悠翠徒然

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カモメファンが着た!

2017-08-12 11:19:39 | Weblog


中を開けるとこんなものが



ご丁寧に痛み入ります、、、、

裏にすると



お、これを蝶ネクタイにするんだな〜

中々可愛くなるかも。

中身を開けると、、、、

あ、ファン部分が小さい、、、、

省エネと自然風の部分ばかり見ていて、肝心のファンの大きさを調べていなかった!

この大きさじゃ、教室では遠くまで届かない、、、

アホ、か、、、

という事で、自宅のリビングで使うことにしました。

以外にもそこそこ遠くまで届く自然な風は、中々好感触〜

カモメの羽をヒントに考えられたというカモメファンのエピソードは、本当かしら?
と素直に思えないところがオッさんなんだなぁ〜

反省、、、

今までリビングで使っていた扇風機は、自室のサーキュレーターとして使うことになりました。

結果オーライなのか、無理やりだったのか、しばらく使って見ないと分かりません。

諸々反省すること、多し、、、、

ま、前向きに考えよう!







映画を鑑賞する

2017-08-12 08:26:26 | Weblog
この『鑑賞』、映画の場合は観るのですから、『観賞』になりそうですがそうではありませんねよね。

絵画や書、陶芸や造形された作品などを観て、何かを感じた場合は『鑑賞』となり、深海魚や金魚なのを観る場合は『観賞』となるようです。

確かに『観賞魚』と言いますものね。

でも、観賞魚も作品なんじゃないかなぁ〜

とすると人の手によって作られた観賞魚を観て何かを感じた場合には
『鑑賞』と記しても良いのかもしれませんね。

学校の先生からは✖️もらうでしょうけれど(笑)

本当はどうなんですか?

金田一先生〜

落款を書きたくない

2017-08-12 07:54:47 | Weblog
書いた日時や場所、書いた理由、そして氏名や雅号を書いたりする作品もありますが、近年の作品はほとんど雅号を書き、その下に姓名印と雅号印を押してあるものが多いようです。

私は落款を書きたくないのです。

冠冒印と姓名印、そして雅号印だけで済ませたいのです。

なぜなら、作品を書いた時の感覚と、落款を書いた時の感覚は大きく違っているからです。

それは、激しい作品を書いた時でも、静謐な作品を書いた時でも同じです。

終筆してしまえば、そこで線は途絶えますから。


物の本には、作品を書いた筆でそのまま落款を書くべしと記してあるものもあります。

これならば線や気持ちは途切れませんから、なるほど納得がいきます。

しかし、イメージとは違う結果になることが多いのです。

席上揮毫をすることがあれば、面白いとは思いますが、作品としては納得がいかないものになりがちなのです。

未熟なのでしょう、、、、。


というわけで、途切れた線や気持ちになってしまうのなら、落款は書かず、冷静に落款印だけを押す方が、私は納得できるのです。


何が何でも書かない訳ではありませんけどね(笑)