ヒゲジイのアル中患者よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

年の功はどこに?

2017-08-29 06:28:25 | 世相
 市役所の食堂はセルフサービスで、流れ作業のように各自が料理をお盆に載せて調達します。箸置き場と給湯機は一カ所に固まって少し離れた所にあり、人々でとても混み合う所です。私は箸置き場近くの席に着いていました。その箸置き場となっているテーブルでのことです。

 同年配と思しきポッチャリ系の女性が、食事を載せたお盆2人分を箸置き場のテーブルに置いて、そのうちの一人分だけ席に持って行くのが見えました。しばらくしてもう一人分を取りに箸置き場に戻ったのですが、箸を取ろうとしている男性が前にいるのに強引に身体をこじ入れ割り込んだのです。

 どこか男性のお盆に触れたらしく、味噌汁が溢れて女性の左肩袖に掛かったようでした。「味噌汁が掛かってしまったじゃないの!」大声で怒鳴ったのですが、男性の方は黙って席に向かっていました。

 女性はお盆をそのままにして直ぐに近くの手洗いに向かい、戻って来ても怒りが治らない様子でした。もう我慢ならないと、残りのお盆を席に運び終えるやその男性の席に行ったようです。

「服を汚したのに謝りもしない! 可笑しいじゃない! 謝りなさいよ!」とまくし立てていました。男性の声は聞こえませんでした。

 濡れた袖を摩りながら手洗いの方に再び向かった女性ですが、なお聞こえよがしに大声で喚いていました。こうなったら傍から見ると見苦しいものなのですが、本人にはその自覚が一向にありません。

 これらの顛末を一部始終見ていた私です。私の見たところ、女性の自業自得としか思えない光景でした。周りに何ら気配りのない自分勝手が過ぎたのです。
「ちょっとごめんなさい」その一言で和むのがその場の空気です。たった一言、女性がそう声をかければよかっただけなのですが・・・。

 このところ、年の功の欠片も見えない自分ファーストの年寄りが目に付きます。これは “他山の石” としよう、そう考えさせられた次第でした。



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噛み合わない会話

2017-08-25 06:28:04 | 雑感
 53歳時と61歳直前の2回、不安定狭心症となってその都度経皮的冠動脈形成術(PCI)を受け、ステント留置で生き長らえている私です。それ以来、半年に1回は循環器内科の診察を受けています。そんな予約診療日でのことです。

 主治医の T 先生は私よりやや年下です。最初の内は前回の診察以降何か変わったことはないかという普通の問診から始まったのですが、そのうち話が妙な方向に展開しました。

「PCIが恰好の例だけど、医学と医療の進歩で(老人の)寿命がどんどん延びています。寿命の延びと共に病人も増え続けているんです。このままでは健康保険が破綻するのも時間の問題でしょうね」と T 先生。
「健康寿命の方を延ばせば良い、という話じゃないですか? 廃用性萎縮と同じで、皆さん便利に慣れすぎて身体を動かさなくなったから病人が増えたのでは・・・? 社会参加して身体を動かすようにすれば事態は好転するのでは・・・?」と私。以降の会話はこんな発言が交互しました。

「健康寿命? それじゃ却って健康保険は持たないですよ。高額の抗がん剤でわかるように、“がん” は治る時代になります。益々、医療費がかさむだけですよ!」
これを聞いて毛穴が逆立つような違和感がしました。どうして健康寿命の延びが健康保険の赤字を増すと T 先生が考えたのか、その真意を確かめもせず少し向きになって私は次のように続けました。
「??? ・・・、自分の命なんだから患者自身に自分の始末のつけ方を選ばせれば・・・?」
「始末をつけるって、自殺するっていうこと? そういう覚悟、あなたしてるの? それとも医者が自殺を幇助するって・・・・?」と話がとんでもなく可笑しな方向へ。

「自殺幇助をお医者さんに望むなんてとんでもない。そんなの無理でしょう。自殺というわけではないですが、自分で始末をつける覚悟はありますよ。
ただ、痛みさえ和らげてもらえたら十分だろうと私は考えています。・・・お医者さんには、まず延命ではなく緩和医療という手を考えてもらえたら・・・?」
「“がん” の末期というのは、それはヒドイものですよ。緩和医療といっても、口で言うほど簡単なものじゃない。なかなか難しいんですよ。」
こうなったらもう私も引けません。益々、意地になって続けました。

「それは患者が “どう生きたいか” の問題で、患者側の覚悟如何ではないですか?・・・私などは退職後、自分ではどうにもならない連続飲酒発作となって、医者の技で断酒に持ち込んでもらえのですが、そのお陰で色々なことを考えさせられました。」
「うん、それで・・・?」
「“認知のゆがみ” と言うそうですが、酒を飲んでいた頃の考え方が歪(いびつ)であったことに気づかされました。思い通りにうまくいかないのは周りの所為と、自分のことは棚に上げ不運を嘆いてばかりで・・・、出来ることから始めようという地道な気持ちをなくしていました。
 考え方に問題があるのなら、それは取りも直さず生き方の問題だろうと気づいたのです。毎日通院で規則正しい生活リズムの大切さに気づき、手始めに毎日の行動を規則正しいものに変えてみました。
 今では散歩がてら毎日ゴミ拾いもやっています。毎日必ず2時間以上歩きますから、活動的になった分体調が頗るよくなり、ヘモグロビンA1cが6.2%前後と糖尿病の方も安定しています。お陰で生きる意欲が益々増し、精神的にも落ち着いて来ています。
 できれば定年退職を期に自分の人生を振り返り、“自分の始末のつけ方は元気な内に自分で決める” 内観してこう腹を括れればいいと思うのです。これが私の言う覚悟です。」
「・・・それはもう宗教だね!」という T 先生の一言を聞いて、「???」再び毛穴が逆立つような違和感がした私でした。

 こんなに整然と話せたわけではなかったのですが、会話の次第はざっとこんなものでした。

 どう生きるかは人生哲学です。ところが、医療の主役である医者の立場にしてみれば、どう生きるかは宗教(の領域)としか映らなかったようなのです。守備範囲としている病気の治療とは異なる領域と映ったのでしょうか? 宗教の本質が何かを考えれば、宗教と見做した T 先生にも一理ありますが・・・。

 結局、健康寿命のところで最初のボタンの掛け違いがあって、そこから会話が噛み合わなくなったようです。相手かまわず自説を言い張るだけでは対話になりません。思い込みに囚われるとこうなるという恰好の例となりました。相手の真意を質すべき時はちゃんと質さないとダメ。まだまだ平常心にはほど遠いと反省しきりでした。

 「おもしろい! 次回も議論しましょう」と言ってくれた T 先生の言葉がせめてもの救いでした。それにしても健康寿命の延びが健康保険制度を破綻させるとしたのは何故か、T 先生の考えが気になって仕方ありません。



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“仏作って魂入れず”?

2017-08-22 07:07:20 | 世相
 久しぶりに駅前の『王将』で昼を食べることにしました。ここのお店は少しお洒落な内装で、通りに面した窓際にカウンター席があり、そこから欅並木の街路樹が見えます。カウンター席の左端だけ壁に物見のような丸窓が一つ開いており、そこに座ることにしました。

「(あれ?! あそこは禁煙の看板が立っていたのでは?)」そうなのです。老人の直ぐ目の前に「喫煙禁止区域 歩行喫煙は科料2千円・・・」と標示された看板(標示板?)が立っていました。看板は45 cm × 150 cmぐらいの巾・高さで、二本の杭で固定されて街路樹の脇にそっと立っています。

 その老人は、いじましくも人差し指と親指でタバコを摘まんでスパスパ吸い、吸い終わると忌々しげに看板の足元にポイと捨てました。まるで意趣返しの腹いせのような仕草でした。そして気を取り直すと、よぼよぼした足取りで視界から見えなくなりました。

 私の市では、市全域を歩行喫煙禁止とする条例が制定されています。特に駅周辺約500 m四方は全面的禁煙区域で、喫煙が見つかれば2千円の科料が課せられます。ところが肝腎の喫煙者向け広報(体制)には本気度が感じられないのが問題なのです。

 「歩行喫煙禁止区域」と明記されたプラスチック製ポスター標示や歩道上の陶板様プレート標示はあちこちにあるにはあるのですが、科料まで明記された看板はほとんどありません。禁煙区域内に1カ所だけ喫煙場所があるにはあるのですが、喫煙場所の案内表示は彼の看板以外にありません。ペアで見回る巡回員もいるにはいるのですが、たまに見かけるだけです。

 どこかお座なり感が拭えず、駅前にあるお膝元の市役所周辺でも吸い殻のポイ捨てが後を絶ちません。同じような条例がある神戸市も似たり寄ったりです。

 愛煙家の私でさえ吸い殻のポイ捨てにはほとほと辟易しています。せめて駅構内の自動改札機の真正面や幹線道路の禁煙区域の境界など目立つ場所に、ちゃんとした禁煙の大型看板が喫煙者向けに要るのではないでしょうか。老人がポイ捨てした結末は余計なオチでしたが、看板の威力は彼の老人が証明しています。条例を制定してメデタシ・メデタシでは “仏作って魂入れず” みたいなものです。

 翌日も、件の看板に立ち寄ってみたのですが、吸い殻が二本、看板の足元にポイ捨てされていました。やはり看板が・・・どうせやるならもう少し何か捻った工夫も必要なのでは?


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再びアルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)

2017-08-18 06:23:20 | PAWS
 断酒後3ヵ月ぐらいから始まるのがアルコール急性離脱後症候群(PAWS≒ドライドランク)ですが、その一つ “思考プロセス障害” について再び取り上げてみます。想起障害と同じく相当長引く障害で、実に厄介な症状を伴うからです。

 “思考プロセス障害” の特徴は、脳の働きにムラがあり、頑なで諄(くど)い思考や因果関係を理解できないこととされています。これを私の経験から言えば主に次の3点になるでしょうか。


 ● まとまった文章を書こうとすると、なかなか考えがまとまらない
   こと
 ● 脳が混乱して疲れやすく、よくストライキを起こすこと
 ● 使うべき助詞・所謂 “てにをは” の適切な使い方に迷うこと


私はこれらが “思考プロセス障害” の具体的構成要素と考えています。

 まず一番目に挙げた、なかなか考えがまとまらないことについてです。これをもう少し具体的に言うと、あれやこれやと文案や構想が入り乱れて自信をもって確定できないことに尽きます。

 全体構想の詰めはテーマに沿って集中して考えなければできません。そんな集中すべきときに、文案や構想が入り乱れてうまく練れなくなることがよくあるのです。それでつい論理が遠回りしてしまいます。

 このブログの原稿作成の際も、全体構想が詰め切れないまま見切り発車するのが定番になっています。とても練りに練った構想などとは程遠い状態です。生煮えのフワフワした構想で書き始めるものですから、発想があちこちに流れがちで、段落から段落への展開にも苦労しています。

 次に二番目に挙げた、脳がよくストライキを起こすことについてです。集中力にムラがあって長くは続かないこと、これに加えて考えがまとまらなくなり脳が疲れてきて更に混乱することです。

 感覚的には脳が鬱血する感じでしょうか。この感覚が出だしたらすぐに思考停止となりますが、このことを私は脳のストライキと呼んでいます。“思考プロセス障害” の症状とするには一風変わっているかもしれません。

 脳のストライキは、パソコンが固まって動かなくなった状態をイメージしてもらうとピッタリです。こうなったら最後、作業を中断し席を立って一服するか、それでもダメなら一眠りするしかありません。睡眠をとった後は不思議なくらい捗ります。

 最後に三番目に挙げた、助詞の使い方の混乱についてです。因果関係の混乱に象徴されると思いますが、事柄同士の論理的関係が分からなくなることもしばしばあります。そのせいで、使うべき助詞は一体何が適切か、所謂 “てにをは” の類の使い方にさえ迷って混乱することがしょっちゅうです。

 そうそう、これに関係するかもしれませんが、時制についても現在形か過去形かでしばしば混乱します。

 アルコールの遺した置き土産 “思考プロセス障害” は斯くの如く厄介なシロモノです。上に挙げた構成要素が交互に作用して、たった一文を書く場合にも邪魔をします。このブログで何遍か触れたように、想起障害と共通した根っこから来ているものと考えています。


 このテーマは1年3ヵ月ほど前に一度取り上げたものです。回復途上にあるアルコール依存症にとって、このテーマで扱った障害がなかなか自覚できない厄介な症状を伴うこと、私にとっても自分の言葉で表現できた記事の一つとして思い出深い記事であることから再び取り上げてみました。

 元の記事を読み返してみると、回りくどく冗長な表現満載の “思考プロセス障害” そのものの文章でした。そんな訳で、今回改めて元記事の重要部分について自分の言葉で書き直してみました。ご参考までに、投稿済みの改訂版も掲載しておきます。今回の記事と重複する部分以外は、ほぼ元の文章そのままです。


アルコールPAWSの一つ “思考プロセス障害” の軛(くびき)
“うまく” やろうと構えてしまうと、“うまく” いかず不首尾に終わってしまうものです。取り越し苦労と同じ、結果の先読みから嵌るワナです。気負えば気負うだけ緊張して脳が固まってしまうのです。こんな経験、ありませんか?......


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台風5号の迷走に思う

2017-08-15 06:02:33 | 世相
 先週の今日と言えば台風5号が山形沖に抜けて温帯低気圧になった日。7月21日に発生してから迷走を続け、18日間も台風として長らえた長寿台風でした。このところ頻発している異常気象のひとつなのでしょうか。

 なぜこうも長寿でいられたのか、そのメカニズムがニュースで解説されていました。何でも中国大陸に熱波が発生しており、その熱い空気が西風によって太平洋上に運ばれ海水温の上昇を助長して共に台風の寿命を長くしたというものでした。

「中国大陸の熱波のせいで台風がこんなに長らえたらしい。まったく、中国とは切っても切れない厄介な縁続きなんだなぁ・・・」つい妻にこう口走ってしまいました。多分、忌々しげな口調だったのでしょう。すかさず妻に窘められてしまいました。
「地球温暖化のせいで、何も中国だけが原因ではないでしょう!!!」

 確かに日本の気候は、赤道直下のエルニーニョ現象・ラニーニャ現象やチベット高原の異変など、遠く離れた地域の影響を受けると言われています。地球規模で広がる異常気象のせいとする妻の言い分は正しいのですが・・・。

 北京オリンピック前のことだったと思います。10数年前、一度だけ6月の北京を出張で訪れたことがありました。気象予報では晴天のはずなのに、どう見ても空は薄曇りで少し離れた高層ビルはうっすらと霞んで見えました。観光にと紫禁城に行ったのですが、ジリジリとした暑さだけはよく覚えています。経済優先の環境破壊で大気汚染が半端なく進んでいると実感しました。中国大陸の熱波はこの環境破壊も一因だろうと考えたのです。

 “アメリカ ファースト” で何かと物議を醸している米トランプ政権ですが、その本家本元は中国です。歴史と伝統に裏付けられた中華思想は共産党政権にも脈々と受け継がれています。自分たちは正当で先ず周りが悪いと責任転嫁し、自国の非をなかなか認めようとはしません。陸続きで国境を接している大陸国家に共通する考え方なのでしょう。

 何か事あれば、自分たちに非がないかをまず考えてしまう日本(人)とは大違いです。こんな謙虚な民族は世界でも希有な部類でしょう。本当は表彰状ものなのですが誰もしてくれません。それどころか嫌がらせばかりする大陸国家のお隣さん達です。

 近隣の大陸国家の考え方は皆自分本位で、アル中のそれのように私には思えてしまいます。“否認” が考え方の基盤にありますから付き合うのに厄介な相手なのです。アル中なら断酒させた上で内観させれば何とかなりますが、こんな場合はどうすれば・・・? “どうにもならない” 生きづらさとは、こんなお隣さん達(?)がいても引っ越しが叶わない場合にも言うのでしょう・・・ネ?!

 日頃こんなことを考えているせいで妻にはつい本音で口を滑らせてしまった次第です。敗戦記念日に当たり、自分がアル中のことは棚に上げて、こんな詮無いことを書いてみました。



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再び山本夏彦の言う “言論の自由” の不自由

2017-08-11 07:07:10 | 世相
 ものの見方・考え方(認知)の形成に果たすメディアの役割は想像以上に大きいと思います。

 時代の風潮は、時代に少しずつ遅れて浸透してゆくものです。それに果たしたメディアの役割は実に圧倒的でした。進歩・発展したメディアによって私たちは様々な情報に雁字搦めにされ、偏った情報から “認知のゆがみ” が形成されて来たと私は思うのです。

 情報源が多様となった現在でも、特に映像を伴うTVの影響力は絶大です。CMはもとよりニュース番組の多くは損得(勘定)がらみの情報に過ぎませんが、それらの情報を伝える映像と滑舌が曲者です。

 映像は編集次第で同じ事実の映像でも全く別物に変身可能です。編集者の考え方次第なのです。滑舌の巧みさもしかりです。感情を圧し殺し淡々とした口調で何遍も繰り返されたら、大抵の人がつい本当のことと思い込むのも当然なのです。私もコロッと騙された口でした。

 「事実があるから報道があるのではない。報道があるから、事実があるのである。」(山本夏彦)

 最近、政治スキャンダルとして報道されている加計学園問題には違法性はなさそうです。唯々、国民感情におもねるような、忖度やら印象操作やら報道しない自由やら、以前からあったレッテル貼りなども含めオモシロ言葉が花盛りでした。

 木で鼻をくくったような官房長官の対応や、挑発にまんまと乗ってしまった首相の大人気無さは批難されても仕方ないでしょう。ただ国会証言を聞く限り、真相は芥川の言う『藪の中』という以外にありません。冷静に考えれば “悪魔の証明” という見方が正しいのですが、そのような論調は少数派でした。

 「私たちは偽善が大好きで、偽善なしではいられない。」(山本夏彦)

 民主主義社会の政治家(屋?)は多くの場合、ポリティカル・コレクトネス(political correctness)に象徴されるように偽善を余儀なくされます。メディアもまた偽善が大好きです。そのメディアが重箱の隅を突っついて疑惑を見つけ、正義を盾にそれを暴露するや、偽善と知った国民は黙ってはいません。メディアの煽動にまんまと乗って、道義的責任を口々に思惑通り大騒ぎとなります。

 これが言論の自由の持つ皮肉なカラクリで、かつて山本夏彦がこう揶揄しています。
「言論の自由とは大ぜいと同じことを言う自由のことである。」

 どうやら真相に近い報道は、メディアの中でも少数派の論調にあるようです。現代は発達したSNSがメディアに代わり多様な情報を発していますが、残念なことにSNSではフェイク・ニュースの多いのが問題です。

 加計学園問題のように推測(憶測?)だけなら疑いはどこまでも広がります。メディアがこぞって針小棒大に疑惑を煽り国民感情に訴えているのは、どう考えても政権を引きずり落とそうという思惑からとしか見えません。改憲を阻止したいのが大方のメディアの本音でしょう。

 憲法は現実に即した法律体系の総元締めのはずですが、あたかも指一本触れてはならない教典の如しの扱いです。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、・・・」憲法前文にある有名な一節です。この前文の掲げる前提が現実離れした幻想で、憲法の一番の欠陥と思います。

 非情な国際政治の世界では、憲法前文に掲げるユートピア信仰など一笑に付されるだけです。弱肉強食こそが歴史的にみた大陸国家の論理です。抵抗しないと見られるや侵略・征服の餌食にされるだけです。現憲法は時代の10歩も先を目指し、哀しいかな足元の現実を見ていません。

 極東情勢は今危機的です。欠陥だらけの平和憲法を崇め、平和と唱えているだけでこの危機に対処できるのでしょうか? 倒閣できたとしてその後の政治的空白の危険性をどう報道しているのでしょうか? 改憲阻止ばかりに躍起なメディアの姿は危機的現実に頬被りした偽善、私にはこのようにしか思えません。

 こんな危機的状況にこそ国民一人ひとりの精神的独立が問われます。偽善好きなメディアの思惑通りに踊らされては堪りません。政治(的)報道でメディアが一斉に国民感情に訴え始めたら、裏に何かがあると疑ってかかった方がよいと思います。

 メディアの中の少数派意見にこそ真相はある。私はこれを座標軸に、偏った情報から距離を置き印象操作に踊らされないよう用心しています。今回は、この暑さにダレないよう少し気合いを入れてみました(笑)。



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結果 “本意”(?)の仕事人内閣

2017-08-08 06:31:09 | 世相
 この“本意”(?)の意味にお気づきの方もおられるでしょう。内閣改造(第3次安倍再々改造内閣)発表の当日、テレビNHKニュースであった内閣の標語を表示ミスしたハプニングのことです。
「本意×  本位」と番組の終わりに訂正のテロップが流されたのですが、私はこれを逆読みしてしまい、頭の中がしばらく疑問符だらけになりました。

 年1回の定期的内閣改造とは言え、念頭にあったのはこのところ立て続けにあった閣僚の不始末対策でしょう。テロ等準備罪を新設した改正組織犯罪処罰法対応での不手際(金田勝年 法務大臣)に始まり、挑発質問にキレてしまった記者会見や東日本大震災被害に関する失言(今村 雅弘 復興大臣兼福島原発事故再生総括担当)、南スーダンPKO派遣部隊の日報問題や都議会選挙での失言(稲田朋美 防衛大臣)へと続きました。

 特に後者二人の大臣の場合、感情に流されての対応が目立ち、閣僚としての資質に疑問符が付きました。事実に基づき、国民にこなれた言葉でわかりやすく説明するのが閣僚の職務であるべきで、挑発に乗っての感情的対応など以ての外です。

 発言の自由度は閣僚と一般議員とでは雲泥の差があります。閣僚なら、基本的に野党やメディアという批判勢力が相手です。当然、隙あらば挑発も辞さずの相手ですから、感情に駆られた不用意な発言は命取りになります。この点、選挙目当てに人気取りの発言をしていれば済む一般議員とは根本的に異なります。

 こんな当たり前の自覚が問題閣僚にはなかったのです。口ではいくら立派なことを言っていても、チーム(行政府)で仕事をさせてみなければ人というのはわかりません。

 新閣僚は、閣僚になった瞬間から “鵜の目鷹の目” で本格的にアラ探しされ、“壁に耳あり障子に目あり” で痛くもない腹を探られるでしょう。当然、辛辣な挑発もあると思います。常に平常心を心懸け、ちょっとでも気を抜いたら足元を掬われると覚悟すべきです。ここが正念場と腹を括るしかないでしょう。標語にあった仕事人とは閣僚としての最低限の自覚を持った人物という意味にも取れます。

 政治家は理念を政策として掲げ、法律として具現化するのが仕事です。戦後レジームからの脱却を掲げ、地球儀を俯瞰する外交、教育基本法改正、集団的自衛権の部分的容認と、着々と歩を進めてきた安倍内閣です。デフレ経済からの脱却には手こずっていますが、現実主義的内政・外交政策を有言実行で進めてきました。こんな政治姿勢は歴代内閣にはなかったことです。

 愈々次の目標は憲法改正となりますが、侮れないのがGHQの洗脳計画(WGIP)で徹底的に刷り込まれた国民の自虐史観です。「戦前・戦中は暗黒時代。第二次大戦は日本がすべて悪い」多くの国民がこのGHQの置き土産に長い間洗脳され続けてきました。敗戦で “羮に懲りて膾を吹く” 心境だった国民に受け入れやすかったのだと思います。メディアの多くも、同じくGHQの遺したプレスコードに縛られたまま、自虐史観を奉じるのみで批判には反論する始末でした。現憲法は、ある意味自虐史観の教典の如しです。

 洗脳で “認知のゆがみ” に染まった国民が相手ですから、“毒をもって毒を制す” も視野に変化球も交えた多角的な説明が望まれます。直球一本の説明だけでは却って反感を煽るだけでしょう。それだけWGIPによる洗脳効果は根が深く、チーム一丸でどう説明サポートするか、閣僚全員の力量が問われると思います。

 もし、新内閣の標語がNHKのミス通り「結果 “本意” の仕事人内閣」なら、本気という意味とも読めます。本気度は、丁寧に説明しないと却って相手の感情に火を付けかねません。単なる結果第一ではなく、丁寧に意図を説明した上での結果ということでしょうか。政治は結果、閣僚の人物評価も仕事の出来具合で決まります。
         *    *   *   *   *
 たとえ断酒期間が長くても、アル中の人は “認知のゆがみ” を引き摺ったまま言葉のストレスに敏感です。他人の言葉に殊の外被害妄想的になりがちなのです。そんな回復途上のアル中には、政治家などとても勤まる仕事ではありません。唯々、一市井人としていられる幸運を嚙み締めている私です(笑)。



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自律した自由

2017-08-04 05:58:53 | 世相
 個人主義と言えば聞こえはいいものの、自由と称し他人の迷惑を弁えない我が儘が横行しています。毎日のようにゴミ拾いをしていると、ついそう考えてしまいます。

 やましいものを隠すのはヒトを含め動物に共通する習性のようです。だからといって、人の目に触れさえしなければゴミを隠しても迷惑にならない、そんな詭弁は通用しません。

 植え込みなどの物陰にコッソリ隠しているゴミがあります。それが却って不思議と気に障ります。たとえ物陰に隠しても見る人が見れば直ぐ気付くものですし、いずれ剪定でもされれば馬脚を現わすのは自明なのです。

 便利が幅をきかす世の中です。とにかく面倒なことが嫌いで、ポイ捨てすればすべて済みと思っている人の何と多いことか! 公園にポイ捨てした弁当ゴミが悪戯好きなカラスの餌食となるとは考えもしません。まして他人の迷惑をや、なのです。

 ポイ捨てゴミの様子から町内の民度がわかります。ゴミの散らかった環境では心の荒みがはびこります。 “お天道様が見ている” という倫理観が薄れて来ていますし、ご近所に目を光らす無償奉仕の世話好きも少なくなっています。そんなこともこの風潮を助長しているのでしょう。住まい環境に一定の秩序が保たれていなければ精神の安定などありません。

 まさしく世の中の皆が皆、“我関せず焉” なのです。好き勝手の気儘放題でありながら、なお不自由を託っている現代の風潮は、こんな環境が醸し出す相互作用の悪循環なのでしょうか。

 自由は巾広い意味を持つ言葉です。気儘放題の好き勝手をやることも、様々な制約の中で精神の独立を保っていることも、どちらも自由の範疇内のことではあります。自律とは他人に迷惑をかけないことで、自律した精神にこそ自由は許される。このように私は考えています。

 散々タバコのポイ捨てをやっていた飲酒時代を思えばエラソウに言えた義理ではないのですが・・・。 自律した自由こそ正しい自由。皆さんはどうお考えでしょうか? 



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後味の悪い話?

2017-08-01 06:32:12 | 雑感
 市役所の食堂は11時半から営業開始です。その食堂で いの一番 に昼食を取っていると、同年配ぐらいの男性が同じテーブルにやって来ました。

 6人掛けテーブルの向こう端に着くなり私をまじまじと見つめ、
「早くから食べないといけないと言われて、・・・12時からは市の職員の時間になるんで、・・・ここの職員は全国でもトップクラスの高給公務員なんですよ。どう思います?」といきなり話しかけてきました。さもさも旧知の間柄のような馴れ馴れしさでした。

 あまりに唐突過ぎて、「(だれだっけ? どうみても見覚えのある顔じゃないし・・・)」とこちらもまじまじと顔を見返してしまいました。たとえボケても顔は覚えているものです。最後の問いかけ以外話が見えなかったので
「別に大した問題じゃないのでは・・・」と、こちらはツッケンドンに答えてしまいました。

 話しかけてきた男性は、髪が疎らで眉に白いものが混じっているものの、目ヂカラのあるしっかりした顔立ちの人でした。どう見ても、何か障碍を負っているとはとても思えません。普通、人違いとわかったら直ぐに謝るのが話しかけて来た方の筋なのですが、その気配はありませんでした。さも何もなかったかのような顔をして箸を動かしていました。

 私には想起障害がいまだに残っていて、思いとは違う言葉を口走ることがよくあります。声に出して初めて間違いに気付くので始末に負えません。こんなとき私なら、大きく笑い飛ばしてごまかしてしまうのですが・・・。
「(一体これは何なんだ?)」 却って話しかけられた私の方が気詰まりになってしまいました。

 初対面ではほんの1分以内でその場の空気が決まります。この場合、話しかけるなら「ご一緒させていただきます」ぐらいで十分だったのです。さらに話を繋げるなら、お天気の話とか相手のこととかを話題にすれば無難だったでしょう。年格好からしてこんなことを知らないはずはありません。

 “先ずは相手の都合を確認し、次に面談目的をかいつまんで話す” 臨床開発をやっていた現役時代、医者との面談ではこれが鉄則でした。当たり前のことながら、礼儀に適った合理的手順です。思わぬ奇襲攻撃にこんなことまで思い出してしまいました。

 ほんの1~2分、下手をすれば30秒で決まるのが初対面の人間関係です。無言の気まずさよりも和みの一瞬! たとえどんなに難しくても、これがあるから話しかけずにはおれないのが人情なのです。

 後味の悪さはありましたが、彼の人も同じように考えてのことで、ほんのちょっと手順を間違えただけなのでしょう。かく言う私も、何遍となく話の切り出しに失敗しながら、性懲りもなしにやっているのですから・・・。



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