「教えて 正しいさよならの仕方」
「思い出たちが ふいに私を 乱暴に掴んで離さない」
『桜流し』といいこの曲といい、静かな曲調なのにずしんと響く。戻れない過去や、もう会えない人への想いにどれほど行き場が無いか、そしてそれを抱えて生きて行くことがどれほど苦しいのか、それらに対して「救いがあらんことを」そう祈っているような歌詞だと感じた。
正しいさよならの仕方なんて誰も知らない、教えてくれない、きっとそもそも存在しない。でも作詞した彼女自身もきっとそれは言うまでもなくわかりきっている。わかりきっているならなぜ聞くの?わかっていても、親に駄々をこねる子供のようにわがままを言いたいほどその答えが欲しいものだということ。無茶なのはわかっていても、無理なことはわかっていても、抑えることができないそういう気持ちを唄っているんじゃないかと感じた。
真夏の通り雨、というタイトルについて。なぜ「真夏」なのか。MVの後半には夜空に打ち上がる花火が出てくる。真夏にはいろいろな思い出が詰まっている。どの季節にも同じことが言えるが、夏には老若男女が殆ど条件抜きに楽しむ行事が多いと考える。春には入社や卒業、冬には恋人が寄り添ったりウィンタースポーツに出かけたり、つまりその多くは若者だ。秋は省いて、夏には水辺での時間やお盆や祭りや花火がある。故郷に帰ったり、地元の行事に勤しんだり、花火を眺めたりというのは子供とでも祖父母とでもその時間を共有できる。懐かしくて恋しくなっても戻れないあの記憶たちを運んでくる、だから真夏の通り雨、なのかな?と。
「乱暴に」という表現を用いているのは、思い出せば楽しくなったり恋しくなったりするような記憶は、「過ぎ去った過去」だと自分に言い聞かせなければならいという義務を帯びて存在しているからじゃないかなと思う。他愛ないものならまだしも、悔やみきれないような過ちを含んでいたりすると、結果的に自分を責めてしまうこともある。そうだとすれば、極めて共感してしまう歌詞だと思う。というか歌詞の解釈は人それぞれだと思っているので俺はそうとしか感じれない。つまり俺はこの曲をなんとはなしに聴けない。感動がシリアスすぎてつらいから。桜流しもそう。とても素敵な曲なのに、とても素敵な曲だから、自分の中である条件を満たさないと聴かない。
過去や思い出への儚さと、祈りを芯まで感じた『真夏の通り雨』でした。
おわり
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