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忌憚のないご意見を投げかけて下さいね

玉川総研に反論

2013-05-02 09:20:38 | 日記

5月2日のそもそも総研は何ですか?反権力主義の群ればかりですね。敗戦後アメリカに押しつけられた現憲法をごしょう大事に守ることが正義のような朝日系には辟易です。その憲法を金科玉条のようにして・・・、今の時代にそぐわないから変えようとしているのではありませんか。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した。」等笑うに笑えない前文等、恥ずかしい限りです。北朝鮮を信頼しなさい。爆弾テロを繰り返すイスラム過激派を信頼しなさい。・・・(笑い)変えられない憲法のもとで核の傘の下で、自由、自由を謳歌している平和日本、自国の政府の批判ばかり繰り返す朝日系メディア、売国コメンテーターの選定等いい加減にして独立日本を取り戻しませんか。

 


経済連携協定の延長に過ぎない(TPP)

2013-04-18 20:48:37 | 日記

TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加表明に対する疑問が新聞コラムに掲載されていましたが、有識者(大学教授)の意見としてはいささか偏見と先入観によるマイナス思考が過ぎるのではないでしょか                                                                                    一つは昨年の衆議院選挙の公約として「TPP交渉参加反対」を唱えて当選するやこれを反故にしたと言うことですが、「聖域なき関税撤廃が原則で有る限り反対」を表明したもので農業、医療等日本が守って来た聖域は堅持し、国益を損なうようなことには反対すると言うことで国民は支持したのではないでしょうか。                                          二つ目のTPPにかかる影響試算が公表され、関税撤廃等で農林水産業へのマイナス影響が大きく国益を害すると言うことですが、これらの試算はマイナスイメージを前提としたものでその根拠が明確では ありません。やめさせるべきは政府が深く関与しているコメと小麦等の減反政策や関税による価格のつり上げではないでしょうか。専業農家の酪農や野菜果物等は既に製造業と同様、競争市場に直面しており、TPPに必要な農業構造改革を推進するための一つの契機となり、その利益の享受は耕作者である専業農家と消費者ではないでしょうか。                         三つ目の地域の関連産業や雇用への影響や農業の多面的機能が喪失すると言う抽象論を展開していますが、我が国の国内資源が乏しいと言うデメリットを克服し世界中から安価な資源を輸入できると言うメリットを享受してきたことを忘れてはなりません。TPPは既に我が国が進めて来た二国間の経済連携協定(EPA)の延長に過ぎないのではないでしょうか。地域産業も今やグローバルスタンダードの時代で世界が相手であり、何時までも古き良き時代を夢見てばかりいては世界から取り残されてしまいます。本県が生んだ偉人紀の国屋イズムがこれを教えています。(ニュース和歌山H25年4月27日付掲載)

 

      


「信賞必罰」を死語にしてはならない!

2013-03-19 21:10:57 | 日記

女子柔道の前監督の暴力問題や金銭問題が表面化した全日本柔道連盟(全柔連)の理事会が開かれ、現執行部全員の留任を決定した。この措置に対し組織運営や生徒の指導等あらゆる社会生活の中でこれまで取り入れられてきた「信賞必罰」という、今では死語になっている言葉を思い出した。「信賞」はさておき「必罰」という言葉が「体罰」や「いじめ」に繋がり、時代に合わないと言うことなのだろうか。必罰は相手に対してのみ行うのではなく、自らを罰するという意味で「責任」と言うことも包含しているのではないだろうか。

ひるがえって全柔連の理事が一同に会して種々の問題にふたをして責任を取らないことにいささか疑問を感じた。最近政治家や一般社会生活の中で責任を取らない風潮が見られる中で信賞必罰は組織にメリハリをつけ、活力を生み出す手段として死語にしてはならないと思う。もちろん第三者に対する罰則は相手の人格を尊重することを前提に「泣いて馬謖を斬る」と言う中国の故事にならって自らも悩みぬいた結果でなければならないと思う。


指導者は自らを律し自信を持って指導を!

2013-02-10 21:08:46 | 日記

高等学校におけるクラブ活動の体罰問題がアマチュアスポーツ界でのパワハラや暴力行為にも広がり、文科省も実態把握を指示する中で各地で多くの体罰が報告されている。こうした問題は表面化しにくく報告も氷山の一角ではないだろうか。しつけや指導と体罰の境界も微妙な部分もあり、「明確な線引きが必要だ」と言う声も聞かれる。人権を無視するパワハラや自殺にまで追い込む暴力やいじめは当然排斥されるべきであるが「信賞必罰」はこれまでもあらゆる指導教養の中で取り入れられてきたことも事実である。「運動場を10周走って来い」とか「1週間トイレ掃除をしろ」と言われ苦痛を味わった経験は誰しも持っていると思う。「口で言うより手の方が早い」美空ひばりの「やわら」と言う歌の一節であるが、日本人は古来から自らを律すると言う意味合いから我が身をいじめ抜いて精神を鍛えなおすと言う風潮が正当化されてきた。とりわけスポーツの世界では指導者自身がそのような指導を受けてきており、保護者もこれを容認し後世に伝えて来た経緯がある。「侍ジャパン」と言う呼称を耳にする一方で国旗を掲げて競技場を走り回る選手の姿を見るが、これが全てとは言わないが闘魂、闘志等闘争心を鼓舞する意味合いから現在も続いているのだろう。「まあまあ、なあなあの生ぬるい指導で上位が望めるか」と言う反骨心が指導者の心の中に凝り固まっていることが、こうした鉄拳制裁と言う有形力の行使になっているのではないだろうか。指導者は自ら範を示し感情に流されることなく、自らを律して尊敬される人間でありたいと思うが、今回の問題で教師や指導者が生徒におもねる等自信を無くしたり、ことなかれ主義に陥って委縮することにならないよう、関係者は具体的で明確な指針を示すなどフォローや指導を怠らないようにしなければならない。


生徒の会見に感じた違和感

2013-01-22 17:38:17 | 日記

体育募集中止が決まった大阪市立桜宮高校の運動部員8人が体育科継続と教師の入れ替え反対を訴える記社会見をし、涙ながらに語る姿がマスコミで報道された。「自分たちの心の傷は同じ傷を受けた先生にしか治してもらえない。」とか「自殺で仲間を奪われ、支えてくれた先生や体育科を奪われてつらい。」など口々について出る言葉は、自分たちのことばかりで亡くなって間もない自殺をした仲間や遺族の心情には一言も触れていない。アンケート調査では大勢の生徒が体罰の実態を黙認し、それが校内で罷り通っていたことが抜け落ちている。市役所で記者会見する勇気があるのなら何故体罰の実態を教育委員会へ訴え、駄目なら記者会見するぐらいの勇気が持てなかったのか。涙ながらに体育科募集中止等を訴える姿に違和感を感じたのは私だけだろうか。世論も「生徒が可哀そうだ。」と言う前に看板掛け替えでもいい、これを改革の第一歩にすべきだと前向きに考えるようにしたらどうだろうか。(2013年2月16日付ニュース和歌山掲載)