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悠翠徒然

画像中心

『もやもやサマーズ』に

2021-01-03 23:13:00 | Weblog
会津若松に住む、友人夫妻が出ていて、久々に見る元気な姿にホッコリしました。

今、会津若松は雪の中。






映像は全くの雪なし、、、

GOTOがまだOKの時のロケだったのかもね。

二人とも元気でよかった〰



象の書初め

2021-01-03 16:47:00 | Weblog


『うし』と書いたそうです。

ゾウがウシ、、、

すっごいですねぇ〰





これはオタリアが書いた『丑』



これはアシカが書いた『丑』

みんな、書かされちゃうのねぇ〰

お疲れ様でした!





箱根駅伝終わる

2021-01-03 13:54:00 | Weblog
17位完走!

満足な練習ができない中で迎えた本戦、よく襷を繋ぎきったと褒めてあげたいです。

よくやった!

今度は私の番だね。

後輩たちに笑われないように、全力で頑張ります!



余計な事を考えて、美しい線が書ける訳が無い

2021-01-03 08:45:00 | Weblog
ですよね。

当たり前のことですが、ここが書道の魅力のひとつでしょう。

『あれ?今朝何食べたっけ?』とか
『あの番組録画予約してたかな?』とか
考えながら紙の上で筆を走らせるとこなんて、できませんよね?

理由は簡単。
一切を忘れて集中しなければ、『書の美』の入口にすら立てないからです。

つまり
『上手く書いてやろう』とか
『褒められるように書いてやろう』なんて考えながら書いているようでは、習字レベルということ。

書道は己の中にある一切合切を見つめるために、書く文字や文章の力を借りて、心の中から諸々引っ張り出して、筆を使って真っ白な紙に真っ黒な墨でさらけ出す行為。

私はそのように考えています。

『善悪』と言う言葉を書くとき、上手く書く事を目的とするなら、それは習字。

自分の中にある『善』と『悪』を引っ張り出し、対比して、対峙させ、紙一重であったり、混沌としていたとしても、それはその時々の自分にとっての真実を『書』と言う形で現そうとする行為。

それが、書によって人の道を求める
『書道』なのだと思うのです。

更に厳しくなってきそうな年明けですが、私にもあなたにも『書道』がある。

『書道の力』で、心を折ることなく、しなやかに、ゆっくりと乗り越えていきましょう。