鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【邪推】ONE PIECE FILM REDの評価が賛否両論?

2022-08-07 21:41:22 | 考察
考察したり推しがいたりするガチ勢に対し、ニワカ勢な私ですが観てきました。

「もはやadoのMVやんけ」というレビューがありましたが、それはまぁ確かに。うっせぇわで有名なadoさんですが、うっせぇわも含めて殆ど聴いたことがない。そんな状況で映画観ました。

現代の若者が推してる今時の曲を歌う今時の歌手、そうやって斜に構えていた。はっきり言って舐めてた。ONE PIECEとのマリアージュがあるのかどうかはさておき、その歌唱力と表現力は予備知識無しハードル増し増し心理的抵抗強めでも圧倒されるほどでした。

ディズニーばりの尺と頻度で歌唱シーンがあるわけだが、じゃああれを漫画やアニメという媒体でやろうとして映えるかと言われるとそうではない。漫画と音楽の相性は皆無。じゃあアニメでも良かったのでは?登場人物一人のためにそこまでできるか?コスト的にNOだろう。

adoのためか、utaのためか、今後ワンピースのクライマックスへ向かうための資金調達か、尾田先生の意図は定かではない。しかし商業的な戦略としては、とても強いアイディアだと思う。

複雑ではない物語、豪快な演出、流行りのショートやダンス、トップランカーの歌手、夏休み、子供達、etc。劇場版を作る以上、そうした戦略を選ぶのは当然だろう。売り上げが望めなければ元も子もない。

シャンクスの娘という重要キャラのエピソードなのだから本編で数十話使ってしっかり積み重ねれば良いのにとも思ったが、音楽の島で歌の能力となると確かに劇場版が一番かと思ってすぐに棄却された。しかし、だからこそ尾田先生がutaに込める思いの強さについて考えずにはいられない。劇場版を作ってまで命を吹き込みたかったキャラクターなのか。いや、ただ現代の流行と市場に合ったキャラクターを考案しただけなのか。はてさて。



ちょっとした外伝という位置づけで構えていれば全く問題無く楽しめる作品である。否定的なレビューで「歌唱シーンの多さにぐったりした。adoの押し付けが強すぎて萎えた」というものがあった。現代の超情報社会で、あれだけ大々的に「ウタウタの実の能力者、ウタ!音楽の島エレジア!歌唱はado!」って告知してたんだから歌唱シーンが多いのもadoのプッシュが強いのも、超絶びっくりするくらい当たり前な話でしょうに。お茶を買ってみたら凄くお茶の味がしてがっかり、という言語障害者も真っ青なサイコレビューである。

麦わらの一味がメインではなく、あくまでutaか或いはシャンクスがメイン、もしくはutaとシャンクスの絆がメインという話なら納得である。ワンピース正史につながらないパラレル前提で2時間ほどで完結ならまあこんなとこだろう、というのが正直な感想である。麦わらの一味がそれほど活躍しないのも納得だし、というかそこに割ける尺なんてそもそも殆ど無いだろう。utaが「歌うこと」にどれほど想いを込めているのか、それを観客の意識に落とし込むのが最重要だと思う。次いでシャンクスとの関係、他諸々は二の次。商業的に考えてadoプッシュ。正史でようやく再登場したシャンクスのディティールをいかにバラさずに格好良く戦わせるか。

かくいう私は、ado(uta)目的で足を運んだわけではないが曲「新時代」に骨抜きにされた。あれを見返すためだけにリピートしようか悩んでるところだ。踊って歌うutaちゃんは、youtubeのそれより40億倍ぐらい可愛かった。尾田先生のデザインx中田ヤスタカx劇場版じゃなかったら骨抜きにはならなかったと思う。そういうことなので、ado反対派のレビューとはどうしても相容れないですね。ado信者ではないし、「うっせぇわ」は今後も聞かないけど、あの歌唱シーンには間違いなく価値があってado抜きでもいいとかONEPIECEじゃなくてもいいとか劇場版じゃなくてもいいということにはならないので。
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