かでした。


結果的に・・・・
加害者は『(自転車の息子が)勝手に急に転んだ、自分は避けようとしたが避け切れなかった』と(加害者の車の保険会社に)強弁し、その保険会社は、私どもに『車は悪くないから、ウチは何も補償しない』などと、強気な発言に終始しました。


私(=父親)は、事故当初から事故の真相の究明がしたかった。

息子に何が起きたのかを知るべく、行動を父親としてすべきことを始めていました。



(次回、続けさせていただきます)





事件の経緯を整理(2)

2019-02-15 19:03:31 | 自転車通学

(1)の続きです。



・事故にあってから、私共家族にとって、(被害者や保険会社との交渉より)息子の心身の怪我の治療が最優先でした

・骨折が無かったので、見た目の四肢の怪我は2週間ほどで治りました

・しかしその後、予想もしなかったことが起きました

・息子が吐き気・めまい・手足のしびれを訴えだしました

・診察を受けると、頚椎捻挫(いわゆるむち打ち症)で髄液が漏れている疑いがあると医師に言われ、ただ子供だから手術云々より経過を観察しながら、自然治癒させたほうが良いと診断された

・そして追い打ちをかけるように、”不安恐怖症(心療内科の診断による)”で、息子は自転車に乗ることを恐れるようになってしまいました。 再び事故に遭うのではという『PTSD』らしく、自転車に乗れない(ハンドル等を交換したのですが、息子は形が通学自転車のルール違反だからダメと言い張りました。実際は指導の先生にも確認したのですが、全く問題ないし、以前と同じハンドルでした)


・そして、息子は心療内科に通院するようになりました(私ども両親は、目の前が真っ暗になってしまいました)

・家から学校までは約4キロ、重い(約12キロ)ほどある通学カバンを背負い、1時間かけて学校に歩き、授業・部活を終えて1時間かけて歩いて帰ってきた

・毎日、朝暗いうち(5時過ぎ)に家を出て、暗くなってから(6時半ごろ)帰宅しました

・成績も下がりました


・車に轢かれた時、息子は身体は大きくても、まだ小学校を出て半年後、ほんの子供でした


・ある日など、心身が疲労の限界に達したのか『もう、歩けない』と云って、丸1日部屋にこもり不登校しました

・どうなることかと心配しましたが、翌日からはまた徒歩通学を始め、私どもはホッとしました

・息子の徒歩通学は、2017年11月の事故後から2018年の3月15日まで続きました。
心療内科の治療が功を奏したのか、或いは、4か月半の月日が心の傷が癒やしたのかは分かりません

・この時点で、心療内科へ通うことは止めました



そして事故から4か月半のその日、息子の心療内科での治療が一段落したのち、私ども両親は行動を起こしました。

泣き寝入りはしないと決めて。






『犯罪者はウソをつく』

2019-02-14 08:24:46 | 自転車通学

〈事件の経緯〉の続きを始める前に、以前相談した方々に言われたことを少し。





* 警察署の事故担当官・・・『自分が悪いと言わない加害者は多いです』


* 警察に25年ほど勤務する友人・・・・『犯罪を犯すような人は平気でウソをつく。また保険会社とは大体そんなもので、善悪や真実と云うよりまずは会社の利益と本人の成績。被害者がゴネると対応が変わることも多い』『被害者がよほど重症か、死亡事故でない限り、警察は動かない、忙しいから』


* 大手保険会社の営業で30年近く働く友人・・・・『過失割合が6:4で被害者が悪いという調査会社の報告は変だ、しかし過失割合が変わることは少ない。泣き寝入りしないのであれば、行政に相談したり、裁判所に調停を申し込んだりした方が良い』


* あちこちの無料相談で聞いた5人の弁護士の話・・・・『過失割合は最悪でも逆の6:4(保険会社は被害者に支払う義務が生じる)、資料を見て話を聞いた限りでは、10:0か9:1で加害者が悪いでしょう。』『裁判するほどの怪我ではないので、調停を申しこんだらどうか』




上の方々も、実際に事故を見たわけではないので、あくまで一般論ですが参考になりました。

共通するのは、『犯罪者はウソをつくもの』という事でしょうか。

交通事故、交通犯罪であれば、自分の非を認めないとなるようです。

そして保険会社は、保険会社の為に仕事をする。

私自身も、ずいぶん長い間運転していますが、運良くこれまで"事故"とは無縁でしたので、そんなことは少しも知りませんでした。

ちょっとした"人間不信"に陥りました。



事件の経緯を整理(1)

2019-02-11 19:18:21 | 自転車通学

事件(事故)のこれまでの経緯を整理してみます。
(箇条書きで失礼します)



・事件発生は、2017年11月上旬の朝7時40分後

・中学1年生の長男(12歳)が、自転車通学の途中、車にはねられた

・事故地点は地元では有名な狭く危険な道路だが、通学路に指定されていて小・中・高校の子供達や勤め人が、徒歩、自転車で利用する

・1列になって走行中、後ろから車に押され転倒したところに、その同じ車にはね飛ばされた

・上(の事故状況)は加害者立ち合いのもと、警察が作成した検分状況書に依ります

・事故後、被害者(息子12歳)は負傷し救急車で運ばれ、現場検証には立ち会っていません

・偶然、知り合いが現場近くに住んでいて、事故を母親に急報し、母親は現場に行き救急車に同乗した

・病院で治療を受けた息子は、呆然として事故の記憶を失っていて、『気が付いたら車のバンパーが目の前にあって、身体中が痛かった』と語るのが精一杯だった

・加害者は『自転車が勝手に転び、自分は避けきれずぶつかった 自分は悪くない』と保険会社に説明した

・保険会社は被害者宅(ウチ)に電話をよこし『オタクの息子さんが勝手に転んだから治療費は払えない』『仕事を休んだのも、勝手に救急車に同乗したのだから、休業補償はない』と(苦しむ我が子を、寝ずの看病をしていた母親に)話した

・母親が、『(警察の話と全然違う)から、警察で事故の状況を聞いてください』と云うと、保険会社は『行っても(当事者でないから)警察は教えてくれない』と居直った




・・・・(2)に続けさせていただきます。






もうひとつの別の3か月

2019-02-07 18:18:02 | 危険運転


平成30年3 月24日(土)

あと10日もすれば中学2年生になります。

学業も部活も忙しくなり、病院に行く時間も作りにくくなります。

PTSD(外傷後ストレス障害)の詳細はともかくとして、自転車通学もできるようになってきたので、治療を止めても良いかどうか相談するため、午後車で いつもの心療内科へ連れて行きました。

母親が診察室に同伴し、担当のドクターに「自転車で学校に行けるようになってきたので、そろそろ治療を止めることができるかどうか・・・」と相談しました。

ドクター:『自転車に乗れるようになったという事は、回復してきていると考えて良いと思います。ただ、不安恐怖症は再発もあるので、今後も気を付けて長い目で見てください』

治療直後で記憶が回復してきているのか、本日も車で帰宅途中、息子は『やっぱり後ろから押されて転んだみたい』と吐露した。



・・・・(何日も考えて)この日で、心療内科への通院は区切りをつけました。

心療内科へ通い始めて、3か月を少し過ぎていました。


あの事件さえなかったら、ウチの家族はもう一つの、別の3か月を過ごしていたかと思うと・・・


そして、子供が自転車通学路で危険な車にハネられてからは、4か月半が過ぎていました。