海外に書を発信すると、漢字には反応があるのですが、かなには反応がほとんどありません。
漢字も楷書が好まれる傾向が強く、あのパキパキした感じ(笑)ばかりがなぜ好まれるのかは分かりません。
漢字の持つ造形に興味が湧くのだとは思います。
文字の意味などどうでも良いことは、日頃我々も意味など気にせず着ている英語やフランス語の書かれたTシャツを思い出せば分かります。
文字の意味ではなくデザイン性で選んでいるのです。
日本書道の広がりを妨げている原因の一つに、
『日本の文字や文章なのに日本人でも読めない』
と言う問題があると思います。
もちろん読めない文字を鍛錬していけば深化はしていきますが、裾野はちっとも広がらない。
広がらなければ生活に取り込まれない。
取り込まれなければ、需要はおきず、産業に繋がらない。
日本酒や焼酎のラベルは毛筆で書かれたものが多いですが、商品名が読めなかったらどうでしょう?
その商品は売れますかね?
ラベルの文字は酒蔵の社長が書く事が多いそうですが、売れなきゃ困りますからね(笑)
かといって
『読みやすい文字はこれだろ?』と言わんばかりの上から見下すような、書家の書いた形だけの丸文字系の作品に興味はわきません。
かつて榊莫山先生もそんなことをおっしゃっていたようです。
そして、先生が好きな書としてあげたのが、野口英世の母『シカ』が息子英世宛に送った自筆の手紙だそうです。
私も猪苗代湖にある野口英世記念館だったか、この手紙を見た記憶があるのですが、母親の愛情が一文字一文字にこもったとても素晴らしいものでした。
私の祖母の叔母も、ひらがなしか読み書きできませんでした。
子供の頃から労働力として頼られ、教育を受けられなかったために受けてきたいじめや格差に、きっと辛い思いをしてきたのだと思います。
それでも記憶に残っている祖母の叔母は、とても明るい人でした。
会えばいつも笑っていました。
そして百歳越えても元気でした。
明るく笑っていれば長生きできる。
長生きした分、楽しい事や嬉しい事を数多く経験する事ができる。
そんな事を無言で教えてくれていたのかもしれません。
そんな祖母の叔母の遺伝子が、私の中にも流れているかと思うと、なんだか嬉しくなります。
自分の為に一生懸命に文字を覚えて一生懸命に書いた母の手紙に、野口英世は涙を流したに違いありません。
一晩中泣いた事でしょう。
でなければ、その手紙を大切にとってはおかないでしょうから。
榊莫山先生はすごいなぁ〜