ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

アルコール依存症へ辿った道筋(その21)神経戦中の流行カゼGCP

2015-03-13 21:47:26 | 自分史
 旧GCP査察の結果、課された全例の心電図データ確認調査の報告書を提出してから半年が過ぎて、やっと新薬調査会による承認審査が再開されました(阪神大震災の年の10月)。

 新薬調査会というのは当時の厚生省が諮問する中央薬事審議会内の新薬の承認可否を審査する委員会のことです。承認申請からすでに1年半が過ぎていました。普通ならば3~4回の審議を経て、大きな問題がなかったら、そろそろ承認までの日程が見えてくるぐらいの時間が経過していました。新薬調査会の2回目の審議では臨床開発領域への重大な指示事項はなく、指示事項の大半は基礎研究領域に関するものだったように思います。

 個人的には離婚騒動に一応の決着をつけ、2回目の指示事項回答をも提出してほっとしていた年の瀬に、高血圧の治験でデータの捏造・改竄が発覚したという旧GCP違反事件が新聞・テレビで報道されました。またもや思わぬ横槍が入ったのです。

 報道によると問題となった医療機関は四国と九州にある二つの大学病院で、そのどちらも申請中の新Ca拮抗薬Pの治験先でした。その少し前にも消化器領域で治験にまつわるデータの捏造・改竄事件が報道されたばかりで、当時某新聞社が躍起になって治験関連の不祥事を漁っていたようです。よく覚えてはいませんが、どの事件も内部告発だったようです。

 ここで事件の背景となったGCPと当時の治験事情について触れておきます。
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 治験はGCPに沿って実施されます。国際標準の現GCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準:ICH‐GCPに準拠)が求めている大きな柱は患者の人権保護とデータの信頼性の2本立てで、それぞれ更に細分されて次の4つが原則となっています。治験実施計画書が第三者機関で審査され承認されていること。治験が患者の同意のもとで治験実施計画書通りに実施されていること。得られたデータに信頼性があること。これらのことが日付のある記録文書で担保され第三者が検証できること。この4つの原則は旧GCPでも基本的に同じでした。

 自然科学の本質は再現性にあります。治験も自然科学の端くれです。治験の再現性は治験関係の記録の完備によって担保されるのですが、このことを理解していた医師はほとんどいなかったと思います。

 次に当時の治験事情についてです。まず問題とされたのがデータの捏造と改竄でした。大学病院の常勤医師は出先の病院でも非常勤で診療している場合がよくあります。高血圧ぐらいでわざわざ大学病院を受診しようとする患者は稀で、一般病院やクリニックを受診するのが普通でした。内緒で出先の病院で治験を実施し、大学病院のデータとして提出してくる場合があったのです。

 捏造と改竄を区別するのは難しいですが、データの捏造というのは大抵が出先で実施したというこのケースです。またデータの改竄というのは併用薬の有無や日付が事実と違う場合などでしょうか。

 さらに当時、治験に関して二つの点で疑惑の眼が向けられていました。

 一つ目は人権に関するもので、患者の同意にまつわる疑惑です。治験へ参加してもらうに際し患者に同意を取った上でのことか否かです。説明した上での署名という文書同意が主流になりつつありましたが、説明も同意も口頭だけというのがまだまだ多く残っている時代でした。「今度、新しい薬が出たので使ってみようと思いますが、いいですか?」これが口頭同意のときに医師から患者にされる説明の定番でした。医療事故が起こった場合によく問題とされました。

 二つ目は治験研究費という名目の謝礼に関するものです。治験実施に際して契約書は医療機関と交わすのが普通で、諸経費も含め治験研究費は医療機関に支払われます。ところが、中には依然として医師個人と契約を交わす事例もあり、治験研究費が医師個人の収入となる場合もありました。ウソかマコトか治験で御殿を建てたと噂された医師もいたほどです。治験は医療機関内の他のスタッフの支援が要るチームプレイなので、嫉妬がらみで人間関係のトラブルになることもあったようです。

 これら患者同意と研究費にまつわる疑惑の二つが内部告発を招く要因となっていました。
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 メディアで報道されたその日の午後、会社の当局担当S氏に電話が入り、報道された大学病院の参加した治験について、治験実施計画書やCRF(患者データ)のコピーなど関係書類をファックスで当局に直接送るよう依頼がありました。当局の対応としては珍しい緊急事態でした。

 急遽計78枚にのぼる資料を整え夕方までに当局宛ファックスしました。当局からは、会社側がその後にすべき対応は事件の報告書作成後に決定すると、当局担当S氏に連絡があったそうです。 ということは実地調査を経てからしか動きがないことになります。

 当局が問題施設の大学病院を実地調査したのは翌々月のことでした。さらに6ヵ月後になって、やっと会社に問題施設の確認調査が指示されました。事件が相当深刻だったことを意味していました。

 指示を受けてすぐに確認調査を実施しました。大学病院であった捏造・改竄とは次のようなものでした。出先の病院で実施した治験のため大学病院にカルテがなかった事例、実際に併用していた薬剤の記載がなかった事例、治験終了日の日付よりも延長して治験薬を使用した事例などでした。

 その報告書を提出した2ヵ月後に出て来た指示は、承認申請資料中の治験データの信頼性を自主的に担保せよというものでした。つまり治験データに捏造・改竄がないかを自主的に確認せよということです。

 調査対象治験と調査方法は会社側で自主的に決めてよいことになりました。自主的にというところがミソで、法的根拠がないので会社側は当局の “言いつけ” に黙って従ってほしいという当局十八番、お得意の「誠意を見せて欲しい」でした。応じなかったら承認審査を進めないという意志表示です。刑事事件としての報道が発端ですから、当局としても座視しているわけにいかず、厳しい対応を取らざるを得なかったのだと思います。事件の報道から10ヵ月経っていました。

 この時いかにも当局らしい発言もありました。信頼性確認調査にあたり承認申請を「一旦取り下げてくれるとありがたい」と言って来たのです。これは当局側の審査期間の算出法が独特だったからです。

 当局側の審査時計は承認申請を受理したときから動き始め、申請者側に指示事項が発出された瞬間に一旦止まり、申請者側から回答を受理して再び動き始めるのです。取下げは時計の消滅を意味します。

 当局の発言から、刑事事件に係る特別調査期間は当局側の審査時計に組み入れられると受け取りました。当時の公表審査期間は当局の審査時計での経過時間でした。現在はどうなっているのでしょうか?

 当局担当S氏の情報網では、同様の指示を受けた会社が計6社あり、同じ宿題を課せられたもの同士集まって協議することになりました。当局の要求は法的根拠のない旧GCP絡みの理不尽なものという点では一致しましたが、海外の本国から外圧を掛けるという外資系会社の仰天アイディア以外、妙案は出て来ませんでした。具体的調査方法では微妙に違う各社の思惑が働き、協議事案にも上がりませんでした。結局決まったのは指示通りに応じることだけでした。

 信頼性確認調査が承認申請中の会社にだけ課せられることにも納得いきませんでした。これを当局に抗議したところ、当時治験進行中であった会社についても承認申請後に同じ信頼性確認調査を課すという回答だったので、渋々引き下がらざるを得ませんでした。

 こう決まったからには躊躇しているヒマはありません。一刻も早く治験データの信頼性確認調査を済ますため、いかに治験数を絞り込み、作業量と時間を節約するかが課題となりました。

 まず対象とする治験範囲と具体的方法を詰めました。旧GCP絡みの問題であることを根拠に、調査対象は治験実施計画書作成時に旧GCPが適用された治験に絞ることにしました。旧GCPに適合した治験実施計画書でなければ旧GCP対応の治験実施など見込めないからです。また会社側による患者カルテなどの直截閲覧は法的根拠がないことから、CRF(患者データ)との照合はあくまでも医師を介して確認することにしました。

 これで思惑通り、調査対象候補が3治験となりました。腎臓障害を伴った高血圧患者だけを対象とした1治験と、健常人を対象とした2治験です。健常人の2治験は当局の査察をすでに受けた治験だったため、腎臓障害を伴った高血圧患者の1治験だけが調査対象治験として残ります。この治験は高血圧症という効能を取得するには必須の重要な治験でもあったのです。調査対象病院数も18施設と少数で済みました。臨床開発チームはすでに解散していたので私一人だけで調査を担当しました。

 実際に調査対象(治験実施)病院に出掛けてみると、担当医師は調査によく協力してくれました。病院や医師の治験に対する協力姿勢には地域性があり、関東以北は治験実施計画書に忠実に取り組む傾向が強い地域です。調査対象が主に関東以北の病院だったことが幸運でした。治験薬を治験終了日の日付よりも延長して使用していた事例が1例あったのみで、他に問題例はありませんでした。問題例と指摘された担当医師が申し訳なさそうにしていたのが印象的でした。信頼性確認調査には2ヵ月余を要しました。

 調査結果に基づき問題例を除外して集計し直し、申請データも修正しました。年が明けた新年には信頼性確認調査結果報告書を当局に提出できました。

 他社の調査方法・結果報告と比べられるのは必至でした。その5年前には、市販後全例調査でデータ捏造事件を起こした会社です。前科のある会社として当局が疑心暗鬼になり、この会社の報告は信用できないなどと言い出さないか気になってしかたありませんでした。

 現在では、承認された後なら審査中に他社が提出した回答を調べることは可能ですが、当時も今も審査中の事案についてはその手段がありません。他社がギリギリどこまで頑張ったのかが気になるのは、チキンレース当事者ならではのことかも知れません。その答えは、その後の当局の応対に手加減が感じられるか否かだけなのですが・・・。


アルコール依存症へ辿った道筋(その22)につづく



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1 コメント

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読者の皆様へ (ヒゲジイ)
2015-03-13 22:00:34
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
これはアル中患者の自分史です。仕事を抱えながら依存症に怯えているお酒好きの方に参考となればと思い綴っています。
神経戦に横槍が入りました。今回はまだ一番槍でした。
ありがとうございました。
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