鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【考察】『Goosehouse』

2015-12-25 02:49:21 | 日記

Goose house(グース ハウス)は、日本の音楽グループ。しかしながら普段からユニットとして常に活動しているわけではなく、シンガーソングライター、異なるミュージシャン同士が「ハウス」と呼ばれるシェアルームに集まって音楽活動を行っている。
 ※wiki参照

https://www.youtube.com/watch?v=ddgcjiFfrd4
@何度でも/Dreams Come True(Cover)

Q . 音楽を楽しむうえで、”映像”の存在意義とはなにか?

昨今の音楽業界のヴィジュアル主義は今に始まったことではない。可愛い子、綺麗な子、イケメンに歌わせて消費者を酔わせ、釣る。

よくないね。ヴィジュアルと一言に言っても、俺が今回の記事で指したいのは、プロモーションビデオのような映像ではなく、YouTubeなどでプロではなく、そして営利目的でもない一般ユーザーがUPしている動画に使われているような映像のことだ。

よほど洗練された映像技術がなければ、あるいはその手の企業の協力などがなければ凝った動画の制作はできない。しかし定点カメラで歌っている姿だけを撮影するなら、社会人の収入で十分に手が届く。

冒頭で説明をしたグースハウスだが、今回ピックアップしたのは彼らの作品について改めて感動したからだ。そしてドリカムの『何度でも』をカバーしている動画をチョイスしたのは、俺が推したい要素が特に濃い作品だと思ったからだ。

その要素というのは、"楽しそうに歌っている"というポイントだ。

これが音源だけだったらどうだろう?彼らの表情は伝わらない。手振りだったり全身でリズムに乗ったりする姿が見えなければ、どれだけノっているかも伝わらない。

いつも不思議に思うことなのだが、「ただ歌っているだけなのに、とても嬉しそうなのだろう?」と。もちろんしっとりと歌う曲であれば歌唱中に表情が綻ぶことはないかもしれないが・・・。

機嫌、あるいは気分というものは伝染する。良いものも悪いものも極めて容易く。

楽しそうに歌う姿は、見る者を楽しい気分にさせる。映像があることの価値を実感する。

グースハウスの彼らは心底楽しそうに見える。音楽好きな友人が少ない俺からすると至極羨ましい限りである。余談だが、特に竹渕さんの技量は目を見張るものがある。俺が気に入るグースハウスの作品にはほぼ全部彼女が出演している。歌が上手い人をタイプとか関係なく無差別に好きになってしまう性格もいかがなものかと思うが素直に魅力的だと感じる。



相も変わらず整頓のされてない記事になったな・・・。

まとめようかね。

本当に良い音楽は"音だけ"で聴く者を圧倒するはず、という主張だった俺がグースハウスを見ていてついさっき映像ありきの音楽を肯定し得るヒントを得た、という記事ですねハイ。

顔の造形や露出や衣装でゴリ推しの昨今のヴィジュアル主義な音楽には否定派なのは変わりませんが、グースハウスのような手法は素晴らしい。

純粋に音楽を楽しんでる。その姿を届けようと言うのならカバーが多くなるのも当然といえば当然。カラオケでなるべくみんなが知ってる曲を歌うようなものだから何も悪くない。


おーわり







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