ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

歳を取ればワルくなる?

2016-11-29 08:56:11 | 世相
 週1回の通院となってからも、朝早く市役所まで歩いて行くことが多い。市役所は最寄りの駅の駅前にある。何のことはない、毎日通院と同じことをしているだけのこと。私の行動パターンは何ら変わっていない。
              *    *    *
 市役所に特別な用事などない。ただ、ロビーに置いてある新聞を読みに行くだけだ。朝早くから集まって来るのは、同じように新聞目当ての老人が多い。老人ばかりでさぞ静かで穏やかなものだろう、と普通は想像する。そう思っていたら、大きな間違いだった。可笑しな奴はどこにでもいるものだ。

 新聞越しに、聞えよがしにブツブツ呟く輩がいた。私の向かいに腰かけたその老人は、同年配かやや歳上だと思われた。頬が弛んで歳相応の顔をしていた。最初は、何か気に障る記事があってのことと思っていた。が、どうもそれが違うらしいと途中で気が付いた。私が新聞を読み終えて起ち上がろうとすると、訝しい目を何と私に向けていた。私はお愛想のつもりで、
「これ(新聞)、読みますか?」と声をかけてみた。すると、
「ちぇ、唾を付けて捲った新聞なんか・・・」と返ってきた。よく見ると、穏やかな目などでは全くなく、私を射すように睨んでいた。

 顔つきからは歳相応に見て取れるものの、目は違っていた。穴倉の小さな穴から外界を覗いている目、とでも言えばいいのだろうか。アラを見つけでもしたら直ぐいちゃもんを付けてやろうという目つきだった。欲求不満でいじけているような目、そう、病んでいる目に見えた。

              *    *    *
 こんな目の持ち主が世間で老害を起しているのだろう。自分のことは棚に上げ、ついこんなことを考えてしまった。鏡に自分の顔を写して見た。もう病んでいる目ではない。こんなことを言っている自分は、人にはどう映っているのだろうか?



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変えられる行動 変わらない行動パターン

2016-11-25 08:46:45 | 病状
「歩道のない巡礼古道をリュックを背負い、缶ビール片手にひたすら歩いている男」
「幹線道路の歩道を軍手に火バサミ、レジ袋を持ってゴミ拾いしながら歩き回る男」
どちらも休日の私自身の姿です。上は初めてアル症と診断された後の46~52歳頃の姿で、西国三十三ヵ所巡礼を続けていた頃のことです。缶ビール片手に、と言っても飲む量は高が知れたものでした。下は現在の私の姿です。一日に歩く時間はどちらも6~7時間になります。酒から距離を置くことと、糖尿病の運動療法がその目的にあり、どちらも全く変わっていません。

「定時前に会社を抜け出し、2kmほど離れた立ち飲み屋を目指し急ぎ足で歩いている男」
「朝8時前に家を出て、2kmほど離れた最寄駅を目指し急ぎ足で歩いている男」
どちらも週日の私自身の姿です。上はアル症が定着した52~60歳頃の姿、下は断酒後の最近までの私の姿です。上は酒を飲みたい一心からの行動で、下は毎日専門クリニックを受診するための行動です。糖尿病の運動療法という点で目的が共通しているだけで、どちらもその行動パターンは全く変わっていません。

「冷蔵庫にビールの買い置きが少なくなると、すぐに補充しないと気が済まない
これもアル症が定着した頃の私の行動パターンでした。これと同じ行動パターンが今でも続いています。
「冷蔵庫にノンカロリーコーラの買い置きが少なくなると、すぐに補充しないと気が済まない
「甘いものの買い置きがないと気が済まない
「ゴミ用のレジ袋をためて置かないと気が済まない
このことに気づいたときはビックリしました。まだまだ無意識の内にやっている行動パターンがたくさんあると思います。“無くて七癖” と言いますが、身体に染みついた習慣は拭い去れないものと感心しきりです。

 性格は行動に現れると言いますが、行動パターンこそが性格そのものの現れです。身体に染みついた行動パターンは変わらないと思っています。無理して変えようとしても、余計なストレスを感じるだけで徒労に終わるでしょう。

 性格にも同じことが言えます。人は誰でも自分の嫌な性格を変えようと努力するものです。私も自分の嫌な性格を変えようとしたことが何度もあります。やってみると何をするにしても窮屈で、なかなかうまく行きませんでした。

 最近になって、自分の評価は周りの人々がするものという当たり前のことに気づきました。どのような性格の人物かを客観的に評価するのは周りの人々なのです。決して本人の自己評価ではありません。無理して取り繕ってみても気休めに過ぎないのであれば、自然に振る舞う方がいいと思えるようになりました。

 あまり無理しなくても変えられることがあります。行動ならば少しずつでも変えることができます。目的と中味を少し変えさえすれば、たとえ似通った行動でも周りの人が受ける印象は大きく変わります。

「以前は飲み屋のハシゴをやっていたのに、今では(自助会AAの)ミーティングのハシゴですよ」と苦笑いしていた仲間がいました。行先が飲み屋から自助会ミーティングへ変わっただけで、行動パターンは何も変わっていないという自嘲です。しかし、たったそれだけの変化に人(性格)が変わったと傍の人は受け止めてくれるものです。ほんの少し行動を変えさえすればうまく行く、今はそう考えています。



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ヒゲジイのPAWSによる悪文見本市(その8)

2016-11-22 18:54:20 | 悪文見本市
 アルコールの急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)は、断酒を始めて3~6ヵ月で自覚するようになると言われています。その症状の一つ “思考プロセス障害” には、脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、因果関係を理解できないなどの症状が知られています。

 私の経験からすると、その具体的現れは “遠回りする思考”、“助詞の使い方に混乱”、“修飾語の語順の誤り”、“時制の混乱” などからなり、大概が “慣用的な言葉の使い方(言い回し)を失念すること” と要約できると考えています。

 今回もその具体的な現れと思われる悪文事例をご紹介します。いずれも脳がストライキを起す寸前の状態にあり、集中力に欠け、文案が錯綜する混乱の中で書いたものと思われます。

 なお、現在掲載中のものはいずれも手直しした後の改訂版です。
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【事例38】
「 “大丈夫?” と、“危なかった!” という二つの言葉で、この暴行未遂事件のことが頭を過ぎったのだと思います。『ひょっとして、自分も誰かに恨まれ狙われているのだろうか?』私は自分の身に危害が迫っているものと勝手に思い込み、えもいわれぬ不安に襲われてしまいました。危険を示唆するT氏の言葉に囚われて、危険という先入観(イメージ)から暴行未遂事件へと連想が向ったのでしょう。
 いきなりスリルとサスペンスのただ中に放り込まれたようなものです。帰宅してからも胸がザワつくぐらいに不安が募るだけでした。悪い方へ悪い方へと連想が飛び、挙句の果てひょとしたらT氏の脅しかも(?)とまで疑心暗鬼が膨らんで行きました。そのときふと閃いたのです、その日にあった出来事の事実関係を “ありのまま” に整理してみたらどうだろう・・・と。どうやら暴行未遂事件へのみ気が向かって、あまりにも感情的な “思い込み” に偏り過ぎていると気付いたのです。」

         
「 T氏の言った “大丈夫?” と、“危なかった!” という二つの言葉が、・・・(中略)・・・と勝手に思い込み、えもいわれぬ不安に襲われてしまいました。首尾よくいった意味に受け取ればいいものを、危ないの持つ先入観にのみ囚われて、勝手に暴行未遂事件へと連想を拡げたのだと思います。
 いきなりスリルとサスペンスのただ中に放り込まれたようなものでした。帰宅してからも不安が募り胸がザワつきました。悪い方へ悪い方へと連想が・・・(中略)・・・とまで疑心暗鬼になってしまいました。そのときふと閃いた・・・(中略)・・・と。どうやら暴行未遂事件へのみ気が奪われ、あまりにも偏った “思い込み” から感情的になり過ぎていると気付いたのです。」

        「“思い込み”の逸らし方“ありのままに受け入れる”」(2015.11.20投稿)より

 一読して抱く印象は、随分混乱した頭で書いたものということだと思います。文案が切れ切れに飛び交う中で途惑いながらどうにか書いたものだからです。

 最初の下線部では、 “囚われ” の言葉に文字通り囚われていたことが問題です。これが頑なで諄(くど)い思考に当るでしょうか。ここでは先入観に囚われていることを表現したいわけですから、T氏の言葉の本意と先入観との関係を整理し直しました。

 最後の下線部でも同様に、“思い込み” と “偏り” という言葉に囚われていたことが問題です。両者にはほぼ同義のニュアンスがあるので、“偏り” の方を強調目的に利用し、なぜ感情的になったのかその因果関係を整理し直してみました。

 三番目の下線部では、不安の程度を表現したいのか、それとも不安が昂じた結果を表現したいのかに混乱が見て取れます。不安が昂じた結果、胸のザワツキがあったハズなので、それと分かる表現に改めました。

 これら三つの例は、いずれもその時々の心情を正直に表現しようとしたものの、却って考えがまとまらず、混乱したまま書いてしまったものです。そのため特定の言葉に拘ることになり、因果関係を論理的に記述できなかった例だと考えています。思考プロセス障害の特徴をよく表しています。

 上記以外の下線部では、慣用的な言い回しからみると不自然さが目に付くと思います。これらは想起障害の典型的事例と考えています。連想が「向かう」は「~拡がる」へ、疑心暗鬼が「膨らむ」は「~に陥る」または単に「~になる」へ、気が「向かう」は「~奪われる」へと、それぞれ改めました。案外イメージ的にはピッタリな表現なのですが、的確な言葉が思い付かなかったのです。


【事例39】
「正確に言うと、勝った方が “自分が正義だ” と主張するのも力関係からして尤もだ、と承服できるということです。」
         
「正確に言うと、勝った方が “自分が正義だ” と主張するのも、力関係からして尤もだと承服できるようになったのです。」
              「『人間は平等』は正しいですか?」(2015.11.27投稿)より

 これは時制が混乱した事例です。現在の状態のことか、現在すでに完了している状態(英語の現在完了形)のことか迷っています。どこか違和感を持ちながら放置していました。このような事例は、まだまだあります。

【事例40】
「当時は肝臓を酷使し続けていることもあり、てっきりそれで疲れているのだと長い時間寝ていました。」
         
「当時は肝臓を酷使し続けていたこともあり、てっきりそのせいで疲れているのだと長い時間寝ていました。」
                   「アルコールと“うつ”症状」(2016.2.5投稿)より

 最初の下線部では、時制の混乱がみられます。ここは明らかに過去形にすべきでした。

 次の下線部では、副詞 “てっきり” の使い方が問題です。“てっきり” は、確率的に間違いないことを示す副詞ですが、後の言葉 “それ” にどう係るべきか分からなくなっています。つまり、「~のせい」とすべきことが思い付きませんでした。このように脳が固まると、想起障害のせいで融通がきかなくなることがよくあります。

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急性離脱後症候群(PAWS)】
 症状は、断酒開始後3~6ヵ月目で最も強くなり、6ヵ月~2年で回復する。
  ○ 思考プロセス障害(脳の働きにムラがある、頑なで諄(くど)い思考、
    因果関係を理解できない)
  ○ 情動障害(情動の揺れ)
  ○ 記憶障害(短期記憶の障害)
  ○ 睡眠障害
  ○ 身体的協働性に問題
  ○ ストレス感受性に変化
                  (アルコール依存症専門クリニック教育資料より)


“思い込み”の逸らし方 “ありのままに受け容れる”」(2015.11.20投稿)もご参照ください。


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継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その4)

2016-11-18 07:15:19 | 病状
 前回は、長話のせいで失敗したエピソードをお話ししました。長話が原因でミーティングの閉会時刻を超過してしまい、それを咎められたことがキッカケとなり “認知のゆがみ” に気づかされた話のことです。

 このエピソードがあった頃は、意図した言葉がなかなか思い出せない想起障害に随分苦しめられていましたし、依然として記憶障害にも悩まされていました。それにもかかわらず、周りの人から顔つきが落ち着いて来たと言われ、自分でも随分回復が進んだものと思えていた時期でもありました。このことが却って、他にも未知の障害があるのでは(?)と気になって仕方ありませんでした。

 想起障害に加え思考プロセス障害を否応なしに自覚させられたのは、自分史『アルコール依存症へ辿った道筋』の連載が終盤に差し掛かっていた頃のことです。テーマが自分史から離れてもなお投稿し続けようとするならば、いよいよ直近にあった事柄から題材を採る必要に迫られていました。そのため、自分史以外のテーマについても時々ブログに投稿することにしました。

 ところが、遠い過去を題材とした自分史と違って直近の事柄を題材にすると、表現に手こずる場合が多いことに気づかされました。想起障害により的確な言葉や表現がなかなか出て来ないばかりか、言葉の使い方一般でもよく混乱していたのです。

 そんな時に知ったのが遅発性の離脱症状 ― 急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS)でした。しかも、その中の思考プロセス障害が自分の悩みにピッタリだったのです。思考プロセス障害の多くは想起障害が絡んでいるに違いないと考えてしまいました。

 試に投稿済みの自分史を読み返してみると、出るわ出るわ、これぞ悪文のオンパレードでした。不適切な言葉の代用、不自然な助詞の使い方、翻訳調の回りくどい表現、時制の混乱、修飾語の語順の誤りなど、明らかに想起障害と思考プロセス障害の痕跡が見て取れました。自分史は勢いで書いていましたから、書いていたときは全く気づいていなかったのです。場面の描写やその時々の気持ちを自分の言葉で表現する際、特に誤りが多いことにも気づきました。このことから近い過去を題材に変えたことが手こずりの原因ではなく、投稿当初から抱えていた問題が単に続いているだけのことと納得できました。
 
 これでPAWSの主だった障害のすべて、記憶障害(短期記憶の障害)、情動障害(情動の揺れ)、想起障害と思考プロセス障害、“認知のゆがみ”(ストレス感受性に変化)が出揃ったことになりました。私自身、身を以てそれらを一通り経験したということです。

 短期記憶の障害は徐々に改善し始めていました。危険が一杯だった情動障害も精神的 “底着き” を期にピークを過ぎていました。想起障害と思考プロセス障害は手強い相手ですが、地道な脳のリハビリ・“言語化” を日々続けるしか他に手がありません。もう新たな心配事は出て来ないと思われました。

 どうしたら変な思い込みを少なくし、余計なストレスを感じなくて済ませられるかが課題となって来ました。いよいよ、“認知のゆがみ” の矯正が最大の課題になったのです。

 継続断酒3年間の後半は、言葉の持つ重み・含意は痛い思いをして初めて身に付くものと思い知らされた時期でもありました。この連載で挙げた言葉は、どれをとっても以前から知識としては知っていたものばかりです。苦い思いや手痛い体験を通じ、今はそれらがどうにか身に付いてくれつつあると思っています。見たり聞いたりした知識は、身を以て体験しなければ、いつまでも知識のままでしかありません。知識が知恵へと昇華するには生身の体験が必要なのだ、と改めて納得しています。
 
 今回も身を以て体験した実例を一つご紹介します。「ありのままの事実を ありのままに・・・」と題して投稿した今年7月初めにあった出来事のことです。その日のゴミ拾いの終盤、巡回コースで山場としている公園で思いがけない場面に出くわしました。

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 公園の広場では、20歳ぐらいの若い男女10人ほどが輪になって、水風船でキャッチボール遊びにうち興じていました。声の調子から少し酔っているようにも見えました。驚いたのは彼らの足元と辺り一帯がゴミだらけだったことです。ビールの空き缶やら、空のペットボトルやら、吸い殻やらが散らかり放題で、まるで不良仲間の悪ふざけ現場そのものでした。さらにその狼藉跡は、広場と幼児用の遊び場を仕切る木立にまで及んでいました。

 仕切りの木立にまで惨状が拡がっているのを見て、私は心底腹が立ちました。普段はゴミなどない所なのです。状況証拠からして、私はてっきり彼らの仕業と考えてしまいました。自分たちで散らかしたのでもない限り、普通ゴミだらけのただ中で遊ぶことなどあり得ないのです。私は、これは注意するしかないと決めました。

 若者の集団心理では、咎められても自分たちの非を素直に認めるとは限りません。どう声をかけるべきか迷っている内にハッとしました。彼らの犯行現場を目撃していなかったのです。証拠がない限り、自分たちが来る前からこの状態だったと否認されるのがオチです。女連れですからなおさらです。私は急遽黙っていることにし、彼らの近くまで着々と作業を進めました。

 すると、彼らも静かに場所を空けてくれたのです。私の作業を見て彼らも後ろめたさを感じていたのでしょう。私は手際よくゴミを片付け、公共心とはどういうものか、そのお手本を実践で示すことができました。“事実を事実として” ありのままに踏まえ、実証的な状況判断が殊の外大切なのだと、身を以て再認識できた出来事でした。

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 改めて現在、私がモットーとしている言葉たちをお示しします。

 ● 秩序とリズム
 ● 行動に移す
 ● 事実を事実として ありのままに・・・
 ● 一息ついて 一歩引いて 6秒待てば様変わる


 最初の二つは自律した日常生活を日々着実に送るためのモットーです。すでに前回、前々回の記事(その1と2)でご紹介したもので、整理整頓と規則正しい生活リズムを課したものです。三番目は、「ありのままの事実を・・・」としていたものですが、上述した公園での事件を契機に、「事実」を一層強調した方が良いと考えた結果です。

 最後のモットーは、自助会Alcoholics Anonymous(AA)で仕入れた「一息ついて一歩引いて」に6秒ルール(?)を加えたものです。リアルタイムで感情が変化する兆しを自覚できるようにはなっていましたが、どんな興奮も「6秒待てば」十分に鎮まることを学んだので、念押しにと加えました。風向きが変わり、違った結末が期待できる意味も込めています。ちょっと長めにしたことで時間稼ぎに打って付けです。

 この3年間は、次のようにまとめることができます。回復途上に現れた変化の多くは、後から振り返って初めて分かったものばかりです。


 継続断酒10ヵ月まで: 記憶障害と情動障害がピーク、 断酒を
            続け「なければならない病」(ガマンの
            断酒?)がピーク
 継続断酒18ヵ月まで: 飲まないでいるのが自然で楽、 回復を
            過剰に意識、“空白の時間” 対策確立 
 継続断酒18ヵ月以降: “認知のゆがみ”、想起障害・思考プロセス
            障害を自覚、“認知のゆがみ” 対策への本格
            的な取り組み開始

                                 (この項お終い)


醒めた頭で 醒めた目で」(2016.5.06投稿)
ありのままの事実を ありのままに・・・」(2016.7.22投稿)もご参照ください。


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継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その3)

2016-11-11 08:31:30 | 病状
 次の節目は継続断酒18ヵ月後にありました。自助会Alcoholics Anonymous(AA)のミーティングで「プラス思考で生きる」がテーマの日のことです。私の長話のせいで閉会時刻が大幅に超過してしまいました。

 その場で私がメンバーと是非とも共有したかったのは、“言語化” の効用のハズでした。“言語化” を実践したことで、アルコールの囚われから脱することができ、初めてプラス思考のまともな精神状態に戻れたことが話の眼目だったのですが、それが・・・。久々の指名なので気が急いてしまい、残り時間までは気が回りませんでした。

 生煮えの構想のまま、こともあろうにアルコール依存症と初めて診断された現役サラリーマン時代の話から始めてしまいました。プラス思考になれた道筋を話すには、ともすればマイナス思考になりがちだった時代の話から始めるのが筋という単純な発想だったと思います。気忙しい気持ちのまま話し始めたため、話の切り出しから完全に失敗してしまったのです。誰が考えてみても、“言語化” の実践事例に辿り着くには遠回りな話です。

 46歳時から63歳時まで、ほぼ17年間の話ですからエピソード満載です。いくら話を端折ったとしても、よほど要点を絞らなくてはまとまる話ではありません。案の定、途中からどんどん話が脇に逸れてしまい、なかなか目標地点に辿り着くことができませんでした。(今になって思えば、明らかな思考プロセス障害の特徴を示しています。核心部分へ単刀直入に切り込めず、遠回りな話し方になってしまうのは思考プロセス障害の特徴の一つです。)熱意を込め詳しく話しさえすれば真意はきっと伝わるはずと、無邪気に思い込んでいたので始末に負えません。

 無我夢中で話していたので、一体どれほど時間が経ったのか分かっていませんでした。話している内に微妙な空気の変化を察し、端折りに端折ってどうにか話し終えました。消化不良気味で少し空回りしていた感じがありましたが、久々にスッキリしたことは覚えています。

 この長話で司会者の顰蹙を大いに買ったことが2日後に分かりました。別の会場で開かれたAAのミーティングで、2日前の司会者がわざわざ私の席までやって来ると、時間超過を咎めるやら時間厳守を厳命するやら、でした。私は、体験談を語ることが単に悩みや不安の捌け口としてばかりでなく、アルコールの残渣でモヤモヤしている脳の活性化に有効だと確信していました。ですから、体験を語る際は時間制限など設けるべきでないとさえ考えていました。取り敢えず、次回からは途中で打ち切っても構わない旨を返答したのですが、彼は何も言わずに席に戻って行きました。こんな彼の応対と、まったく噛み合わない考え方に内心収まりがつかなくなりました。「このオッサン、何も分かっちゃいない!」

 やがて次第に憤りが募りに募って、一時はAAを退会しようとまで思い詰めるに至りました。さすがにこれでは危ないと、専門クリニックのソーシャルワーカーに相談してみることにしたのです。するとさすがに手慣れたもので、丁寧に話を聞いてくれたのですが、
「内部対立は自助会でよくある話と聞いていますよ」と軽くいなされてしまいました。

 余りに軽い言い方だったので、却って大事なことに気づかされました。それは、アルコール依存症者は皆が皆、認知障害(“認知のゆがみ”)の持ち主で、変な思い込みから可笑しな反応をしがちな人々ということです。こんな大事なことをすっかり忘れていました。内部対立が起こったとしても至極当り前のことなのです。“認知のゆがみ” が原因で人間関係を崩壊させてしまうのはアルコール依存症者によくある話の一つです。

 私は自説に拘ったままで、司会者の立場に何の配慮もしていませんでした。司会者も当然アルコールの囚われから脱した経験の持ち主で、胸の内を語リ尽くすことがどんなに大事か、その効用を十分に理解しているものとばかり思い込んでいました。

 当然のことですが、司会者は会を円滑に運営する責任を負っています。人それぞれ立場が違えば考えも違うのです。司会者は立場上当たり前の注意をしただけなのに、そんな言葉に過剰なストレスを感じてしまったのです。冷静になってみて、立場の違いにやっと思い至りました。自分勝手な思い込みの危うさに改めて気づかされた事件でした。

 この事件を契機に、“認知のゆがみ” を初めて意識するようになりました。当時、まだ “認知のゆがみ” という言葉を知りませんでしたが、言われて当然の言葉に過剰に反発してしまったのは、まさしく “認知のゆがみ” だったのです。遅発性の離脱障害(PAWS)としては、それまでに記憶障害、想起障害、情動障害の順で自覚できるようになっていたのですが、新たに “認知のゆがみ” もはっきり自覚し始めた時期だったようです。

 この新たな障害は、自分のことだけで精一杯の状態ならあり得ないことで、対人関係に積極的に取り組んでいる過程でしか自覚できない障害です。これ以降、対人関係を積極的に広め、少しでも深めようとする中で、新しい課題にも向き合うことになりました。

 この事件以降、現在に至るまでモットーとしてきた言葉たちを挙げてみます。共通しているのは人との “間合い” をどう取るかです。対人関係に欠かせない処世術ですが、言うは易く、行うは難し・・・。

 ● ありのままの自分を ありのままに受け容れる
 ● ありのまま事実を ありのままに受け止める
 ● 一息ついて 一歩引いて

 “ありのままを ありのままに受け容れる” AAでよく取り上げられるテーマの一つです。上の一番目と二番目(通算7番目と8番目)のモットーはこれを発展させた言葉です。この言葉には、たとえ対立する考えであっても受け容れる意味も含まれ、その違和感から上述した事件まではどうしても馴染めませんでした。事件を経験し、人は考え方が固定観念に囚われやすいことを単に戒めているのだと理解できました。

 固定観念で雁字搦めとなった状態が “認知のゆがみ” です。アルコール依存症者である限り、たとえ回復したとしても固定観念に囚われやすい性格から逃れられないのです。「ありのままに受け容れる」とするのなら「ありのままの自分を」と上の句を置き換えればいいし、「ありのままの事実を」とするなら「ありのままに受け止める」と上下共に置き換えればよい、こんな簡単なことにやっと気づけました。

 三番目(通算9番目)のモットーは、気忙しい話の切り出し方と感情の暴走から自分を戒めるための言葉です。上述した事件の発端は、せかせかした気持ちで話を切り出したことにありました。「話し急ぎ」とでも呼べばいいのでしょうか、考えがまとまる前に口から先に言葉が出てしまうことをこう呼んでみました。

 私は、元々「話し急ぎ」の傾向が強かったのですが、断酒後は想起障害と思考プロセス障害が加勢して、話がハチャメチャになることが多くなりました。そもそも上述した事件の原因も、この「話し急ぎ」にあったと考えたのです。あやふやな考えのままで口にしては伝わるものも伝わりません。「一息ついて一歩引いて」にはこんな反省が背景にありました。

 「一歩引いて」は、実はAAのミーティングで仕入れた言葉です。「話し急ぎ」に困っていた私にとって渡りに船で、これ幸いとこの言葉に飛びつきました。すでに「一息ついて」が頭にあったので、これを加え「一歩引いて一息ついて」としてみたのです。ところが実際にやってみると順番が逆の方が実践的と分かりました。恐らく、ミーティングでは「一息ついて一歩引いて」と元々言っていたのでしょう。自分では思い付けなかった分だけ耳に新鮮に響き、「一歩引いて」だけが記憶に残ったのだと思います。

 「話し急ぎ」対策としてはまだゝゞうまくいっていませんが、このモットーは感情のコントロールにもよく効きます。感情に任せて即反論などしていては危なっかしいことこの上なしです。リアルタイムでその兆しを自覚できたら、駄目押しのつもりで黙って唱えることにしました。こうすると周りの情況までよく見え、一層無難にやり過ごせるようになりました。
 人との “間合い” をどう取るか、その実践がこんなふうにして始まりました。
(次回につづく)


再びアルコール急性離脱後症候群(PAWS)について(中)」(2016.2.19投稿)
“思い込み”の逸らし方 “ありのままに受け容れる”」(2015.11.20投稿)もご参照ください。
記憶の微妙な違いに気づかれると思います。


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継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その2)

2016-11-04 09:37:51 | 病状
 継続断酒10ヵ月後にあった “憑きモノ” が落ちた体験、つまり精神的 “底着き体験”(二度目の“底着き”)の後、モットーとしていた言葉を古い順に以下に挙げてみます。

 ● ハイテンションは危ない
 ● 行動に移す
 ● 飲まないでいる方が楽

 “憑きモノ” が落ちた体験の後で私に起きた大きな変化の一つに、些細な異変でもしっかり異常と自覚し始めたということがあります。そのキッカケとなったのは、自助会Alcoholics Anonymous(AA)のミーティングで経験したある出来事でした。その詳細は、初めて本ブログに投稿した「断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)」を参照していただくとして、かいつまんで述べると次のようになります。

 そのミーティングでのテーマは「どうやれば(断酒が)うまくいくのか?」でした。手持無沙汰のまま一人でいるとイライラから再飲酒となる危険が高い、それを避けるには頻繁にミーティングに参加し続けるのが一番、と語ったベテランメンバーたちの発言に悉く不満を持ってしまいました。今から考えると至極もっともな内容だったのですが、初心者の自分でも分かり切ったことなのに何を今さら、と内心見下していました。

 その場ですぐに、これはちょっと可笑しいと気づき、事を荒立てずに済みました。それまでは、しばらく経った事後に気づくのが普通だったので、リアルタイムでの反応に驚きました。帰ってすぐにネットで検索し、自信過剰で慢心となっていたこのときの心情が、話に聞いていたドライドランクのせいとはっきり知ることができたのです。この事件(?)を最初の投稿記事とし、その表題をそのままモットーとしたのが上の一番目(通算4番目)“ハイテンションは危ない” です。

 このミーティングの帰り道、突然頭の中がグルグル空回りし始め、胸がひどくザワザワしたことを覚えています。出現した順番はこの順だったように思います。ミーティング中の自信過剰を反芻していたときのことでした。不吉で不穏な、なんとも遣り場のない気持ちになりました。信号待ちしていた時に始まり、横断歩道を渡って間もなく収まったので一過性でした。

 遅発性の離脱症状 ― 急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS≒ドライドランク)の初期には、情動(感情)の振幅が殊の外大きくなるものと思えて仕方ありません。振り子のように、一方の振れが大きければ、もう一方への反転も大きいという意味です。一方の振れの極点が自信過剰と慢心としたら、反転したもう一方の振れの極点は落胆や後悔ということになるでしょうか。

 振り子が反転して大きく振れ切った極点で出現したのが、頭の中の空回りと胸のザワザワ感だったのだろうと今では考えています。恐らくこのとき、無意識の内に反省し後悔していたのだと思います。後づけですが、頭の中の空回りは動揺がまだ軽い初期段階で、それが酷くなると胸のザワザワ感になるようです。


 当時は「遣り場のない」という言葉が思い出せず、表現すべき適切な言葉が思い付けなかったので、この時の心境を「遣る瀬無さ」と表現しました。(これは明らかに想起障害があることを示しています。)その後、「不吉で不穏」の方がより近い表現と思い直したのですが、依然として「頭が空回り」が抜け落ちたままでした。不穏な気分を催すこの言葉なしでは、何を根拠に「不吉で不穏」なのか不思議に思われたと思います。私の書いたものには「何のコッチャ?」とわけの分からない部分が多いと思いますが、大抵は想起障害のせいにしています。今回釈明できたことで、その一つは解消できたのではないでしょうか?

 ドライドランクをネットの解説で具体的に知ることができた結果、前回述べた継続断酒3ヵ月以降にあった諸々の情動の揺れもドライドランクに特徴的な症状だったことに気づきました。これも後になって気づいたのですが、心当たりがないのに突然感情に大きな動揺があったのはこの時期が最後だったように思います。一度体験してしまうと、その後同様の異変があった場合も敏感に察知できるものです。この体験以降は兆しが察知でき、その理由についても見当が付くようになったのです。

 感情についても同様で、変化の兆しをリアルタイムに自覚することだけで、大きく動揺せずに済むようになれました。振り子の振幅が小さくなったばかりか、意識して無理に行動を変えなくても、無難にやり過ごせるようになったという意味です。

 ドライドランクというものを具体的に初めて知った時と “憑きモノ” が落ちた体験とは、時期的にちょうど被っていました。当初は一方の強烈な印象に押され気味で、もう一方の “憑きモノ” が落ちた体験の影が薄く、その意義を十分理解できていませんでした。ただゝゞ日にちが経つにつれ、断酒を特別意識しなくても飲まないでいる毎日が自然だと思うようになっていました。

 AAにはAA特有の言葉づかいがあることに当初あまり気づいていなかったのですが、前回触れた「断酒」と「飲まない」の意味合いの違いも、体験談でよく出て来る「楽」という言葉のニュアンスも体得できるようになりました。

 これを期に、上の三番目(通算6番目) “飲まないでいる方が楽” もモットーとすることにしました。「楽」には身体が楽の意味もありますが、私の場合は精神的に肩の荷が降りて気楽になった方の意味です。せっかく肩肘を張らないで済むようになったのだから、これをみすみす手放すようではお前はバカ、と自分に言い諭す思いを込めたものです。

 上の二番目(通算5番目)のモットー “行動に移す” は、AAの「アルコホーリクス・アノニマス」のある章の見出しとなっている言葉です。AAの掲げる回復のプログラム『12のステップ』の実践を通じ、回復を目指すよう促した言葉と理解しています。

 繰り返しになりますが、体験談を聞いていると、手持無沙汰から部屋に籠り始めるなどしたら魔が差す危険が大という話が多く、私自身もこれには大いに心当たりがありました。いわゆる “空白の時間” 問題です。毎日通院の実践が絶大な効果を発揮したと実感していましたし、上述した体験談の多さに意を強くし、何らかの活動を毎日通院以外に新たに始めることが通院日数を減らす鍵だと思うに至りました。

 専門クリニックの教育プログラムはすでに5クール以上の受講回数を重ねており、さすがにマンネリを感じていました。“憑きモノ” が落ちた体験後、何かにつけプラス思考になってもいました。それで奮起を促す意味で、AAの “行動に移す” をモットーとして拝借することにしたのです。これは、以前からモットーとしていた “秩序とリズム” への具体的肉付けでもあり、念押しの意味も込めたものです。

 これをモットーとする以前から実践していたことがありました。糖尿病に少しでも良いことをと、通院では自宅から最寄りの駅まで毎日往復1時間歩いていたことです。その途中、ゴミが目障りでどうにも気になってしまうと、手に負えない場合はさておき、吸い殻などはつい素手でも構わず拾ってしまうのがクセになっていました。

 そんな折、教育プログラムに空き時間が出来たこともあり、時間つぶしに専門クリニック近辺を1時間ほど散歩することになったのです。散歩コースは港神戸の観光スポットに当たり、大勢の観光客で賑わうところです。人の行き交うところ、必ず吸い殻などのゴミが散らかっているものです。案の定、間もなくそれが気になりだしました。見過ごすわけにもいかず、いつものクセで素手で拾い始めていました。

 こうして路上のゴミ拾いが始まったのですが、素手で続けていいものか、ゴミ袋をどう調達すべきか、集めたゴミをどう処分すべきかなど、神戸に通院中の身ではなかなか難しいことが分ってきました。特にゴミの処分が大問題で、いっそのこと処分が容易な地元で本格的にやるのが一番と、場所を自宅近辺に変えることに決めたのです。継続断酒1年5ヵ月後から土曜日の通院を止め(週5日通院)、土日の2日間をゴミ拾い専属の日に当てました。

 いよいよ “行動に移す” の本格的な実践、奉仕活動を始めることになりました。何度か試練もありましたが、継続は力なりです。これで週単位の生活サイクルが確立し、“空白の時間” 問題が解消されました。体調も頗る快調になり、活動開始4ヵ月で糖尿病の著しい改善(HbA1c: 7.3%→ 6.8%)もみられました。ゴミ拾いが糖尿病の運動療法に一役買ってくれたのです。

 ゴミ拾いに加え、継続断酒1年3ヵ月後からもう一つ新たに始めたことがありました。AAのミーティングに参加したときには、その日の内にテーマと感想を書き残すことにしたのです。テーマだけなら会場内でメモできるのですが、その他一切のメモ・記録の類は禁じられています。そのため初参加以来、言いっぱなし、聞きっぱなしに加え、忘れっ放しの状態が続いていました。これではもったいないと気が付き、その日与えられたテーマに沿って会場で考えたことは何か、印象に残ったことは何か、を文章にして残すことにしたのです。

 記憶障害を持つ身ですから、思い返せることなど高が知れています。断片的ながらも辛うじて記憶に残っていたものは、それだけ印象が強かったものに違いありません。自分史の連載以外、このブログに投稿した記事の多くは、この記述作業からヒントを得たものです。

 さらに、これらの作業が、記憶機能のリハビリとなったことは間違いありません。週2日あるミーティングの都度、この作業で内省を重ねたことになり、これにブログ原稿の作成作業(週3日以上)も加えると、“言語化” 療法(?)の回数は少なくとも週5回以上となります。その分 “気づき”(自己洞察)の回数も増えたことになり、回復にプラスになったと考えています。

 私は外出する時いつも小さなゴミ袋をポケットに忍ばせています。こうして休日以外でも、目に止まったゴミは即拾うことにしています。また今回の記事も、その時々に実践した記録のお蔭でこのように書くことができています。やると決めて始めたら、すぐクセになってしまう、これも依存症気質のなせる業なのかもしれません。

 “行動に移す” は、踏ん切りがつかずグズグズしているときに打って付けです。まさに、実践向きのモットーです。今に至るまで日々お呪いにしています。
(次回につづく)


断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)」(2014.9.06投稿)
自分で始末をつけられる生き方」(2015.8.07投稿)
キッカケと転機」(2016.7.01投稿)もご参照ください。記憶の微妙な違いに気づかれると思います。

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