僕の中の壊れていない部分 読了
主人公と親しい雷太が、靖国を参拝した宇田川首相を刺した場面で浮かんだ疑問がある。
「テロについて」だ。
雷太曰く「首相が死んだところでこの国は変わらない」。結果的には株式市場で日本株が底知らずに下落したりと、色々起きているのだが、それも一過性に過ぎずその他諸々含めても一国の変化の節目になり得ないことは確かに雷太の言う通りである。
雷太の犯行動機は、「靖国参拝イコール戦争肯定、首相が靖国へ行くことは何があっても許せない」とのことだが、取り調べの際の供述は視聴者に確かな影響を与える筈だ。
歴史に名を連ねる悪名高き犯罪者達の中には、テロ意識を持って大量殺人を行う者が少なくない。テロリズムの根底にあるのは、新世界創造への期待、「お前らには任せておけない。お前らの管理、統率はこの俺様が仕切るべきだ」というような、つまりは革命願望である。
カッターナイフでもバターナイフでも、自作の爆弾でもなんでも、凶器と狂気を手にすれば、たった一人の人間が何千万以上の人々に強い影響を与えることができる。
倫理的にも法律的にも決して正しくはない方法で行われた首相殺害事件だが、これを機に改められた意識(テロ対策だったり危機管理など)や社会構造が後の社会で見直すべき改善点の多くを大衆の眼前に引きずり出すことに成功しちゃったりして結果的に良い影響をもたらすことになったとしたら?
1人のテロリストは、インフルエンザの予防接種が「一時的な感染を経て耐性をつける」ような役割を果たしていると、言えなくもないだろうか。
テロ行為を肯定する、またはテロリズムの芽をせっせと育てるような真似をするつもりはさらさらない。しかし、雷太のような人間が奇しくも課せられた使命感の出自は、大衆の怠慢にこそあると言っても過言ではないと思わずにはいられないのもまた事実かと。
閑話休題。
本書の感想。著者である白石一文の著書の多くには、解説文によれば「生きるということの本当の意味みたいなものに対して懐疑的である」というテーマが存在していると言う。
「真の幸福とは…」と主人公が語っている場面がある。個人的に俺は、生死への哲学的な興味を厨二病真っ盛りな時ほどは持っていない。宇多田ヒカルの「桜流し」の歌を聞いたことによって、大切なものが何かについて、そしてそれに対してどういう考え方であるべきかはもう殆ど完熟してしまったようなものだからだ。それに加えてすっかりダーウィニズムの虜になってしまったこともある。
なので主人公あるいは白石一文が読者に伝えたいメッセージを聞き入れることはできていないと思う。
この本は知人の勧めがきっかけで読み始めた。勧められた際に期待していたのは「主人公の異常人格ぶりと絵里子の異常人格ぶりと、気持ちの良くない終わり方」だった。しかし、率直な感想としてはそのどれもが期待外れだった。その点は残念だったが、全体を通して村上春樹の本と雰囲気が似ているので好感が持てた。
酩酊した主人公が夜中に絵里子の家を訪れて場面。彼女は玄関を開けてしなだれかかってきた主人公を何も言わずに介抱し、ベッドのうえで目が覚めた主人公がおもむろにキスをし、さらにそのまま舌を入れようとするのだが、彼女は「まだお酒くさいよ」と微笑しながらそっと拒む。はぁ…。なんなんですかねぇ。普通なら「酒臭っ!やめろ!」ぐらい言われてもおかしくないんじゃないんですか?そんな聖母みたいな女性いるんですか?普通に羨ましかったです。
三股することや、両親への考え方や、絵里子への態度、それらを異常とは思わないし否定する気はない。十人十色だから否定しないという意味ではなく、少数派というだけで社会的弱者だったり異常者の括りになるのが気に入らないから否定しないだけ。兎にも角にも主人公にあまり共感できる部分がなかったのは俺がまだまだ子供だからだろうか…。
そんな感じですかね。
主人公と親しい雷太が、靖国を参拝した宇田川首相を刺した場面で浮かんだ疑問がある。
「テロについて」だ。
雷太曰く「首相が死んだところでこの国は変わらない」。結果的には株式市場で日本株が底知らずに下落したりと、色々起きているのだが、それも一過性に過ぎずその他諸々含めても一国の変化の節目になり得ないことは確かに雷太の言う通りである。
雷太の犯行動機は、「靖国参拝イコール戦争肯定、首相が靖国へ行くことは何があっても許せない」とのことだが、取り調べの際の供述は視聴者に確かな影響を与える筈だ。
歴史に名を連ねる悪名高き犯罪者達の中には、テロ意識を持って大量殺人を行う者が少なくない。テロリズムの根底にあるのは、新世界創造への期待、「お前らには任せておけない。お前らの管理、統率はこの俺様が仕切るべきだ」というような、つまりは革命願望である。
カッターナイフでもバターナイフでも、自作の爆弾でもなんでも、凶器と狂気を手にすれば、たった一人の人間が何千万以上の人々に強い影響を与えることができる。
倫理的にも法律的にも決して正しくはない方法で行われた首相殺害事件だが、これを機に改められた意識(テロ対策だったり危機管理など)や社会構造が後の社会で見直すべき改善点の多くを大衆の眼前に引きずり出すことに成功しちゃったりして結果的に良い影響をもたらすことになったとしたら?
1人のテロリストは、インフルエンザの予防接種が「一時的な感染を経て耐性をつける」ような役割を果たしていると、言えなくもないだろうか。
テロ行為を肯定する、またはテロリズムの芽をせっせと育てるような真似をするつもりはさらさらない。しかし、雷太のような人間が奇しくも課せられた使命感の出自は、大衆の怠慢にこそあると言っても過言ではないと思わずにはいられないのもまた事実かと。
閑話休題。
本書の感想。著者である白石一文の著書の多くには、解説文によれば「生きるということの本当の意味みたいなものに対して懐疑的である」というテーマが存在していると言う。
「真の幸福とは…」と主人公が語っている場面がある。個人的に俺は、生死への哲学的な興味を厨二病真っ盛りな時ほどは持っていない。宇多田ヒカルの「桜流し」の歌を聞いたことによって、大切なものが何かについて、そしてそれに対してどういう考え方であるべきかはもう殆ど完熟してしまったようなものだからだ。それに加えてすっかりダーウィニズムの虜になってしまったこともある。
なので主人公あるいは白石一文が読者に伝えたいメッセージを聞き入れることはできていないと思う。
この本は知人の勧めがきっかけで読み始めた。勧められた際に期待していたのは「主人公の異常人格ぶりと絵里子の異常人格ぶりと、気持ちの良くない終わり方」だった。しかし、率直な感想としてはそのどれもが期待外れだった。その点は残念だったが、全体を通して村上春樹の本と雰囲気が似ているので好感が持てた。
酩酊した主人公が夜中に絵里子の家を訪れて場面。彼女は玄関を開けてしなだれかかってきた主人公を何も言わずに介抱し、ベッドのうえで目が覚めた主人公がおもむろにキスをし、さらにそのまま舌を入れようとするのだが、彼女は「まだお酒くさいよ」と微笑しながらそっと拒む。はぁ…。なんなんですかねぇ。普通なら「酒臭っ!やめろ!」ぐらい言われてもおかしくないんじゃないんですか?そんな聖母みたいな女性いるんですか?普通に羨ましかったです。
三股することや、両親への考え方や、絵里子への態度、それらを異常とは思わないし否定する気はない。十人十色だから否定しないという意味ではなく、少数派というだけで社会的弱者だったり異常者の括りになるのが気に入らないから否定しないだけ。兎にも角にも主人公にあまり共感できる部分がなかったのは俺がまだまだ子供だからだろうか…。
そんな感じですかね。
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