サウナの『整う』は『ランナーズハイ』の状態な事だそうです。
身体に血流が集中した分脳の血流が少なくなり脳を休める事ができるそうです。
なるほど。
書道の『整う』については『心を整える』事だと言う意見があります。
なるほどね〰
と言いたいところですが、イマイチ分かった様な分からない様な(⌒▽⌒)
精神力を楽しみながら鍛錬するって事ですかね。
『楽しみながら』は私だけの解釈かもしれません。
修行も稽古も楽しめないと身につかない人って私以外にも大勢いると思うのです。
だから『書道で楽しみながら心を整える』が私の回答です。
皆さんが体験している事だと、勉強している時に集中すると、何も聴こえなくなり目と脳とわずかにペンを持つ指先だけの感覚になった記憶があると思います。
ラジオつけながら勉強していても、その音が全く聴こえなくなる全集中状態、、、。
書道の場合も聞こえてくるのは紙の上を走る筆の音、、、
それも耳から聞こえてくるのではなく、指先の腹部分から振動で脳に聞こえてくる感覚。
もちろん脳に血流が集中しているので脳活動は活発ですが心は無心状態です。
文章にするとカタイ(^○^)
でも筆を持って臨書すれば、小学生でもフツーに『心が整う』のです。
この体験は大きい経験になります。
古来書に親しむ事が盛んに行われてきたのは、この経験が人生にとってとても重要な事を教えてくれるからだと思うのです。
書道で心を整えるにも段階があると思います。
お手本の形を真似る。
書いている時は無心です。
脳は動いていますが、心は無心。
故にサウナの『整う』とはちがいますよね。
書いた文字が似ていれば似ているほど嬉しくなりますよね。
それ報酬です。
単純に嬉しいですね〰
お手本の書き手の筆の動きを追体験できたと感じる瞬間があります。
千年以上も昔の書家の追体験ができるなんて、大喜びですよね!
もちろん書いている時は脳は動いていますが心は無心、、、。
その無心に千年昔の書家が乗り移る感覚が、たまりませんねぇ〰
嬉しいですねぇ〰
これも書道で整える事でしょうね。
行き着くところはオリジナルを創造する事でしょうね。
これはもう心が生きる悦びを満喫して飛び跳ねている状態でしょう!
飛び跳ねているのに『整う』のですから、その矛盾の間にある醍醐味みたいなモノに触れられる至福の時を味わえる感覚こそが書道究極の目的だと思うのです。
書道にとっての『整う』は究極の目的に達する為に必要な条件と言えるのでは無いでしょうか。
そこにはこころを豊かにしてくれる効果があり、生きる悦びや愉しみがあるのです。
今日も書道で楽しく心を整えましょう〰