息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

『被害者』にもワルが

2019-11-17 17:59:51 | 息子の交通事故
近頃は『オレオレ詐欺』だの『フィッシング詐欺』だの、頻繁に目に耳にします。


それらに比べれば、交通事故を利用した保険金詐欺は、知名度も件数的にも少ないでしょう。


私も息子の事件(=事故)が片付くまでは、その内実は知りませんでした。


私共家族の体験をブログに綴り始め、”交通事故”というジャンルを調べるにつれ、詐欺案件がそこそこ存在する事に気が付きました。


“災い転じて福となす”じゃないですが、これ幸い?と、医療費・修理費・慰謝料・休業補償など、保険金の過剰もしくは虚偽の請求による詐欺行為。


もう、昔からある『当たり屋』と言われるシノギだけではありません。


最近目立ったニュースでは、【2回の事故で6千万円…家族ぐるみで保険詐欺、14人が画策した悪知恵】なんて(←下のURL)、かなりあくどい事件もありました。


https://www.sankei.com/west/news/180221/wst1802210004-n1.html






一般論として、保険会社が詐欺被害に遭わないように用心し、被害者を疑う気持ちも分かります。


なるべく保険金を払いたくないという、企業としての損得計算も分かります。


ですが、ほとんどの割合を占める真の被害者にまで、疑いの目を向け、あれこれ画策するのはどうかと思います。


”性善主義”一辺倒が通用しない、世知辛い世相ではありますが・・・・






自動車の自賠責と任意保険は、私を含め、ほとんどの人が掛け捨てと思いつつも、継続して掛け金を払っています。


それは、今年も加害者にならずに良かったと思う安心料だと思っているし、そのおカネは、被害に遭った方のお役に立っていると思うからです。


詐欺犯に大金払ったり、保険会社を太らせるつもりで契約しているのではないのですが・・・・。








後遺症に苦しむ息子

2019-11-11 14:16:27 | 息子の交通事故
中1で〈被害者〉となってしまった長男は現在中3、受験生です。


事故から丸2年、身体の傷は頭部打撲、頚椎捻挫、手足の打撲と擦り傷でしたが、すでに完治しています(=と思います)。





厄介なのは心のキズです。


3歳から乗っていた自転車に、事故後は乗れなくなりました。


親としては、(怖い目にあったのだから仕方ない、無理強いするのは良くない)程度に考えていました。


しかし、中学校までは約4キロある上に、近頃の中学の通学バッグ等の荷物は10キロ前後の重さがあり、悪い事に、都合の良い公営交通機関はありません。


小学校卒業から半年の子供には、過酷な通学でした。


冬場でしたので、朝暗いうちに家を出て、真っ暗になってから家に辿り着く毎日。


朝、『もう、歩けない』と云って、休んだ日もありました。




事故から数か月後に心療内科を訪れました。


事故による“不安恐怖症”と診断されました。


いわゆる〈PTSD〉です。


3か月通院し、自転車通学が再開できるようになりました。


(ヤッターッ!治った)と思い、通院を止めました。




ところがです。


事故から1年後の朝、『きょうは(自転車ではなく)歩いていく』・・・と突然言い出しました。


まさに"青天の霹靂"でした。

理由を聞くと、『事故が起きたのは、去年の(部活の)新人戦の次の日だった』


『きのう新人戦だったので、ちょっと今日は歩いて行きたい・・・』




(なんてことだ!)とガックリきたと同時に、しまい込んでいた加害者への怒りが再燃しました。


“フラッシュバック”と言われる心的現象です。


本人がやっと押さえこんだ、心のキズ。


〈新人戦の翌日〉というキーワード?が、事故を心の中で再体験させ、再び恐怖がこみあげてきたのでしょう。


命の危険に係わるような恐怖体験は、フラッシュバックが起こることが多いそうです。


本人は言いませんが、悪夢としてあの事故をみることもあるのでしょう。


そして何度も何度も、追体験していたのではないでしょうか。


その日以来、本日現在まで、息子は一度も自転車通学をしていません。

『しない』ではなく、『できない』のです。



ですが、医学療法はもうしません。


よくは判りませんが、深い心の傷なんて、一生治る事は無いのかもしれません。


本人が自力で立ち向かい、心の奥底に沈めてしまうしかない。


タチの悪い癌と一緒で、死ぬまで付き合わされるのかも知れない。




幸い、今は事故当時より身体も大きくなり、体力も増し、片道1時間の徒歩通学にも慣れて、もう苦にしていません。


自転車にも乗れるようになりましたが、通学は無論、事故現場には近づきません。


PTSDとはそういうモノでしょうから、今は私も強制はしません。


先のことは分かりません。






少なくとも今の私に言えることは・・・・


息子の、通学道路の端を自転車で学校に向かっていたら、後ろから車に押され、転倒したところをその車にハネ飛ばされるという経験は、12歳の子供の精神にとっては、限界を超えていたということです。








やるべきこと

2019-11-06 19:15:45 | 息子の交通事故
前回の続きです。


(千葉在住の我が家、この秋の3連続台風によるウチの風水被害は軽度でしたが、まだ元通りにはなっていません。本当に深刻な被害を受けた方々は、どれほど大変なのだろうかと思い巡らし、心が痛みます。経済的な事だけをとっても、行政も保険会社も、結局はお金を出し渋りますから・・・
言い訳ですが、そんなこんなでブログの更新も遅れがちで、申し訳ございません。)





さて、私の主張がすべて認められた地裁の調停が終わっても、やはり心は晴れませんでした。


(今年の2月の話で、息子が通学路で60代のドライバーに轢かれてからは、1年3か月後です。)


それは当初からお金が目当てじゃなかったので、いくら金銭で補償されても、ちょっと違うなと感じてしまうのです。


しかし、正直言って私も凡人の一人です。


これ以上加害者や保険会社とか警察を相手に争う事は、精神的にかなりキツイのです。


かと言って水に流すのも・・・・・


そこで思い当たりました。


“世間の人たちに発信”・・・・つまり事故から1年後に時系列を遡り、備忘録を兼ねて書き始めたこのブログでした。


興味を持って読んで戴けるかどうかは、分かりません。


むしろ同様の体験を持つ方々以外は、自分には関係ないとスルーするでしょう。




ですが、交通事故・犯罪・天災被害など、いつ誰がどこで遭うか、判らないのも事実です。


世の中の人全員が、被害者の予備軍です。


私は少しでもお役にたてればと考え、詰まらなく拙い文章ですが、これからも私の体験をブログで発信します。




息子の事故を通して、私は学びました。


それは・・・・


・加害者は、ウソをつく
・警察は、重大な事故以外は動かない
・保険会社は、理不尽


・・・・という事です。


上の理由のすべては、自分もしくは組織の”保身の為” (と私は思います)。


トランプ大統領じゃないですが、『自国(=自分)ファースト』です。


そして結局は、”パワーゲーム”になります。


強いものが勝つ。


そこには正義も理屈も、人情もほとんどありません。